緑の庭
中学生の時に書いたやつ
ねえお母さん。どうして世界は丸いの?
それはね、世界が四角や三角だと、隅っこで独りきりになる人がいるからよ。
ねえお母さん。世界の隅っこにある緑の庭は何処にあるの?
それはね、世界の隅っこにあるのよ。
ねえお母さん。緑の庭の庭師は独りきりじゃないの?
この世界の隅っこに、神様が世界中の植物を集めて作った庭があるの。そこには一年中花が咲いていて、もう消えて無くなってしまったはずの花も咲いている。その庭には庭師がいて、たった独りで庭を守ってるんだって。
その庭はね、緑の庭、と呼ばれているの。
――おや、お客さんですかね。珍しい。
ここは世界の隅っこにある緑の庭。神様が世界中の植物を集めて作った庭。一年中花の咲いている独りきりの場所。
――これは、秋の庭からですかね。
あたりは桜の花びらが泳ぎ、草が踊り、風が植物の声を届けます。緑の庭の庭師エンがいるのは、そんな春の庭です。
エンは霧吹きを置き秋の庭に行きました。
「うんギュ、うグ」
秋の庭に行くと、小さな女の子が紅い花を引っこ抜こうとしていました。あたりは紅い花と白い花が咲き乱れ、落ち葉が絨毯を作ります。その女の子はボロボロの服を着て、靴を履いていなく裸足でした。
「何をしているんですか。君は」
「わっ」
女の子はビックリして尻餅をついてしまいました。そしてエンをキッと睨みました。
「あんたは誰」
「この庭の庭師、エンといいます。今きみの抜こうとした花は彼岸花。またの名を死人花とも言います」
「知ってるよ」
女の子はブスッとした顔でそう言いました。
「でしたら抜かないほうがいいですよ」
エンは少し呆れた顔で言いました。
「うるさい。ほっておいてよ」
女の子があまりにも強く言うので、エンはしょうがなくほっておくことにしました。
――ずいぶんと小さなお客さんでしたね。どうやって世界に隅っこに来たんでしょう。にしても、あの子が抜こうとしていた花。何かあったんですかね。
エンはそこまで考えて止めました。今回のようなことは初めてじゃないからです。
その日、エンは一日の仕事を終え眠りました。
三日後。秋の庭にまだ女の子がいるようなので、エンは秋の庭に行きました。すると女の子は、小さなスコップで紅い花を掘り起こそうとしていました。
「君、その花は抜かないほうがいいと言ったはずですが?」
そう言うと、女の子はまたエンを睨みました。
「あたしは君じゃなくてケイだ」
「そうですか。ではケイさん、もう一度言います。その花に手を出さないほうがいいです」
エンは、一回目よりも二回目よりも強く言いました。するとケイは一瞬だけ泣きそうになって
「ほっておいてって言ってるでしょ。あんたには関係ないんだから」
ほんのり涙の浮かんだ目でエンを睨み怒鳴りました。
「分かりました。では、もし何かあったら僕のところに来てください」
そう言ってエンは、悲しそうな、苦しそうな、心配そうな顔をしました。
七日後。ケイはまだ秋の庭にいます。今日も、小さなスコップで紅い花を掘り起こそうとしていました。風に踊る紅葉がケイを通り過ぎていきます。エンはその姿を遠くから確認すると、小さく溜め息をついて冬の庭に行きました。
冬の庭では、今日も雪が芽吹きます。緑の庭では、雪は降るのではなく芽吹くのです。一年中雪に覆われている地面の中に、雪の種があり、それがふっと芽吹くのです。
エンは真っ白な雪を踏み、風が届ける植物の声を聞きました。
目を閉じると、植物たちの息遣いを感じます。
(新しいスノードロップが生まれたの)
(隣の椿がまた綺麗な花をつけたよ)
(今ね、菜の花にとっても綺麗な蝶が止まっているの)
(朝顔は喉が渇いた。お水がほしい)
エンは目を開くと、如雨露に詰められるだけ雪を詰めると、夏の庭に行きました。その頃には如雨露の中の雪も解けてキラキラとした水になっていました。
夏の庭は、ジリジリとした空気に原色の植物が踊ります。エンは雪解け水を朝顔にかけました。植物の声は風が届けるので、近くにいる植物の声は聞こえません。でも、離れたところにいる植物の声は聞こえます。
(エン、大変。あの子が、ケイが倒れた)
その声は秋の庭から消えてきました。滅多に声を荒らげることのない植物の、焦った声でした。
――手を出さないほうがいいと言ったのに。
エンはクシャリと顔を歪ませると、秋の庭に走っていきました。
秋の庭に着くと、紅い花のそばにケイが倒れていました。紅い花の土はめくれあがり、ついさっきまでケイが掘り起こそうとしていたことが分かります。
「ケイさん、ケイさんっ」
エンはケイを揺すります。けれど、ケイは目を開けません。時々、「うー」とか「あー」とかうなされたように口にします。エンは急いでケイを冬の庭に連れて行きました。途中、夏の庭に寄り大きな葉を一枚貰っていきました。
冬の庭に着くと、エンはケイを大きな葉の上に寝かせ、火をおこし、雪を解かしました。火の周りには小さな水溜りができました。エンは大きな葉をちぎり器にします。そして、それで水をすくいケイの口に含ませました。
口が冷たい。パチパチって音がする。
此処は、どこ?
何であたしは此処にいるの?
お母さん、会いたいよ。
お母さんが言ってた。この世界の隅っこに、神様が世界中の植物を集めて作った庭があるって。そこには、もう消えて無くなってしまったはずの花もあるって。だからあたしは、あの花を取りに、彼岸花を取りに来たんだ。お母さん、今、会いに行くね。
「気が付きましたか?」
「わっ!」
ケイはそう叫ぶと同時に飛び起きました。辺りを見ると、さっきまで自分がいたところとは違い一面雪に覆われた白の世界でした。
「ここは」
「冬の庭です」
エンは落ち着いて聞きました。
「教えてもらえませんか?どうして彼岸花を手に入れようとしているのか」
エンはケイの目をそっと覗き込みました。しばらくあたりはシンと静まり返っていました。風が届ける植物の声すらも聞こえません。やがて、ケイは何かを決心したように少しずつ話し始めました。
気付いたときからお父さんはいなくて、でも、あたしにはお母さんがいた。だからちっとも寂しくなんかなかった。悲しくもなかった。優しいお母さんだった。強いお母さんだった。あたしはそんなお母さんが大好きだ。でも、お母さんが流行り病で死んだ。それからあたしはずっと一人だった。お母さんに会いたくてしょうがなかった。そんな時、話を聞いたんだ。彼岸花っていう花の根元には扉があって、そこをくぐるともう二度と会えない人と会えるんだって。だからあたしは探したんだ。けど、もうこの世界には無かった。
「それで、無いはずの花をどうしたんですか?」
「思い出したんだ」
ケイは暗く沈んだ目で言いました。
「お母さんがずっと昔、あたしがまだ小さかった頃に教えてくれた、緑の庭のことを。だから、此処にこれば彼岸花が手に入ると思ったんだ」
「それで、こんな世界の隅っこにまで来たんですね」
ケイは、唇をキッと噛みながらうなずきました。
「彼岸花、死人花は、確かにこの世とあの世を繋ぐ花とも言えます」
エン静かに語り始めました。
「けれど、世界の隅っこにまで来たケイさんなら分かっているでしょう?何に頼んだって、何に縋ったって、どうしようもならないことを」
エンは何かを決めたように言葉を紡ぎ始めます。
「彼岸花のことを教えましょう。あれは毒草なのです。白い彼岸花はこの世を表し、紅い彼岸花はあの世を表します。白は薬、紅は毒です」
「え、じゃあ」
ケイの目が、何かを悟ったように大きく見開かれます。
「ええ。つまりはそういうことです。彼岸花の根元に扉なんて無く、あるのは毒か薬です」
「じゃあ、あたしは、あたしはッ」
ケイの目からポロポロと涙が零れ落ちます。しまいには、座り込んでただ泣くことしかできなくなってしまいました。
エンはそんなケイの背中を優しく撫で、こう言いました。
「ケイさん、お母さんに会いたいという気持ちはよく分かります。けれど、駄目なんです。生きている人間は、生きないといけないんです」
それは子守唄のように優しく、けれど悲しくもある言葉でした。
「大切な人のことをずっと大事に覚えているのはいいです。会いたいと願うのもいいです。けれど、それだけしか考えなくなるのは駄目なんです。それだけしか考えなくなって、生きていないようになるのは駄目なんです。ケイさん、あなたは生きています」
その言葉に、ケイは顔を上げました。
「だから、楽しいことを知って、悲しいことを知って、嬉しいことを知って、苦しいことを知らないと駄目なんです」
ケイの目に、さっきとは違う涙が浮かびました。
「あたし、あたしっ」
エンは優しくケイを抱きしめました。
「ケイさん、しばらく此処にいませんか?あなたが落ち着くまで、心の整理ができるまで、此処にいませんか?」
一年たった今も、二年たった今も、ケイは変わらず緑の庭にいます。
花と歌い、花びらと踊り、草と芽吹き、風を感じる。
そんな緑の庭で、ケイはエンと一緒に生きていました。そして、これからもずっとそうしていくでしょう。
ねえお母さん。どうして世界は丸いの?
それはね、世界が三角や四角だと、世界の隅っこで独りきりになる人がいるからよ。
ねえお母さん。世界の隅っこにある緑の庭は何処にあるの?
それはね、世界の隅っこにあるのよ。
ねえお母さん。緑の庭の庭師は独りきりじゃないの?
それはね、緑の庭の庭師は一人だけど、その庭にはもう一人いるの。だから、世界の隅っこだけど独りきりじゃないのよ。
ねえお母さん。じゃあ、庭師さんは寂しくないんだね。
この世界の隅っこに、神様が世界中の植物を集めて作った庭があるの。そこには一年中花が咲いていて、もう消えて無くなってしまったはずの花も咲いている。その庭には庭師がいて、たった独り、いいえ。優しい庭師と勝気な女の子、二人で庭を守ってるんだって。
その庭はね、緑の庭、と呼ばれているの。