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[chapter:2]

[chapter:2]


 その後、質問をしようとした羽柴の言葉を遮ったのは、花屋への客だった。

 次いで電話注文が入り、落ち着かないまま羽柴は花々の世話に追われることになった。

 客層は様々だ。

 OLがふらりと立ち寄り、そして何も買わずに出ていった。

 スーツのサラリーマンもやってきて、小さなフラワーアレンジメントを買っていった。

 子どもが数人、それから、買い物帰りの主婦、

 帰宅途中の中年男性。

 別の男性は、飲み屋のママさんへの土産と花束を買ってゆくと言っていた。

 その間にも、植物の入った水をかえ、薬剤を投与し、バケツを洗い、薔薇のトゲを切り、小さなバケットのフラワーアレンジメントを作って並べて、ポップを作る、とそう広くない店内をせわしなく動き回る。

 まるで花のしもべだ。

 ほとんど飲まず食わずで動いているのに、にこにこと優しい笑顔で接客する羽柴へ、客はそれぞれ笑顔を返す。

 不思議なことに、花を受け取った客は、自然と気持ちをゆるめ、表情をゆるめた。

 よく分からない商売が成立するものだ、と死神は、店のすみに何をするでもなくじっとたたずむ。

 夜になり、閉店間際になったところで、ようやく羽柴は一息つく時間がもてたようだった。

 カウンターの後ろに寄せてあったカウンターチェアに座ると、足を伸ばして、ふー。と小さくため息をついた。

 けれども数分後に、「よし」と顔を上げると、カウンターの影においてあったマグボトルを手に取り、一気に飲んだ。

 そして立ち上がると、閉店準備に入る。

 店の前に並べていた鉢植えや切り花を店内に運びいれ、シャッターをしめると、出入り口と看板の電気を消した。

 少し薄暗くなった店内で、簡単に掃除をすると包装紙の切れ端や文房具を片付けてゆく。

 それで終わりなのかと思いきや、今度はカウンターチェアに腰掛け、レジを締める。

 店の薄暗い部屋のすみから動き、死神はカウンターの前に立つ。

 コインカウンターと売り上げ表を見比べていた羽柴は、うーん、とうなった。

「……おかしいなあ、百円合わない」

「ひゃくえん」

 死神がぎこちなく聞き返せば、羽柴はこれ、とコインカウンターの小銭を取り出して、死神の目の前に掲げる。

「これが、お金、百円。分かる?」

「ああ、貨幣ですか」

 人間がモノを買うときに使う通貨。という知識ぐらいは持ちあわせている。

 きちんと見たことはなかったが、その銀色で丸くて薄っぺらいそれは、そんなに重要なものだったのか、と床を指差してやる。

「……さっき、そちらに落ちましたよ」

「えっ」

「受け渡しの時に、落としていました」

 羽柴は、カウンターに手をかけて、下をのぞきこみ「あった!」と明るい声を出す。

「大事なものなんですか」

「えっ? うん」

 貨幣の価値は人間によって違うと知ってはいたが、反応が大げさに見えた。

「大した価値はないでしょう」

「……これ?」

 拾った百円は、汚れていた。

「自動販売機とやらでも、その一枚では足りないのでしょう?」

 疑問に思ったことを問えば、羽柴は思案しながら「そうだなあ」とひと呼吸おいた。

「価値というか、誰かが稼いだ大事なお金だから、大事、かな? 二枚あれば、自動販売機で飲み物が買えるし、もっといっぱいあれば、花も買えるよ。それに、百円稼ぐのも大変なんだよ」

 少し離れたところの花を指差す。オレンジ色のガーベラが並んでいた。

「あのガーベラ、原価……元々の値段ね、百円」

 死神はその花の方を見る。

「百二十円で販売してるから、儲けは一本二十円」

 あの銅の玉か、と思い出しつつ、死神はうなずいた。

「……五本売らないと、その銀色の玉にはならない訳ですね」

「粗利益で言えばね。人件費とか色々あるから、本当はもっとだよ」

 苦笑すると、羽柴は百円をエプロンで拭いて、コインカウンターへと小銭を戻す。

「これを支払ってくれた誰かは、働いてこれを得たんだ。大事にしてあげなきゃね」

「……貨幣は貨幣でしょう?」

 質問すれば、「いやいや」と羽柴は首を振った。

「そもそもこれがあれば、ガーベラ一本入荷できる」

「ああ」

「こっちも商売なんだな」

 いたずらっぽく笑ってから、作業を再開する。

 金額を数えると、カウンター横のノートパソコンで数字を入力してゆく。

 作業が終わって、パソコンの電源を落とす羽柴に背後から問いかける。

「終わりですか?」

 死神が問えば「まさか」と羽柴は苦笑した。

「在庫管理かな」

 羽柴の視線の先を見れば、先程中に入れた店前に並べてあった花束の一部に『半額セール』の名札が寂しそうに揺れていた。

 小さな金庫に売り上げを入れてから、今度は花の整理に取りかかる。廃棄表に黙々と数字を記入してゆく。

 死神はその作業を近くに浮いてながめる。その作業は、死神の仕事にも似ていた。

 そこで、ふと気付く。

「――ところで、私が怖くないんですか?」

「怖いよ?」

 羽柴は手を止めないまま返事をした。

 とてもそうは見えない。

「落ち着いてますね」

 死神が問えば「そうかな」と羽柴が苦笑した。

「それより、疲れちゃったよ。早くごはん食べたいなあ」

「なかなか見ない反応です」

「だって今日はお客さんが多かったからね。それどころじゃないよ」

 自分が死ぬことも、死神がやってきたことも『忙しいからそれどころじゃない』と言い切る羽柴に、死神は戸惑う。

「疲労もピークにいくと、なんか色々どうでもよくなるよねえ」

「――……死ぬのは怖くないんですか?」

「いや、まだ実感がわかないっていうか……。現実味がないっていうか」

 目の前に突然やってきた非現実の存在より、次々やってくる片付けなければならない仕事のほうが重い。

 そういうことらしい。

 今回は変なのが担当になってしまった、そう思いながら「そうですか」とつぶやく。

 花束をばらしながら、羽柴は「とにかく寝転がりたいなー」と力なく笑う。

 客の前で見せることがなかった疲れた顔に、人間らしさを垣間見る。

 ――その内、永遠に寝転がれますよ。

 口に出しかけた言葉は、なぜだか口に出すことはできなかった。

「――……もっと楽な仕事があるんじゃないですか」

 代わりに質問すれば、羽柴が視線だけでちらりと死神を見上げた。

「いずれ枯れる切り花を苦労して売るより、楽な仕事があるんじゃないですか」

 目の前の花々には、生きる鉢植えと違って、死がそう遠くないところに待っている。

 羽柴はうつむいて、手を動かす。

 その作業は、廃棄ではなかった。

「……そうかもね」

 ぽつりと同意した。

「でも、切り花はすごいんだよ。花壇に植えられて、花園の中で来る人を待つんじゃなくて、自分から動くんだ。誰かの思いを乗せて。だから俺は、その誰かを手伝いたいし、いずれ枯れる花を、大事にしてあげたい。それに、花が枯れても」

 羽柴は立ち上がって、手に持った花で作られた小さな冠を優しく撫でる。

 器用に茎が編み込まれ、円形になった外側に、死神が名も知らない花々がきれいにならんでいた。

 少ししおれていたはずの売れ残りたちは、再び役目をもらって胸を張ったように咲いていた。

「――思いは残る」

 穏やかな言葉と、力強い思いに、言葉がつまる。

 そしてにこりと微笑んで死神を見た。

「だから、はい。うまくできた」

 手にした花冠を、死神の頭にのせる。ひらりと数枚の花が落ちて舞う。

 それを器用に空中でキャッチしてから、床に広げた包装紙を丸めて立ち上がる。

 半端な高さで浮いていたので、死神と羽柴の視線の高さがあう。

 今度は、羽柴が死神をのぞきこんだ。死神がわずかに体を引く。

「――きれいな顔してるんだから、笑ったら?」

「――……錯乱してるんですかね?」

「ええ!?」

 私はそんなあなたの魂を回収にきたんですよ。普段なら口にする皮肉がうまく言葉にならない。

 どうにも調子が狂う。

 死神に花冠を渡すなど、コイツもどうかしている。そう思いながら顔をそらす。

「そういえば、名前あるの?」

 平然と、羽柴が己の臨終を見届ける不吉な死神に名前を聞いてきた。

 普段は言わない。

 そんな必要などない。

 互いを知る必要などない。

「――……『シン』」

 その思いに反して、思わず名前を名乗ってしまった。

 後悔しても遅い。

 羽柴は間違いなく言葉を聞き取り、少しぎこちなく死神の名を呼んだ。

「シン、さん?」

「……シン、で構いません」

「うん」

 分からない。

 理由はまったく分からないが、名前を呼ばれたい、と思ってしまった。

「よろしくね、シン」

 エプロンを外しながら、「夕ご飯何にしようかな」と独り言をつぶやいて、店の奥へとひっこんでゆく。その姿を追おうとすると、花弁がひらりと視界をかすめる。

 それを手に取ろうとすると、まるでそれを察知したように花弁が死神の手を避けるようにすり抜けてゆく。花すら避けるのだ。死神とはそういうものだ。なのになぜ。

「相変わらず人間は、――訳が分かりませんね」

 今まで見たこともない。

 錯乱している訳でもなさそうだ。

 現実逃避でもしているのだろうか。

「なんか言った?」

 店の奥から聞こえてきた返事に、

「いいえ、それより疲れているならさっさと帰り仕度をしなさい。花冠など作っている場合じゃないでしょう」

 エプロンを脱いで、小さなバックを持った羽柴が店の奥から顔を出し、わざとらしく不機嫌そうな表情を作った。

「そういう時は、ありがとうだよ」

「――は?」

「あ、り、が、と、う。それぐらい言えるよね?」

 わずかに頬をふくらませてシンに言ってくる。

 なので、思わず、

「……あ、ありがとう、ございます」

 勢いに負けて、たどたどしくその言葉を口にする。

 知ってはいたが、実際口にするのは初めてで、段々と語尾が小さくなるシンに、「うん」と羽柴は笑う。

「じゃあ俺帰る」

 さらりと言われて、店の奥へと姿が引っ込んだ、シンはその背中を追いかける。

「同行します」

「えええ」

 嫌そうに言われた。少しだけ傷つく。

 死を見届けると言ったはずだ、そもそも死神だと言ったではないか、と内心思いつつ、念のために説明を繰り返す。

「他人からは見えませんよ」

「そうじゃなくて、その鎌……」

 邪魔なものを見るような視線で言われて、小さく息をつく。

「消せますよ」

 手を離せば、空気に溶けるように大鎌は姿をくらませた。陽炎の残滓は空中に溶けてゆく。

「うーん、気になるって意味なんだけど」

 その時がくるまで側にいなければならない。なので、距離をおけ、という希望は却下なので無視をする。特に羽柴も言葉を続けずに、会話が途切れた。

 そうして裏口から出ると、羽柴はドアに鍵をかけて外に出た。そのまま鍵をポケットに入れる。

 スペアキーを持たされるほどの立場にいるらしい、と感心するが、考えてみれば仕事の手際もよく、店内の事を熟知しているようだった。

「気になってたんだけどさ」

 羽柴に不意に聞かれて、シンは思考を切り替える。

「何ですか」

「目隠ししてるけど、見えてるの?」

 ……そんなことか。と拍子抜ける。

 脱力しながら、「見えていますよ」と答えると、「すごいねえ」と理解不能なところで感心されてしまう。

 そもそも死神に人間の常識を当てはめる方に無理がある。

「じゃあ、帰ろうかな」


 そうして、星空の下、死ぬ運命の若者と、それを見届ける運命の死神は、ふたりそろって歩きだした。


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