[chapter:1]
[chapter:1]
ぼうぜんと見上げてくる顔を見下ろして、その死神はゆっくりと宣告する。
「あなたを、もらい受けに参りました」
ぽかんとしたその間抜け面は、……少しばかり面白いと感じた。
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花屋の店先で、客の女性と明るく話す成年。その黒い作業エプロンをつけた店員の様子を空中に浮かんでながめる。
やけににこにこしている人間。
第一印象はそんなところで、なんとなく空を見上げれば、雲一つない快晴だった。
色むらすらない空色の下、視線を地上にうつして、そのまま空中へと足を踏み出した。
ゆっくりと空気を踏むように降下して、歩道へと着地する。
それから迷いなく花屋の店先を目指して歩いてゆく。
真っ黒で長いローブは、陽光にも色褪せずに黒さを増し、歩みにあわせて、しなやかに揺れ、地面を引きずっていても傷みひとつない。
立ち去る女性に手を振って、成年は店に入ろうとする。
けれども、踵を返したところで立ち止まり、店先の植木鉢をのぞき込んだ。
そしてその葉を撫でた。真剣な顔で葉焼けした葉の色の具合を見つめている。
目の前まで近づけば、間近で落ちた影にようやく気付いたらしく、愛想のいい笑顔を浮かべて顔をあげた。
さらりとした薄いブラウンの髪が揺れた。
「あ、お客、」
ならべばだいぶ身長差があった。
その柔らかそうな薄茶の髪を見下ろしていると、こちらを見上げて、成年は目を見開いた。
「さん、です、か」
「……そう見えますか」
淡々と返せば、こちらを見上げたまま成年は首を左右に振った。
頭から足の先までほぼ真っ黒だ。長いローブを頭からかぶって、目隠しをして大鎌を持つ人間など会ったことがないだろう。
そして、戸惑いがちに成年が言葉を続けた。
「……ハロウィンには、少し早いように思いますが」
「あいにく私はジャックではありませんが、同業です」
「ど、どうぎょう……?」
ハロウィンの元と言われるケルトのサムハインは死神だ。ジャックはただの迷子だが。
動揺する人間につきあうのが面倒で、押しつけるように自己紹介をする。
「はじめまして、死神です」
分かりやすく伝えれば、成年は「えええ」と小さくつぶやいた。
「……だ、だいじょうぶですか?」
言葉の意味が分からずに、思わず聞き返す。
「はい?」
「暑いですから、熱中症とかでもうろうとしてるんじゃ……、あ、病院、行きますか? もしかして頭とか打ちました?」
どうにも信じる気はないらしい。
もっとも、突然やってきた不思議な格好をした者に、死神などと名乗られれば当たり前か、と思いつつ、余計な心配をする成年に注意換気をする。
「当分ご一緒させていただきますから、あなたが行くというなら同行しますよ。――……もっとも」
手をあげて、死神は成年の背後を指差す。成年はその先を目で追う。
着物をまとった小柄で細みの中年の女性が、不思議そうにこちらを見ていた。
――正確には、成年ひとりを。
「あ、今山さん、こんにちは……」
知り合いなのか、成年は動揺しながら挨拶を返す。女性はわずかに微笑んで、おっとりと質問してきた。
「……できてるかしら?」
え。と、成年は目を丸くする。
それを見て、女性が上品に笑った。
「予約したお花」
その一言で思い出したのか、あわててうなずく。
「あ、は、はい! で、できてます」
「あと、明後日新しい方が見学に来るの。急で申し訳ないんだけど、良いお花あるかしら」
「え、ええ、はい……」
成年は死神をちらちらと見ながら答える。
つまりはそういうことだ。
ついでに、片手にもっていた大鎌を持ち上げる。
透き通った刃先をその女性の首にかけた。
引けば首が落ちる……が、その女性にこちらが見えることはない。
それにそもそも、この人間のからは死の気配は感じない。
やる気のないデモンストレーションに、けれども成年は驚いて、大慌てで大きな声でその行動を咎めた。
「何してるんですか……!!」
「どうしたの?」
成年の大声に驚いて、女性がきょとんとしながら聞き返す。
「えっ!?」
成年が目を見開いて、死神と女性を交互に見る。鋭い大鎌を首にかけられているのに、女性は動揺する素振りもない。
驚く成年に、死神は子どもへと言い聞かせるような口調で教えた。
何度も繰り返し、自分の中では手垢のついた、口にするのも億劫なその言葉。
「……残念ながら、私はあなた以外には見えません。誰かに話をするのは勝手ですが、正気を疑われるのはご自分ですよ」
大鎌をゆっくりとおろす。
引き戻して、道路に柄を突いて少し寄りかかる。言葉をなくす青年に、顎で女性をしめす。
「放っておいていいんですか? 大事な仕事でしょう」
その言葉に我にかえったのか、はっと息をして、ひきつった笑顔を浮かべて女性の方を見ると「すみません」と謝る。
完全に戸惑った様子の女性に、成年は「えーと」と口元に手を当てて、それから気まずそうにつぶやいた。
「あ、あの、……お芝居です」
「え?」
「知り合いが、舞台とかやってて、今度ちょっと出てくれって……」
その不審な言い訳に、沈黙が落ちる。
やがて、女性が小さく返事をした。
「……まあ、……そう」
「ええ、なので、その、練習を……」
成年が気まずい表情を浮かべながら羽柴が力なく肩を落とすと、女性がわずかに微笑んだ。
「羽柴さん、顔が広いですものね」
戸惑いは隠せないが、他に納得のしようもない。そんな口調で女性は、成年――羽柴の言葉にうなずいた。
羽柴も曖昧に笑ってごまかす。
そんなやり取りを特になにもせず、ただ眺めるだけの死神を、羽柴は不審者を見るように時々視線を向けた。本当にそれがそこにいるのか、という確認をするような視線を死神は受け流す。
他者に見えないものが見えるとするなら、己に問題があると思うのが普通だろう。
人間の変わり映えのしない反応と視線を受け流し、死神は店をながめる。
そこには、色とりどりの花々が陳列され、手に取ってもらえる瞬間を今かと待っていた。
けれども、その花々には、死の気配は色濃い。
人間からはどう見えるか知らないが、死神からみれば、そう遠くない内に植物としての終焉を迎える死の気配が色濃く見える。葬列目前の山に見えなくもない。
「明後日のお花は、いけばなですか」
「娘がやってるフラワーアレンジメントの方なの」
平静を装う羽柴の近くで、何をするでもなくやりとりをながめる。さっさと死んでくれないものか。
立っているのも面倒になり、その場に腰かけて足を組む。
ふわりと空中に浮かぶ死神を見て、羽柴はますます表情を暗くした。
そして死神を視界に入れないようにしながら、「どうぞ」と二人連れだって店内へと入ってゆく。
死神も、大鎌の柄をとん、と道路について、水面を浮かぶようにその後へと続く。
「……ええと、ちょうどセリの日なので、ご希望の花があれば」
「ありがとう。ちょっと見せていただくわね」
「ええ、どうぞ」
どことなく疲れたように羽柴は答え、それから上目づかいで空中に浮かぶ死神を見上げた。
その視線は不安と不審が色濃い。まるで幽霊を見ているような反応に、死神はわずかに首をかたむけて反応する。気まずそうに視線をそらして、羽柴はうつむいた。
残念ながら、羽柴の前から自分は消えることはない。その命が終わる時まで。
「ちょっとお花包んでますから、ご自由にどうぞ」
羽柴はカウンターの中に入り、女性は店内の花を見てまわる。
少し距離ができたところで、羽柴は不審をあらわにして死神を見上げた。
「……疲れてるのかな」
はあ、とため息と小さなつぶやきがこぼれた。
「あなたは疲れると幻覚見るんですか」
「まさか……」
小声で言いながら、羽柴はアレンジメントだけが終わった花束を手にする。
鋏で余分になった茎や葉をぱちぱちと手際よく落としてから、水を含ませたフェルトとアルミホイルで手際よくくるんでゆく。
「見事ですね」
死神の言葉に「うう」と羽柴はうめいた。
「……幻覚が話しかけてくる……」
疲れた様子で羽柴はつぶやき、やれやれと死神は肩を落とす。
その内に女性に呼ばれ、羽柴はメモ帳片手に接客にもどる。
値段や季節感、開花のピークや手入れのしやすさ、そんな話をしながら注文を取るのを眺める。
どんくさそうだと思っていたが、その動きはなかなか手際が良い。
カウンターで花束をラッピングして渡す。
「仕事に困ったらうちにいらっしゃいな。あなたなら良い先生になるわ」
「花屋のしがない従業員ですよ。お花の先生なんてがらじゃありません」
苦笑してしながら会計をする。スタンプカードとお釣りを返して、羽柴は柔らかく微笑んだ。
「でもありがとうございます。展覧会がんばってくださいね」
「ぜひいらしてね」
はい、と笑顔で返事をして、羽柴は女性を出入り口まで送る。
そして店のなかは静かになった。
……無人になった店内で、おそるおそるゆっくりと振り返る。
「お話しさせていただいてもよろしいですかね」
死神が問えば、「どうしよう。やっぱり見える」と羽柴はつぶやいた。
「……病院行った方がいいのかな、休んだらなんとかなるかな」
目に見えてうろたえる成年からは、先程のてきぱきとした手際のよさは感じない。むしろトロそうにすら見えた。
やれやれとため息をつきたくなりながら、説明を続ける。
「あなたは異常でもなんでもありませんから、落ち着きなさい。……死の宣告を受けたでしょう」
羽柴はぽかんとする。
それから、思い当たることでもあったのか、段々と青ざめる。
「あ、あの手紙……!?」
「他に何がありますか」
「あれいたずらじゃ……」
そう解釈したのか、とわずかに鼻で笑う。
見るものが見れば分かるだろう。あの手紙を受け取った時点で、もはや運命からは逃げられない。
「ただの不幸の手紙じゃ……」
「そうですよ」
間違いではないので肯定し、補足してやる。
「『ただの』ではありませんが。『絶対の』不幸の手紙です」
そして沈黙が落ちる。
……静かな店内に、華やかな空間と隔絶するように重い沈黙が落ちた。
ポップに装飾された値札や、外から聞こえる車の音、鳥のさえずり。花々はわずかな風に揺れていた。
同じような日々の繰り返しなのだろう。
昨日も、今日も、そして明日も。
死神は冷笑を浮かべて、明るい日差しの外を見る。
平穏無事な毎日を繰り返す日々の中、――死神はその隙間に唐突に入り込む異物だ。
ぼうぜんと言葉をなくして見上げてくる羽柴を見下ろして、その死神はゆっくりと言葉をつむぐ。
「私は、あなたを、もらい受けに参りました」
ぽかんとしたその間抜け面は、……少しばかり面白いと感じた。
さて、どう出るか。
泣くか、怒るか、認めないか。
いずれにせよ、相手にするのはめんどうだが、これも仕事だ。
反応を待てば、羽柴はゆっくりと少しうつむいた。
そして、口元に手を当てて少し考える素振りを見せて、それからゆっくりと顔を上げた。
「……俺、死ぬの?」
おや、めずらしく素直な人間だ。死神は少し羽柴に近づきながら答える。
「ええ」
「いつ死ぬの?」
「私にも分かりません。その時が近づけば分かるようになります」
「どうして死ぬの? 病気? 事故? 事件?」
自殺、などという選択肢が出てこないのは、この人間らしい。と死神は思いながら、答えになっていない言葉を返す。
「それも知りません。あまり担当者の死因に興味がないもので」
組んでいた足を降ろし、立ち上がると、上から見下ろす。光源が遮られ、その顔に影が落ちた。
羽柴がわずかに身を引いた。
めそめそと泣かれるか。この気弱そうな人間は、生死の荒事とは無縁の世界に住んでいる。
けれども、死神の予想に反して、羽柴はじっと死神を見返した。
真剣なその表情に、怯えはない。
黒い瞳の虹彩は色が薄く、紫がかっていて透き通るように見えた。
猫の目のようだ、と不愉快そうに眉をひそめながら、死神は――
「きたるべき時まで、あなたを守り、側に控えます」
うやうやしく、宣誓した。