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◯◯が◯◯シリーズ

夜が強い

作者: 腰光

以前、朝が弱いというエッセイを書きましたが、それとはまったく関係のない短編小説です。

 あいは鏡を見ていた。背中まである自慢の髪の毛は乱れ、軽く化粧のとれかかった顔は少し疲れて見えた。大きな目も今は曇っていて、鏡の中の自分は生気が吸い取られてしまったかのようだった。バスタオル一枚の体は発育していて、胸の膨らみは女性であることを主張している。あいは指で口の端を持ち上げた。しかし、鏡の中の自分はただただ気持ち悪いだけで、笑うことはできなかった。あいはため息をついてバスタオルをとると、バスルームへ入った。

――お母さん、心配しているかな。

 シャワーにうたれながら、あいは母親のことを考えていた。


 今日はいつもと変わらない朝だった。お母さんに起こされて朝食を食べ、髪をとかして、軽く化粧をしてから、いってきますの挨拶をして学校へ行った。学校ではいつもの友人とくだらない話で盛り上がったり、真面目に授業を受けたり、居眠りをしたりした。ただ、放課後が近くなると少し気分が悪くなった。保健室に行くと、少し熱があるとのことだった。今日は学校が終わったら塾へ行く予定だったが、休んで家に帰ってゆっくりしようと思った。そう思っただけなのである。

 家の玄関を開けると、革靴があることに気がついた。お父さんが帰ってきているのかもしれない。

 ――お父さんも調子が悪かったりして。

 そんな想像をすると、少し可笑しくなってきた。だが、居間にはお父さんもお母さんもいなかった。看病でもしているのかなとお父さんたちの部屋を覗いた。お母さんと声をかけようとしたが、あいは固まってしまった。

 知らない男がお母さんに覆いかぶさっている。お母さんはその男を受け入れるように抱きついていた。あいは理解した。母親が不倫をしていることを。

 あいは玄関へ急いで向かうと、制服のままで家から飛び出した。後ろから声が聞こえたような気がするが、あいは振り向かなかった。

 家に帰ることができなくなったあいは当てもなく繁華街を歩いた。あいは美しい髪の毛や顔、スタイルの良さから学校でも人気があった。じろじろとあいのことを見る男たちの視線を感じると、お母さんの情事が思い出されて叫びたくなりそうだった。あいは自然と人のいない方へと歩いていった。


 夜も更けてくると、あいは疲れて自動販売機の横に座った。そこに一人の青年がジュースを買いにきた。お金を入れてボタンを押すとペットボトルが落ちてきた。青年はそのスポーツドリンクをあいに差し出した。

「どうしたんだい?」

 あいは初めて青年の顔を見た。端正な顔つきに優しい目、電灯に照らされた髪の毛は透き通るような金髪をしていた。あいはスポーツドリンクを受け取ると、蓋を開けて半分ほど一気に飲んだ。

「これ、美味しくないね」

 あいがそう言うと、青年は「俺は好きなんだけどな」と言って苦笑した。あいは青年に好感を持った。そして、隣に座った青年に母のことを話した。

「いわゆる不倫ってやつか。それはショックだな」

 青年はあいの話を黙って聞いた後、一言そう言った。

「なんで、お母さんがあんなことをするのか私にはわからない。朝はあんなに優しかったのに。昨日だってお父さんとお母さんは普通に話をしてた。なのになんで、あんなことができるの?」

 溢れてくる涙を拭おうとしたとき、青年はハンカチをあいに手渡した。

「なんでなんてことはわからないよ。大人の事情ってやつで片付けられてしまうものかもしれない。きっとお母さんは家族のことを大切にしていると思う。だけど、それを壊してもいいほど、不倫ってやつが魅力的だったのかもしれないね」

「魅力的?」

「ああ、君は処女かい?」

 急な青年の質問にあいは顔を赤くした。こんな質問に答えられるわけがない。黙っていると青年は夜空を見上げて続けた。

「僕は童貞なんだ。だから不倫とかセックスとかがどれほど魅力的なのか知らない。君が経験者なら聞いてみたいと思ったんだけど、さすがに失礼すぎたかな」

 あいは青年の告白を聞いて笑った。

「処女だよ。私も何も知らない」

 くすくすと笑い続けるあいを青年はじっと見つめた。

「じゃあ、試してみようか」

 そう言って、青年は少し遠くの建物を指さした。そこにはホテルの文字が見える。あいは青年が何を言いたいのか理解した。青年はもしかしたら元々それが目当てだったのかもしれない。あいはそう思って暗くなった空を見て、繁華街の明かりを見た。

「いいよ」

 あいはそう答えた。この日の夜はあまりに強すぎた。


 ホテルでの行為はあっという間に終わった。初体験同士の試行錯誤しながらのセックスである。

 ――何の魅力もない。

 あいはバスルームから聞こえてくるシャワーの音を聞きながらそう思った。青年となら何か見つけられるかと思っていた。だが残ったのは虚無感と少しの痛みだけだった。青年はバスルームから出てくると、あいにシャワーを浴びるよう勧めた。あいは気だるそうにベッドから起き上がって、バスタオルを体に巻いた。

「後悔しているんだね」

 青年はあいの背中にそう語りかけた。

「……してないよ」

 そう言ってあいは窓を見た。外は暗くて何も見えず、ガラスは情事の終わった室内を写していた。

「夜って怖いね」

 あいはバスルームへ向かった。


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