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こわい

 楊が待ち合わせのレストランに辿り着くと、息を切らせた彼を待っていた幼い少女は、いつものように大人の女性のような微笑みだけを彼に与えた。

 肩までの細い絹糸のような髪の毛はさらさらと流れ、漆黒のつややかな輝きを放っている。

 大きな二重の眼は、丸くて大きいというよりも切れ長にも見える美しい流線を描いている。

 その瞳を飾るまつ毛などは、目尻に近づくにつれて長くなっているという不思議なものだ。


 楊は少女の完璧な卵型の輪郭どころか、完璧な鼻と口元が完璧な配置を成されているという、白波家の最高傑作ともいえる少女の顔の美しさに感嘆しながら、情けなくも少女の指図に従って彼女の向かいとなる椅子に腰を下ろした。


 彼女はピンク色の長袖の総レースのワンピースを着ており、そのワンピースは二十歳ぐらいの女性が着るデザインのミニチュアサイズでしかなかったが、裾から突き出している細い足が履いているタイツは、紺地に煌びやかな宇宙がプリントされているという楊の心が惹かれてしまったものである。

 靴などは厚底の甲にベルトがある黒いパンプスだが、爪先が普通以上に丸いデザインが可愛らしさよりもハードさが先立つという、いつか純子の為に買ってあげたいとまで思わせるものであった。


 楊は少女と初めて会った日も彼女の出で立ちに驚かされたと思い出しながら、その時は家出少女だった彼女が紫色のコロコロ鞄を持ち歩いていたと見れば、彼女の座るソファの楊から左横には、コロコロ鞄ではなく紫色の風呂敷に包まれたカラーボックスサイズの四角い大きな物が鎮座していた。


「また家出?こんな大きな荷物、君がどうやってここまで運んできたの。」


「こんにちはの前に、それ?心配なさらなくとも、あたくしには下僕は多いし、あたくしが重いものなど持つことは無いからご安心なさって。」


「でも、家出は、した?」


 くすくすと少女は笑い出し、しかし、八歳の少女が笑う姿を目にしながら、どうして自分の祖母を思い浮かべてしまうのだろうかと、楊は心の中で小首を傾げるしかなかった。

 白波矢那にはどうして初々しい子供っぽさが無いのだろうか、と。


「あたくしの誘いにあなたが飛んできてくれたのは、あたくしの家出を心配してくれていたからなのね。白波の火の粉は怖いものね。」


「普通に心配でしょう。君は八歳のお子様じゃないの。全然可愛げがないけれども。」


「あら、まぁ。かわちゃんたら。でも、可愛げが無いあたくしを心配して下さったことには感謝するわ。」


「それで、大事なものを返して欲しかったら五分以内に君の所に駆け付けろ、と、脅迫した君が持っている俺の大事なものって、何?」


「こちらですわ。もうかわちゃんは安全でしょう。どうぞ、お受け取りになって。」


 矢那が右手で指し示したのは風呂敷に包まれた大荷物で、矢那に反抗する気力もない楊は言葉通りの子供の使いとなって大荷物に近づいた。

 しかし荷物を前にした途端に楊は家族の顔を思い出した。

 守るべきものが増えた楊としては、今度こそ訳の分からないものを受け取るわけにはいかないと、急に思い立ったのだ。


 今の彼には妻と子供、そして妊娠中の孫娘、さらにはオカメインコと文鳥二羽という守るべきものが沢山あるじゃないか、と。


 楊が妻の愛猫を家族に入れていないのは、その猫が鳥達との同居を認めても楊をどうしても受け入れてくれないからである。

 そんな家族のためにと、楊は中を検める為に風呂敷の結び目を解いた。


「おとーさん。おとーさん。おとめ、くく。」


 それは大きな鳥籠で、中には楊の失っていたはずの緑色の恋人がいたのである。


「え、どうして、乙女が。あぁ、乙女。どうしたの乙女ちゃん。」


 鳥籠に縋りつく楊は、矢那に膝裏を蹴り飛ばされた。


「いたっ!」


「しっ。このおバカ。いくらファミレスでもペットは非常識でしょう。早く仕舞ってしまいなさい。」


「はい。申し訳ありませんでした!」


 楊は完全に子供の使いとなって風呂敷で乙女の籠を包み直し、そして、楊達を見ない振りをしながらテーブルに料理を並べだした店員に感謝しながら席に戻った。

 矢那は母親のような顔をして楊が席に座る動作を見守っており、その不敵な微笑に楊は感謝の気持ちどころか不信感だけがせりあがってきていた。


「おいしそう。いただきます。」


「……乙女は、君が匿っていてくれた?」


 矢那は片眉をそっと上げただけで、彼女の目の前のチラシ寿司に箸を伸ばし始めた。

 色とりどりのチラシは五目チラシで、桜でんぷに錦糸卵、そしてオレンジ色のイクラがこんもりと乗っている。


「君は卵だったら魚卵も好きなんだ。」


「あなたは食べないの?ここはあなたが支払うのよ。」


「……いただきます。」


 ファミレスと言えども高級料理屋の花房系列の店で値段が高いという噂の店だったと楊は思い出し、自分の損失を少しでも補填しようと目の前の自分用の矢那と同じちらし寿司セットにむかった。

 見下ろしてみれば、この可愛らしいセットは吸い物にほうれん草の卵焼きと茶碗蒸し、そして、小さなプリンアラモードという組み合わせである。

 卵ばかりだとメニューを見直せば、このちらし寿司セットは小鉢を好きに選べるというもので、ここでようやく楊は矢那の子供らしさを見つけたようで嬉しい気持ちになったのである。


「やっぱり、卵だ。矢那は卵大好きの卵星人だ。乙女を匿ってくれていたお礼に、またパンプティングを作ってあげようか。」


「いいわね。もう十年したらあたくしたちは結婚して、あなたはあたくしに毎日卵料理を作ってくださるのね。あたくし、かわちゃんのプリンに惚れましたのよ。」


 かつんと、楊の手から割りばしが落ち、楊は割りばしの持ち方も、これから何をしていいのか、あるいは、自分の名前さえも忘れてしまった状態に陥っていた。


「どうしたの?おバカさん。早い話、あたくしはかわちゃんが気に入りましたの。かわちゃんの婚約者はあたくしの馬鹿兄とハッピーエンドにしましたし、かわちゃんは松野さんに手渡しましたから、あたくしが成長しきるまでかわちゃんに変な虫が付くことも無くなって、あたくしは一先ずの安心ですわ。」


「え、ちょっとまって。え?俺は十年後には四十代だよ。加齢臭のオジサンだよ。」


「あら、でしたら頑張って精進なさって。あの長谷さんの若さを保つ術を会得して下さいな。あたくしが白波の女王であることはお気になさらず。かわちゃんは設楽季の財産を手に入れた富豪ですもの。松野も手中に収めましたし、白波であたくし達を反対する者など、もはやおりませんわ。」


 楊の目の前でコロコロと笑う八歳児の姿をしたやり手婆に、楊はあの夜必死に楊にしがみついてきた乙女の本当の怯えを知った気がした。


 楊だって、前世の父親だった長谷に心の中で叫んでいたのだ。

 おとーさん、怖いよ!って。


(終わり)

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