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こども

「百目鬼さん。来ましたよ。来たのは探していた村上でありがたいですけれどね、奴が歩くだけで庭中が火の海です。燃えるはずのない生木でさえもメラメラと燃えていますよ。あなたはあれを本気でどうにかできると思っているのですか。」


 俺に頼るような口調でいながら、髙は銃を取り出していち早く俺に背を向けて化け物に対峙するかのように身構えている。


「困りましたよ。クロに会えるかもって、一張羅を着てくるんじゃなかった。」


 ため息交じりに葉山はスーツの上着を脱ぎ捨てると、胸元に釣ってあるホルスターから銃を引き出して髙と同じように構えだした。

 俺は座卓を前に座ったまま、座卓に乗っているパットに映し出される侵入者の情景を眺めていた。

 腹水が貯まっているかのように腹が大きく突き出してたるんでいる男は、腹をたぷたぷと揺らしながら、のそりのそりと俺達の待つ応接間に向かってきており、彼が一歩進むごとに次々と火を噴き出して、燃え盛った炎の道を作り続けている。


 骨と皮ばかりどころか、骨格が少々歪み、腹だけ大きなその姿のシルエットは餓鬼そのものであり、燃え盛る炎という地獄の住人にふさわしい出で立ちでもあった。


「あれは、何でしょうね。何が燃えているんでしょうね。」


「化け物に、何か、は、無いでしょう。」


「そうですかね。現象があるのならば、そこに化学式もあるはずかなあと。生木が燃えるはずのないのは水分を含んでいるからでしょう。少々の小火で燃えるはずが無い。それが燃えるのならば、水分によって何か化学反応が起きていると俺は考えてしまいますね。」


「ああ、もしかして強アルカリ性金属?水と反応して水素を発生ですか。」


「あぁ、俺もそう思ったが、うーん。それだと肉体までも破損してしまうね。」


「では、アンモニアではどうでしょう。相手が生物だと考えれば、アンモニアが体内で作られていてもおかしくはありませんし、もしかして、硝酸アンモニウムなのかもしれない。すると、あれは、硝酸塩に人体の脂肪と体液の絶妙な配合で出来たエマルション爆弾。」


 葉山が俺に嬉しそうな声を出して答えると、髙も明るい声を部屋に響かせた。


「それで今の状況がかわりますか?化け物が動く爆薬でしたら、僕達は軽装すぎたって後悔しか無いじゃないですか。気休めですが、粉塵マスクでよければどうぞ。」


「そうですね、髙さん。化け物は化け物でした。」


 俺と葉山は髙が投げ寄こした黒いマスクを受け取り、すぐさまそれを口元に装着した。それから俺はすっくりと立ち上がり、化け物が来るだろう応接間の襖へと体を向けた。


 化け物に対峙するのは俺達三人。


 ぼうっと、俺達の最期の城壁である襖が燃え盛り、俺達はようやくのご対面だ。

 楊の家を破壊した時に、楊の家の破片ごと駐車場に叩きつけられて破壊されたはずの人体は、赤黒く透明なもので無理矢理につなぎ合わされていた。

 赤黒いヒルのような生物の体液が村上の脳に酸素を送り続けて、それで彼はまだ生きている、のだろうか。


「遺体安置所から歩いて消えたという説が正しかったですね。この顔は元人格改造セミナーの主催者ですね。」


「あぁ、僕はやっぱり育休を取りますよ。戦い慣れたゾンビならまだしも、こんな完全なB級映画の世界はごめんこうむりたい。」


「一抜けは駄目ですよ。俺は永遠の出向を解かれたと言っても、戻った警察庁ではこんなもの専門の捜査官に抜擢されてしまいましたから。絶対に髙さんの育休は認めません。」


「ははは、それじゃあ、警察官のルールを捨て去りますよ。キャリアさんが逃げ出したくなるほどにね。」


「ははは。それこそ大歓迎です。」


 俺の両脇は警官らしく「止まらねば撃つ」と注意喚起はしたし、村上の罪状等を唱えて村上が無抵抗になるように村上の自由意思に訴える努力はしているような体裁は整えていた。

 しかし、その前座が終わるや、彼等の持つ小銃は小気味よいほどの破裂音を連続してたて始めた。


 パン、パン、パン、だ。


 だが銃弾は当たっても村上の体表で弾けるだけで、村上の動きを制するには及ばず、それどころか、弾けた弾丸の破片や体液が、飛んだ先で小爆弾を起こす有様だ。

 髙も葉山も、小銃による被害の拡大と自分達への危険を察知して撃ち方を止めたが、応接間を一歩一歩と進む村上であった生き物から小銃の狙いを外すことは無い。

 彼らはその生き物の行動範囲を右に左にぶれない様にと、銃を向けつつ威嚇するようにして左右に広がりながらじりじりと下がっている。


 村上は髙達が下がった分だけ前を進み、今や俺の真正面だ。


 俺は村上の方に座卓の端を持って跳ね上げた。


 座卓は村上側に倒れ掛かり、村上は座卓に押しつぶされない様にか咄嗟に面を両手で押さえ、座卓は殆ど直立したような格好となった。


 ぼう。


 自らの進む道を遮られた事への怒りのように、村上の周囲で大きく炎が噴き出した。

 しかし、漆塗りを施された座卓が簡単に燃えるわけもなく、座卓を燃やそうとの試みにより一気に周囲の畳こそ焼き焦がしただけである。


 ズザシュッ!


 畳は村上を襲うように二つ折りに両端が持ち上がり、村上はそれに呼応するように大きく炎を立ち上げたが、ゴザを貼り付けただけのべニア板の裏側を捲る事になった原因は俺の目の前から消え去った。


 座卓の重さと炎で偽物の畳に大穴を空けて、俺達が作った奈落へと村上は姿を消したのである。


 持ち上がったまま穴の煙突のようになっているべニア板もメラメラと燃え盛り、俺が手前の板を安全靴で蹴り飛ばすと、それも村上の上へと崩れながら落ちて行った。


「重機も無しに、鑑識班は少ない時間で物凄い穴を空けましたよね。」


 俺の隣から葉山も穴の底を伺い、人海戦術で深さ二メートルの落とし穴を作り上げた鑑識班へ賞賛の声をあげた。


 地の底の村上は何が起きたのかわからない表情を顔に浮かべているが、重たい座卓と一緒に落ちた衝撃で体をつないでいた物が破壊されたのか、腕に足にと、通常の肉体に戻ったらしい人体部分が炎に巻かれて燃え始めている。

 ただ、頭だけは燃えかけていてもまだ意識があるのか、自分に起こった出来事をゆっくりと見回したのち、驚愕の表情のまま俺を見上げてきた。


「百目鬼さん、この状態なら放って置いて大丈夫でしょう。僕達もそろそろ引き上げねば。」


 葉山は髙の言葉に自分の脱ぎ捨てた上着を拾い上げに穴から身を離したが、俺は穴の中の自分の死に抵抗し続ける生き物をじっと見据えていた。

 村上の体は残っていた人間らしい部分、腕や足などは肉がそがれ骨が見える程に燃え盛り、頭部ももはや皮膚が爛れて捲りあがり、眼球などは真っ白に濁ってしまってはいるが、それはまだ俺を、否、誰かを求めて見上げているのである。


「先に行ってください。俺はまだやることがある。」


「百目鬼さん?」


「人として死なねば、あいつは成仏できやしねぇ。俺は坊主なんでね。」


 人は生きている限り生きているのであれば、自分が死んだ事に気が付いて自分に引導を渡すことが出来れば、そこで生を終えられるのではないのかと俺は思うのだ。

 濁った眼球を俺に見据えて何か言いたそうに魚の様に口を動かす村上に対し、俺は彼の耳が聞こえなくとも届くようにと、彼が成仏できるようにと、できうる限りの冷徹で荘厳な経を唱えてやろうと大きくばしりと両手を合わせた。


 この家の女主人が今まで夫から逃げなかったのは、未婚の時に産み、親族筋へ養子に出して忘れ去っていた子供という過去があったからだ。


 彼女は自分にその咎を課すために暴力的な夫に耐え、そして、その子供さえも夫に殺されたのだと俺に告白した。

 彼女は男よりも寿命の長い女の体に望みをかけ、谷矢部が動けなくなった暁に復讐をしてやるのだとその思いだけで耐えていたのである。


「お前の母親は、お前を見捨ててはなかったよ。」


 穴の中の炎はそんな俺に答えるかのように火力を増し、しかし吹き出た炎は俺の顔を焼く前に室内で起きた風で進路を変えた。

 その時に、俺はその風の中で聴くことなど出来ない筈の懐かしい声が耳元で聞こえた気がしたのである。


「死んだ者に情をかけてはいけない。あの世に叩きつける勢いで経を読むんだ。業を断ち切ってやってこそ、その先の極楽浄土に辿り着ける。」


「えぇ、俊明さん。それこそが俺達の業で情けだ。」

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