守るべきもの
元自衛官だった若尾が民間の警備会社に就職したのは、結婚相手を間違ったからだと彼は考えている。
自衛隊のデモンストレーションで出会った女性は、若尾を支えたいと自分から若尾に告白しておきながら、震災等で彼が家を空けるたびに「耐えられない」と離婚を切り出して来たのである。
勿論、若尾はそのことに対して傷ついたが、自分の仕事では仕方が無いと思っただけで転職しようなどとは考えることは無かった。
彼に自衛官を辞める事を思い至らしめのは、離婚したはずの妻が別の自衛官と再婚しており、若尾に自慢するかのようにその姿を見せつけたからである。
大柄の厳つい顔の若尾はその尉官の若者と比べれば不細工この上なく、彼女が耐えられなかったのは自分自身の姿形であったのかと彼は自暴自棄となり酒量が増えたりもした。
そんな彼を慰めるためなのか、高校時代の友人が彼を気分転換だとサバイバルゲーム大会に誘った。
若尾はそこで長柄裕也に出会ったことで自分の人生を建て直せたのだと述懐する。
標準身長も無い位のひょろっとした今風の若者は、博多人形の様につるっとした印象の顔に人好きのする笑顔を浮かべて、一緒にお姫様を守らないかと若尾を誘ってきたのである。
「お姫様?今度そういうシチェーションの大会があるのか?」
「ううん。普通に実生活の中。お姫様だからね、僕は遠くから見守って、いざという時に助けるという準備をしているの。一人じゃ大変だからね、君も参加しない?」
若尾は目の前の優男がストーカーでもしているのかと考え、この優男に狙われているらしき少女を守らねばと、裕也に同調するようにして尋ね返していた。
「お姫様によるかな。どんなお姫様?」
裕也が若尾に見せた写真の中の幼い少女は、写真の中ではにかんだ様に笑いながら学生服姿の裕也の後ろから顔を出していた。
真っ黒のふわふわの髪の毛に縁どられた真っ白い肌の少女は、絵本の中の白雪姫そのものであり、この大きな目で見上げられるのならば、一生下僕でもいいと彼に思わせたほどの美しさを誇っていたのである。
「え、この方は、婚約者で?」
「ううん。はとこ。可愛いでしょう。でもね、不幸なの。今は記憶喪失でね、無理矢理に記憶を戻すと死んじゃうって言われているから会えないんだ。クロちゃんがいじめで殺されかけた時にね、駆け付ける途中のお母さんが死んじゃったから。だからね、会えないんだよ。僕に会って思い出して、ママは?って気が付いたら、あの子は死んじゃうんだ。」
「俺も一緒に守りますよ。」
すんなりとその言葉を若尾が裕也に返していたのは、彼は写真の中の美少女よりも、会えなくとも大事な彼女を影ながら守ろうとする裕也の意思に、自分が自衛官の道に進んだ時のことを重ねていたからだと今ではわかる。
「暗闇の中の光を守る」
それが長柄警備のモットーであり、若尾はそのモットーを大事にするこの会社を愛してもいるのだ。
たとえ社長が濡れ衣で拘置所に放り込まれ、親族に罰として社長職を解かれてしまったとしても、彼は裕也が必ず帰ると信じて仲間達と共に長柄警備を守っていたのである。
「それが、こんな、訳の分からないものと戦う目に遭うとはね!」
飛び掛かってきた何体目かの赤ん坊にしか見えない形の軟体生物を跳ね飛ばすようにナイフで切り裂き、落ちたそれを若尾はできるだけ遠くに行くようにと、今度は足で強く蹴り飛ばした。
蹴り飛ばしながら、この状況を楽しんでいる自分に気が付いてもいた。
「俺は人助けよりもサバイバルゲームが好きなだけなのかな。」
「僕もそうだから気にしないで。」
「え、社長が好きなのは人生ゲームの方では無くて?」
「人生をやり直し中の僕に、そんな当てこすりはやめて。」
「はは。でないとやってられませんよ。なんですか、これは?」
「僕にわかるわけ無いじゃない。」
襲い来るモノ達は丸みを帯びた赤ん坊のような体に、目鼻は無いが、牙が円を描くように並んでいるという大きな円形の口を持っている。
それで獲物に貼り付いて血を吸い始めるようなのだが、血を吸われたらしき白波警備の一人は朦朧としながらも必死に傷口を押さえているが、血が止まらないのか傷口を抑えた手の隙間からだらだらと血が零れて床に血だまりを作っているのだ。
その血溜まりには何匹かの化け物が集まっており、血を舐めとる度に牙が床にこすれて起きる耳障りな音をフロアにいやらしく響かせている。
「何度も言いますけれど、何なんですか、これは。」
「何度も言うけどなんだかわからない。でも、ひとつ言えるのは、どうして姫を連れてこなかったの。」
「え、普通に守るでしょう。こんなものから。」
「知らないの?クロちゃんの敵は人間で、妖怪の類はお友達なの!だから暗闇の中で燦然と輝く星なの。ルシファーみたいなものなの!」
「えぇ!そんな暗黒なものを守ってたんですか!俺達は!」
若尾は裕也に傷口は見当たらなくとも、化け物の毒気に頭をやられたのかと思い当たった。
しかし、もともと常識のない男だったなと、目の前の敵に集中することにした。
だが、彼が突然起こった甲高い怒り声に驚きつつ目にしたのは、守るべき青いドレス姿の姫が惨劇の中で凛と立ち、そして、目の前で蠢く化け物に脅えるどころか無造作に蹴り飛ばす姿だった。
「え?」
「ちょっと!早く動いてよ!塩水を持ってくるだけでしょう!このノロマ!」
守るべき人物が扮装しているキャラクターそのものの高圧的でろくでもないセリフを再び叫ぶと、若尾の後ろの廊下でドアの開閉音が聞こえた。
その後すぐに重たい足音が若尾に向かって近づいて来たのだ。
後ろを向けば、仕立ての良いブルーグレーのスーツ姿の青年が大きなタライらしきものを抱えて走ってきており、彼は若尾を通り過ぎると、エレベーターホールの白波警備の三人に向かってその水をザバンと駆けた。
みるみる彼らを囲っていた化け物数体は縮こまり、その姿を見るや、青年は再び踵を返して出てきた部屋へと走り戻って行ってしまったのである。
「若尾さん、裕也君、大丈夫?大丈夫なら、あそこの三人の避難と手当てを受け持ってもらえますか?」
「もちろんです。ようやく姫らしいお言葉で、俺は嬉しい位ですよ。」
若尾が玄人にまで皮肉を言ってしまったのは仕方がないであろう。
しかし、目の前の美しいだけの玄人は姫らしく高慢ちきな視線で若尾を射貫いただけで、すいっと踵を返してエレベーターホールに戻ってしまったのである。
「ちょっと、姫!そっちは危ないですよ!」
若尾の心配した声に答えるどころか、玄人はエレベーターホールの真ん中で、顔を上向けて天井に向かって睨め付ける様にしてじっと眺めているだけである。
「姫?」
「若尾さん。こいつらはダクトに仕掛けられていたんだと思う。」
「では、ダクト内にまだ多くがいるかもしれないと。」
「うん。」
「それは後でいいから、若尾、僕達は白波警備の三人を助けよう。彼らは血が止まらないからか、ほら、あんなにもぐったりとしている。」
「あぁ、いけない!」
すると、また後ろから走ってきた足音が近づいて来て、若尾と裕也共々白波の若社長に頭から塩水をぶちまかれたのである。
頭から何かがずるりと肩に落ち、それが床に落ちる光景を若尾は眺めながら、どうして自衛隊員のままでいなかったのかと、七年ぶりに自分の浅はかさを呪っていた。




