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結婚問題

 石崎純子の両親の死は、普通のただの事故死であった。

 子供を置いて友人達と遊びに行き、そのまま飲酒運転で自損事故を起こしたというだけである。


 水野は兄夫婦の離婚後も、それどころか純子が兄の子でないと知ってからも石崎家に足を運び、無理矢理にでも子供の様子を伺っていたようである。

 恐らく純子に会うためだけにいくらかの金も包んで渡していたのだろうと、楊は気付いてやれなかった部下の苦境を思ってか、悔しそうに重ねて言った。



「それで、事故で子供も一緒かと駆け付けたら両親だけで、慌てて石崎家に走ったら、風呂場に泣き疲れた赤ん坊が寝ていたと。」


「そう。」


「あ、あんま。あんま。」


「あぁ、じゅんじゅんごめんねぇ。はーい、ばななぷりーん。」


 楊は小さなヘラのようなスプーンで小瓶の中のドロッとした物を上手に掬い取ると、膝に乗せた赤ん坊の小さな口に上手にスプーンを入れ込んだ。

 赤ん坊はちゅっという音を口から立てると上手に飲み込み、再び「あんま、あんま。」と楊へと手を伸ばす。

 赤ん坊の世話をしながらも顛末を語る楊に、俺も彼への労いの気持ちを込めて、金虫鈴子から押し付けられていた楊への白身魚の焼き物を、楊に頼まれていたように魚の身を割いていた。


「お前は手馴れているな。隠し子でもいたんじゃないのか。」


「はは。悪いが、そのお魚にちょっとお湯を注いで塩抜きをしてから擦ってくれるかな。舌で潰せるぐらいの固形物も試してやりたい。おさかな食べようね。じゅんじゅんは食べた事があるかなぁ。」


「あきゃー。」


 純子は嬉しそうに子供独特の甲高い声をあげ、楊は子供用のスプーンではなく箸をとり、魚の身を子供の前で旨そうにパクパクと大げさに食べた。


「あんま、あんま、じゅじゅ、あんま。」


「こりゃあ急がないとね。」


 俺は小皿に一口程度取り分けると、立ち上がって小さなキッチンに向かい、電気ポットのお湯で適当に魚の塩気を軽く抜くと楊に頼まれて買ってきていたすり鉢のような刻みのある小型の皿にて軽く磨り潰した。

 それから赤ん坊の目の前にその皿を置くと、彼女は魚を自分も食べたいと目を輝かせた。


「さんきゅ。ほら、じゅんじゅん、おさかなー。」


 楊はスプーンでほんの少しの魚の身を掬うと、赤ん坊の口に放り込んだ。

 純子は喜んで口に入れたが、何度も口の中でもぐもぐとしているだけで呑み込めず、終いには口からドロッと魚の成れの果てを垂れ零しただけである。

 しかし楊は想定していたのか、スプーンを持っていた手はいつの間にかティッシュを掴んでおり、それで純子の口元を拭いていた。


「俺にベビーチェアまで買って来させて膝抱っこかよ。俺の苦労は何だったんだろうな。」


「いいじゃん。お前は俺を売った金で新車を買い直したんでしょうが。」


「当り前だろ。お前が壊したんだからよ。それよりもよ、お前こそその子を手放せるのか。」


「――手放せるよ。俺は軽ーい、可愛がるだけの男だもの。」


 楊は真面目な顔になると再び自分の箸をとって魚を一口自分の口に放り込み、再び赤ん坊のスプーンをバナナプリンと書かれた瓶に突っ込んで赤ん坊の餌付けに戻った。

 楊は事情を水野達から聞き出すと、とりあえず赤ん坊を連れて彼の仮の住まい、俺が用立ててやっていた家具付きのワンルームの狭い部屋に職場にも戻らないで帰り、そうして俺を呼び出したのである。


 呼び出された俺は丁度軟禁状態でもあったから、喜んで楊のいる神奈川の白崎しらいささぎにまで向かったのだが、楊には恩を着せるような口調でぼやいてみた。


 監禁理由も楊が原因なのだから良いであろう。


「俺は京都から戻って来てから、寛ぐどころか、自宅にも一歩も入っていない状態なのにさあ、こうしてベビー用品まで買わされて、今も顎で使われて。あぁ、ボケの木が枯れていないか心配だよ。」


「どうして。家には帰って寛いでいたはずの時間でしょう。」


「俺はお前の元婚約者一族に誘拐されて尋問されていたんだよ。」


「あら。そっか、俺には葉子って手があったか。」


「子供の母親役を探しているんなら、本当の子供も作れる孫の方が旨味があるだろうが。」


「どすけべぇが。だから俺は水野の家に走ったんだよ。お前にやり捨てられてシングルマザーになったんじゃないかってね。水野のパパの熊ゴロウに殺されるって、俺はもう必死だよ。」


「おや。お前の子じゃないのか?水野の家の合い鍵を持っていたんだろう。」


「持つでしょうよ。父さんも兄さん達も自衛官で、どこに行ったか分からない。いざという時にお願いしますって、あのあいつがおどおどと渡してくればよ。断れねぇよ。あいつは大事な預かりもんだ。」


 そこで楊は俺を呼び出した時に戻って暗くなり、俺は仕方が無いと、彼と同じように溜息をついた。

 血の繋がらない子供を施設に入れるどころか自分が育てると言い張る水野に、楊が根負けして彼女にプロポーズをしたぐらいなのである。


「で、結婚する予定の男が、何を婚約者から逃げ出してんだよ。」


「婚約は成立しなかったし、何よりも、日本は一夫多妻じゃないじゃん。俺は逃げるしかないの。」


「なんだよ、それは。」


「いいから聞いてよ。」



 楊も腹を決めたのだそうだ。


 水野は大事な妹分であり、彼女が育てると言ったら本気で育てるだろう。

 だが、それでは水野の人生が犠牲になるだけだ。

 そこで楊が彼女と結婚して、自分が子供を育てて水野に捨てられようと考えたのだそうだ。



「捨てられるの前提なんだ。」


「俺はあっち下手だもん。捨てられるって。」


 俺は誰と結婚したとしても、家事能力が高く主夫としては最高な楊が捨てられる筈は無いと思うが、旧時代的思考力の楊は「男らしさ」が無い男はモテないと思い込んでいる。

 そんな彼はこんな結婚だからこそ水野にはプロポーズは大事だろうと、出来うる限り「男らしい」言葉をかけたのだという。



「わかったよ。それじゃあ俺と結婚しよう。たった一人での子育ては辛いだろうからね。俺が支えたい。だけどね、こんな理由の結婚でも俺は浮気はしないが、お前の浮気も許さないからな。いいか、純子を育てるなら俺と結婚する。俺が嫌なら純子を俺に渡せ。その二択だ。」


「なんだ、それ。そんな物言いをして殺されかけたから逃げて来たのか?」


「違うって。いいから聞いて。」



 普通に「お断り」をされるべくかけたとしか思えない楊のプロポーズの言葉に対して、俺が信じられないことに、水野が楊を殴り飛ばすどころか、佐藤が自分が楊と結婚して子供を育てると乱入したのだという。


「はい。私は浮気なんてしません!結婚しましょう。」


「え、ちょっと待って。さっちゃん。あんた葉山さんどうしたよ。」


「いいの。葉山さんはクロばっかりじゃない。だったらかわさんと結婚したい。かわさんは私の初恋だもの、いいじゃない。それに、だらだらしたいから出世しない男との結婚って、私の元々の理想だもの。かわさんと私が結婚して私が純子を育てるから、みっちゃんは安心して。」


「え、やだよ!あたしだってかわさんは初恋だったもん。」


「あなたは百目鬼さんでしょう。」


「えー。兄さん好きだけど望みないもん。だったらかわさんと結婚する!」



 仲の良かった二人組は楊との結婚を取り合って仲違いの大喧嘩をし始めて、楊は取り合われてうれしいどころか、少しずつ悲しくなって純子と水野の家を飛び出したのだそうだ。



「俺さぁ。……二人にとって、だったら結婚する、なのよ。ひどくね?」


「最近絆されかけてきた水野にとって俺が実はその程度だったのかと、俺こそ知って傷ついているけどね。思い切ってやっておけば良かったよ。」


 俺の方へ座布団が飛んできて、俺は笑いながらそれを避けた。

 実のところ俺は水野を意外と気に入っているので、そこを楊につかれないようにしなければいけない。

 俺は何事も無いように箸を持ち上げ、揚げ麩とふきの煮物を口に入れてごまかした。

 俺の結婚話に発展しては面倒以上の話だ。


「あぁ、困ったな。とっとと施設に連れて行って、養子縁組の方が純子の為になるんだけどさ。水野をどうやって納得させようか。」


「養子先に当てがあるのか?」


「ある、というか、俺は何人も施設送りにしているからさ。そこがちゃんと面倒を見てくれることも知っているし、子供が出来ない夫婦が列をなして待っている事も知っている。」


「お前が拾うのは小動物だけじゃなかったのか。まぁ、赤ん坊も小動物って言えばそうなんだろうけどね。」


「うるせぇよ。産んだ親が一番だと世の中考え違いをしているけどね、虐待する本当の親よりも、血が繋がらなくとも真っ当な人間が親になった方が良いに決まっているじゃないか。それにさぁ、虐待されすぎると子供も歪むだろ。大体が人に脅えて自己否定が激しい、ちょっと前のちびみたいなんだけどね。他の子に自分の辛さをわからせようとしたいのかわからないけどさ、何も罪が無い同じ子供に自分が受けた虐待を再現する子もいるんだよ。それは犯罪だろ。俺は犯罪者を作りたく無いんだよ。犯罪者がいなければ、被害者が出来ないじゃん。」


「だから俺にシングルマザーを何度か誘惑させたのか。」


「そう。子供を捨ててくれないとさあ、子供を奪えないからね。だけどさ、俺もびっくりしたんだけどさぁ、彼女達はお前のお陰で再起して、人生を立て直しているんだってね。凄いよ、お前は。」


「はは。ホストに貢がせるのと、坊主にお布施するのは同じようで違うんだな。古い宗教の怖い所はね、大昔から人の生活に関わっていた組織だって事なんだよ。俺が布施を受けたら、そのまま彼女達の個人名で山に布施をまるごと手渡さないといけない。すると山が寄進者の情報を調べて、問題があると思えばサポートに回るんだよ。俺はお前に言われた通りにホストばりに彼女達を誘惑して、そこでお終いだよ。俺はお前に纏わりつく女性の対処を頼まれていたのかと思っていたけどね、子供を捨てさせる目的だったとは知らなかったよ。お前は良い警官で、働き者だったんだな。」


「うるさいよ。」


 楊は誉め言葉に喜ぶどころか拗ねたようにして、俺が食べていたふきの煮物の方へと箸を伸ばして無言で食べ始めた。

 それを目にした赤ん坊は、今度は麩の皿へと目を輝かせた。


「あんま!あんま!あんま!」


「あぁ、今度は麩が食べたいのか?」


「魚にしてあげて。麩は味が濃すぎる。」


「はいよ。」


 俺は楊が純子に使っていたスプーンを取り上げて、柔らかく味気のなくなっている魚を彼女の口に入れてやった。

 すると、彼女は望んだものでは無いと気付いていないのか、嬉しそうにちゅっと可愛らしい音を立てて口を閉じると、それはもう、とてもおいしそうに咀嚼を始めた。


 幸せそうにもぐもぐと口を動かす小さな赤ん坊の顔は無垢で可愛らしく、食欲だけの玄人が食事時に見せる姿を彷彿とさせた。

 彼は全ての欲、生きるという欲までも食欲に変換されており、幸福も快楽も食事を堪能するという行為でしか得られていないのかと思う程、一心不乱に食事に没頭するのである。


「――お前は本当にその子を施設に送れるのか?今までお前が子育てしている姿は見た事が無かったからな。」


 俺の目の前で彼はがっくりと頭を下げ、赤ん坊は下がった楊の頭に大喜びで耳たぶや髪の毛を引っ張り始めた。

 彼が過去に何人か虐待されていた子供を施設に送っていただろうが、こうやって我が子の様に抱いて連れまわしていたことなど無かったのである。

 だからこそ俺は楊がそのような行為をしていたとは、今まで露ほどにも考えた事が無かったのだ。


「お前はさ、今までは必要最小限にしか子供に触れていなかったんじゃないか?水野達を寝かせている二時間で、その子に情が完全に移ったんだろう。本当は結婚してでも育てたくなったのはお前じゃないのか?」


「――うるさいよ。」


 小声でつぶやく親友は俺につむじを見せた。

 そのつむじのあたりにはみみずばれのような古傷が見える。

 彼の髪の毛があっちこっちへと癖毛の様に逆立つ原因だ。

 いつもはその傷のせいで寝癖が直らないように見える彼が子供めいて見えるだけだが、今日はその傷跡が彼が過去に自殺をしかけていたという事実を俺に見せつけているように感じさせた。


 彼は鈴木の死に罪悪感を抱くあまり、自らの人生をも捨て去ろうとしたのだ。


 俺は友人から赤ん坊を引き離すべきかと手を伸ばしかけ、楊が悪辣な玄人とよく似ている奴でもあったと思い至って、その手を簡単に引き下げた。


「葉子か梨々子か、これからゆっくり考えろ。ただし、純子があまり大きくならないうちに決めろよ。」


 頭を下げたままの楊が大きく舌打ちをしたことに、楊が相談めかしながらも水野ごと赤ん坊を俺に押し付けるつもりだったのだろうと確信した。

 俺は自分の見識の深さを自分で褒め讃えながら、楊の悪辣さに嬉しくもなっていた。


 楊は嘘つきであり、俺よりも社会を知っている人間だ。

 シングルマザーを俺が誑し込んでお終いの筈が無いと、彼が知らなかった筈は無い。


 あの頃の俺は山に干されていたと言えど、山に関係する事は馬鹿正直に山に報告をしていた間抜けでもあったのである。

 干されていながらも自分なりの真っ当な僧になろうと足掻いていた時代であり、山に報告する度に俺が成し得た手柄は全て山に奪われていた時代でもある。


 金を貢ぐ女性を更生させる案件を俺に手渡して俺を認めるもよし、俺から奪って山が別に用意した者達に任せるもよし、どちらに転んでも俺も女性達も救われる道を選んだという事なのだ。


 あのろくでなしの髙が楊に惚れこんでいるのも当たり前だ、と、俺も楊を見直していた。

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