春の花火
東京に戻って照陽和尚を神田の自宅に送り届け、ようやく自宅だと一息ついたところで、俺は家に入る間もなく三人組の女性達に拉致された。
簡単に振り払える女性達であったが、彼女達は玄人の友人でもあり、一番の年配は俺が大変な時には玄人の世話も受け持つと言ってくれ、それ以上に、毎月の様に玄人が入院する時には玄人の大事な鼠を預かってくれる恩義のある女だ。
俺は彼女達の願い通りに、我が家の近所に建つ彼女達の集会所へと足を運んだ。
警察庁の金虫真澄警視長の自宅である欧風の豪邸は、地域柄塀に囲まれた庭が雀の涙ほどでしかないが、妻の鈴子の手によってガーデニングされ、いくつものポットが塀に飾られて華やいでいた。
ガーデニングポットには自分でもよく知っているパンジーはもとより、マーガレットやラナンキュラスなどが寄せ植えされ、色とりどりの花がポットから零れそうになっている。
そして、暖色系のガーデニングポットを目立たせるようにか、地面には芝生ではない緑色の絨毯が広がっていた。
その絨毯には模様の様に小さな青い花がぽつぽつと咲いており、群生していても煩いどころか涼やかな印象である。
「あの小さな淡いブルーの花は何ですか?涼し気でいいですね。」
肩までの真っ直ぐな髪は、尋ねた俺に応えようと頭を振った時にさらりと揺れ、気怠そうな二重の瞳は品よく微笑んだ。
「忘れな草よ。直ぐに暑くなるから、あの花はこれで見納めね。」
「そうですか。名前は知っていても、実際に見ないと花はわかりませんね。あんな花だったのですね。確かに、忘れたくない花だ。」
「ふふ。和尚様はガーデニングはなさらないの?誰にも見向きがされない物件を誰もが欲しがる物件に変える天才だと、クロ君はいつも褒めちぎっていますわよ。」
「はは、庭木は業者任せですね。自宅の庭もいじった事がありませんから。」
玄人は殺風景なボケしかない庭だと、僕達のボケの木が可哀想だと言うが、殺風景なそこに様々な風景を見出すのが「禅」でもあるのである。
だが、実際に俺の美意識としても無駄に増えたボケの木で殺風景どころかボケ狂いの庭となった今では、風景を見出すどころか「失敗」の二文字が浮かぶばかりなのも事実である。
せめて金虫家の庭の様に下草でも植えようかとも、俺は鈴子と話すうちに考えた。
そこで鈴子の庭をもっと見渡そうかと再び鈴子から視線を外して庭を見てみれば、先程には気付かなかったが、庭の隅のほうに大きな青紫の不思議な背の高い花が咲いていたのである。
菖蒲のような葉に、菖蒲の花の代りに小花がアジサイのように花火のような形をして咲いているという、華やかでありながらも涼やかな見事な花だ。
「あれはなんという花ですか。花火みたいで面白い花ですね。」
俺が指さした方に鈴子は顔を向け、すぐさま彼女は顔を綻ばせた。
どうやらあの花こそ彼女のお気に入りの様である。
「あれは大ツルボっていうの。」
「ツルボは茶花で何度か見たことがありますが、名前は同じでも大が付いただけで全く違うものですね。種類自体が違うのではないのですか?」
「ふふ。そうなの。でも名前が同じなのは似ているからですって。全く違うのに不思議よね。それでね、大ツルボが咲けば春はお終い。あなたの言う通り、あれは春の終わりを知らせる花火ね。」
「すとーっぷ。」
鈴子と俺のささやかな会話に大きく水を差したのは、鈴子の母の松野葉子である。
松野グループを率いる大金持ちの女王様だ。
横浜の本部から辺境の白崎に流された楊を追いかけて引っ越してきただけでなく、楊の勤務する白崎東署の真ん前に豪邸を建てたという、楊にとっての最強のストーカーであり、前述した俺の玄人と大鼠の緊急預け先でもあり、そんな人の好さと外見の良さで、俺が意外と気に入っている女性でもある。
玄人がボッティチェリのビーナスと絶賛するように、彼女はその絵画のモデルによく似た風貌であり、その絵のイメージの様に少女にも老婆にも成り得るという年齢不詳の美しさで輝いている。
しかし今の彼女は美しさなど遠くに放ったのかのように、長い髪の毛は簡単にうなじあたりで黒ゴムで一本に結わえただけで、服装なども綿シャツにジーンズという適当な格好である。
その普通の格好ながら他の女性と違うと言い切れるのは、彼女の眼のぎらつきであろう。
美の女神であった彼女は今や復讐の女神であり、その復讐心は俺だけに向けられているようだ。
「鈴子。この糞坊主に誑し込まれてどうするの。この男こそ、あたしたちからマサトシを取り上げて、マサトシを設楽季家に売り飛ばした悪の化身なのですからね。」
「葉子さん。売り飛ばしたなどと人聞きの悪い。無駄に殺されるくらいなら、乗っ取ってしまえってだけの話ですよ。人殺しも何でもね、自分でやらない奴は金さえ無くなれば完全に無力なのですから。楊殺しの主犯はね、財産狙いの姪どころか、設楽季家の財産管財人やら並み居る殆ど血の繋がらない親戚連中でしたよ。そいつらは大人しくしていれば、ふきが生きていた時よりも少々貰いが良くなるようには仕込んでおきました。ただし、楊が死ねばその設定も無くなると、じっくりと言い含めましたけどね。」
「えぇ!本当にまさ君は殺されるところだったの?」
今更の質問を投げてきた金虫梨々子を俺は見返した。
親友と一緒の卒業旅行に欧州へ行ったはいいが、滑り台があったドイツの工科大学に親友と留学するからと楊との婚約破棄をして、楊をようやく自由にしてくれた年若きストーカーである。
だが、この必死な目を見れば諦めてもいなかった事が丸わかりだ。
あんな三十代の男に小学生時代から変わらずに一途らしい十代の彼女は、一七〇センチの長身に長く美しい手足を持つモデル系の美女である。
いつもは楊を必死に探すその美しいアーモンド形の瞳を今や涙に潤ませて、楊ではなく俺に向け、楊の情報を少しでも知りたいと懇願するようにじっと見つめていた。
年齢が離れていると言ってもこんな美少女に惚れられているのであるならば、楊も逃げずに若い女性の体を楽しめば良いと思う俺が鬼畜なのだろうか。
恋に恋しているからこそ、現実を見せて諦めさせるという手が有効ではないか、とも思うのだが、玄人に言わせれば楊にできるはずが無い、ということだ。
俺がどうしてだと問い返せば、俺よりもひどい楊評を披露して、恋人の山口に異次元の生物なのかという目で見られていたと思い出す。
「だって、かわちゃんは、人に嫌われるのが死ぬほど嫌な人じゃ無いですか。」
「お前もそういう所がある癖に毒舌だよな。」
「だって僕は、僕が好きな人にだけ好かれればいいのですもの。かわちゃんとは違います。」
「だけどお前、お前が好かれたいはずの淳が、めっちゃお前に引いているぞ。」
「うそ?」
あの馬鹿な子供に俺は何日会っていなかったのだろうか。
楊の安全のためにと玄人と山口を三厩の家に押し込んで、俺はひと月近く設楽季家と山のごたごたを片付けるのに一人で動いていたのだと気が付いたのだ。
「あぁ、家に帰って風呂に入りたい。」
「お風呂ぐらい、今すぐ用意します。いいから話を聞きなさい。」
「あぁ、すいません。大きな声で独り言を言ってしまっていました。ですが、今更何の話ですか。何を話し合うと言うのです。梨々子さんは楊と婚約破棄した。それでもやっぱり諦められないからと留学を止めて四月から白崎にある大学に入学した。葉子さんの家に居候してね。葉子さんは葉子さんで、変わらずに楊への門は閉ざしていない。楊は結婚したその日に妻に先立たれたばかりのやもめ、で、今までと同じ独身男性ですよ。あなた方はあいつを好きにできるのだから、俺がこれからどうする事など無いでしょう。」
「あるわよ!」
葉子は声を荒げてソファから立ち上がった。
驚いた事に彼女の眼には涙が貯まっており、俺を殺してやりたいと考えているような憤怒さえ見せているのである。
「俺に何が出来ると?」
「だから、勝利を返してちょうだい!」
「返すも何も、あなたの所に行かないのは、楊の意思でしょう。彼自身のけじめですよ。恐らく四十九日ぐらいは。少しぐらいは我慢してくださいよ。」
「違うでしょう。勝利はあんたに恋をしているんでしょう!」
俺はえ?と真っ白になってしまった。




