二
「きゅい。」
楊が仕事と相棒への罵声を呟いたからか、インコが脅えた声をあげた。
「あぁ、ごめん。君に怒っていないからね。」
胸元のインコが自分を伺うようにして小首を傾げ、じっと自分を見つめるさまに、楊の心はほわっとほぐれた。
大きくて緑色のワカケホンセイインコはなんて可愛いのだと、彼はインコを抱く手の指先でそっと愛しいその子を撫でた。
しかし、インコはいつものように喜ぶどころか、男の手から逃れたいかのように身を捩った。
「ごめん。でも我慢して。こんな暗い場所で君を放して君が飛んじゃったら、君は壁やどこかにぶつかって怪我をしてしまうでしょう。」
楊は再び暗い階段を上がり始めた。
階段に明りが灯らず暗いのは、自宅に戻って電灯を点けてみれば玄関どころか階段を照らす照明が切れていたからであるが、彼が電球を交換するよりもそのままにしておくことを選んだからでもある。
玄関ホールの明りは吹き抜けの高い所だと考えれば、明日の休日に二つ一緒に換えれば良いという判断だ。
楊は仕事でも特定犯罪対策課などという、オカルト色のある特定の事件を捜査する課という訳の分からない課の課長にされているのだ。
いや、されていた、だ。
楊はオカルトによって自主的に行方不明となり、現在課長職を解かれているのだ。
しかし、オカルト色のある特定の事件どころか、成績になりそうもない「ウザイ、かったるい」特定の犯罪を楊に押し付けようという面の方が強くなってきた今日この頃であるので、楊は課長職を解かれた事は特に気にしていない。
彼の夢は窓際刑事だ。
そんな後ろ向きな彼が、積極的に高い場所の照明器具を疲れて帰った夕方に変えようなんてするわけがないのである。
「畜生。それなのに、髙め。復活の呪文的な変な仕事を持ち込もうとしやがって。俺は復活なんてしたくはないの!断ったからって一人ぼっちにしやがって。子供じゃないんだからさ、誰が泣くか!」
隣家のざわめきが大きく聞こえ、楊は寂しさが応えていたと自分に認めた。
「きゅい。」
「ああ、乙女ちゃん。怖いの?文鳥ズもそんなにびくびくしちゃって。おっきなゴキブリでもいたの?あぁ、明日は電球換えどころか、大掃除もか。」
リビングダイニングに彼の大事な鳥達の籠を設置しているのだが、今夜に限って鳥達は眠るどころか籠の中で羽ばたき騒ぎ続けて楊の不安を煽った。
隣家から時々聞こえるさざめきと赤ん坊の泣き声も楊の神経をささくれさせた。
そこで終に楊は居間で寛ぐことを放棄したのである。
落ち着けるはずの場所でありながら気が休むどころか塞ぎの虫の方が騒ぎ出すのならばと、騒ぎ立てる愛鳥ごと二階の自分の寝室に引き上げることに決めたのだ。
階段を上り切って鳥籠を一旦降ろし、壁の電灯のスィッチを手探った。
が、スィッチはカチカチと鳴るだけで何の反応も起きない。
「うそん。電球じゃなくて電気の線がおかしくなっちゃったのかな?この家ってば、大破したことがあるからなぁ。」
昨年の三月に引っ越しトラックが自宅リビングに突撃してきたことを思い出し、彼は久々に背中にすぃっと怖気が走った事を感じた。そこでその感覚を打ち消せるようにか、右胸にしがみ付く鳥を完全に動かない様に右手で押さえつけ、それから足元に置いた鳥籠を左手で持ち上げ直すと、彼は自分の寝室に殆ど駆け込むようにして飛び込んだのである。
室内に駆け込むやセンサーによりパッと天井の電灯が点き、そこで楊は詰めていた息を吐いた。
彼の自室はいつもの通りどころか、帰宅して荷物を置いて出た数十分前そのままであり、部屋の真ん中には疲れた彼が寝ころべるように待ち構えている大型のベッドが鎮座している。
「マットレスを奮発したかいがあるよ!」
楊は自分が厳選した自慢のマットレスに腰を掛け、その感触に自分の中の何かが素っと抜けた気がした。
「何をびくびくしているのか。同じ日に電球を換えたのならば、同じ日に切れたってもおかしく無いじゃない。やっぱりLDEなのかなぁ。あの光が嫌いだから、わざわざ長時間持つって高い奴にしたのに、もう、だもんなぁ。数年は持つって聞いていたのにさ、ねぇ、乙女ちゃん。それから、てっちゃんにミル雄。」
乙女と呼ばれた緑色の大きなインコは、彼に名前を呼ばれた事に喜んだかのように彼の指先を甘噛みしたが、籠の中の二羽の文鳥は彼に答えるどころか威嚇音だけを大きく上げた。
桜文鳥とクリーム文鳥だが、楊は小さなクリームの方を雌と思いミルクと名付け、真っ黒で固太りしている桜の方を雄と考えて黒鉄と名付けた。
しかし、文鳥は人間を裏切る生き物なのであるからして、雌が桜文鳥で雄がクリーム文鳥であった。
彼は籠の中で再び起こった威嚇音に、雄が雌をいじめているのだと慌てて籠を覗き込んだのだが、彼は文鳥に裏切られていたことを再び知っただけであった。
「あぁ、かわいそうにミル雄。」
楊が覗き込んだ籠の中では、大型のツボ巣に悠々と桜文鳥が潜り込み、クリーム色の小鳥は籠とツボ巣の間に体を平べったくして入れ込んでいたのである。
移動に籠二つ持てないからと雄の文鳥を雌の籠に放り込んでいたのだが、身の置き所が無いと震える雄文鳥の姿に、楊は職場での自分の姿を重ねてしまい、かなりの罪悪感を雄文鳥に抱いてしまった。
「よくわかったよ。君がてっちゃんに絶対に近づかない理由が。ごめんね、お父さんに二本しか腕が無くて。待ってて、今すぐにミル君の籠も持ってきてあげる。」
「おとーさん。おとーさん。」
彼にしがみついていた大型の緑色のインコが、立ち上がりかけた彼に驚いたのか羽ばたき喋りながら肩上へとよじ登り、そこから彼の耳たぶを引き留めるように引っ張った。
その齧り方はいつもよりも強く、肩に食い込む爪もかなり痛いと楊は感じた。
「どうしたの、乙女ちゃんたら。どうして今日はそんなに甘えんぼなの。」
ワカケホンセイインコを男が見返せば、インコは彼の肩どころか肩と頭の隙間に体を押し込むようにして丸まって、必死にしがみ付いてくるのである。
「どうしたの。やっぱり、下の方が良いのかな。明日は休みだし、これから大掃除して虫退治をしようか。でないと君は落ち着けないみたいだものね。」
男の首筋に押し付けていた頭をあげると、鳥はか細くクククと喉を鳴らした。
「どうしたの。具合が悪いの、かな。」
愛鳥のいつもと違う様子に胃の底からぞわっとした脅えが溢れ出し、男は自分を落ち着かせるために緑色の小さな頭にそっと触れた。
「大丈夫だよね。直ぐにお医者さんに行こう。大丈夫。お父さんは刑事という職権を乱用して首になっても君をお医者に診せるよ。君は大事なお姫様なんだから。」
男の指先は愛鳥が喜ぶ首筋を撫でようと動き、だが、鳥はその指を噛みついてから彼の顔を見上げて威嚇するようにしてから、再び喋り出したのである。
「おとーさん。おとーさん。こわい。」
愛鳥の初めて口にした単語に男は一瞬固まり、すると、足元から空気が抜けるような音が微かに響いた。
しゅううううう。
文鳥の威嚇音にしては変な音だと男が足元の籠へ目線を下ろしたが、彼は籠ではなく、先程閉めたばかりの部屋の扉を茫然と見つめることになってしまっていた。
なぜなら、足元には煙が流れてきており、その煙を目で追っただけなのだが、締め切った扉の隙間からその煙がたなびいているのである。
「うそ。火事?どうして。」
「おとーさん。おとーさん。こわい。こわい。こわい。こわい。」