生理的嫌悪一
一切皆苦と看板に書かれた区画にある納骨堂の本当の名前は奇をてらったものでなく、ただ御廟と入り口の石板に刻まれているだけであった。
宗教宗派問わずが売りの霊園の納骨堂なのだから当たり前と言えば当たり前だが、今までのおかしな仏教用語の看板を眺め見てきたせいか、楊は肩透かしどころか周吉に突っ込みたい気持ちが湧いていたのである。
「ここはネーミングで悩んでそのままなのかな。あるいは飽きたのか。」
横にいた玄人がぱっと横を向いて楊の視線を避けた事から、楊は少々周吉に好感度を持ってしまってもいた。
この適当なジジイめ、と。
「で、どうするの?」
ここまで来たら髙と田辺は目的を果たすまで楊を逃がさないだろう事は確実で、だが、楊は楊で、玄人という人質を携えているのであるから、何かあれば山口どころか白波家が大挙して玄人を救い出しに楊の元には来るだろうという打算はしてあった。
けれど人質が人質らしからぬ風情で楊の右腕に自分の両の腕を絡めているという有様に、この人質はいざという時には百目鬼や山口の後ろに隠れて、自分は怪我一つしないように彼らを盾にする奴だったという事実も思い出していた。
「俺ってやばい?」
「髙さんが何を求めているのかわかんないから何とも言えない。でも、地下にいるあれは、もしかしたらかわちゃんが見てはいけないものかもしれない。」
「そうか。」
「うん。だから、僕だけ行ってみる。」
「ダメ。」
「駄目なの?さっきは僕に行けって。言っている事がコロコロ変わるね。」
「そう。俺は読んだこともないけれど、徒然なるままな吉田兼好のファンだから、それでいいの。お前は山口のとこに戻んなさい。」
玄人は先ほどとは違い、逃げるどころか楊の腕にもっと強く巻き付き、楊はちぃっと舌打ちの音を立てた。
玄人はくすくすと彼の脇で笑い転げ、楊はその存在に力づけられたかのように呪われた納骨堂に一歩を踏み出した。
納骨堂と言ってもエントランスは普通に開放感のあるミッション系のキャンパスのホールような造りで、華美過ぎないが重厚感としゃれた雰囲気を持つ空間である。
「きれいな建物だね。」
「そうですか?僕には何も見えないけれど、かわちゃんがそういうのならばそんな建物なのですね。」
「ちび。お前には見えないのか?」
「はい。僕にはここは真っ暗。おじいちゃんはどうしてこんな場所を作ったのか。」
楊は玄人が自分に強くしがみ付いて来たのは、自分を揶揄うためではなく目が見えなくなってしまっていたからだと気が付いた。
「ちび、大丈夫か。目が、お前は目が見えなくなってしまったのか?」
「大丈夫です。覗きすぎて、あれと同調しちゃっただけ。」
「髙、おい、髙。ここにはそんな凄い化け物がいるのか?」
髙は答えず肩を竦めただけで、右手をどうぞというように手の平を上に向けた。
彼の右手が誘う方向には田辺が立っており、彼女はエントランスホールを超えた先にあるエレベーターホールのような場所に立っていた。
「あそこに何かがあるの?」
「まずは、地下への入り口、ですね。」
楊の右袖は玄人に行くなという風に引っ張られ、楊が玄人を見下ろすと彼は必死な顔で彼を見上げていて、楊の頭の中であの夜の愛鳥の声が蘇った。
――おとーさん。こわい。こわい。こわい。
「はは。あの日の乙女ちゃんみたいな目をして。このちびは。」
「かわちゃん?」
楊は微笑んで見せながら空の左腕で玄人の肩を抱くと、そのまま力をこめて右腕に絡む彼を自分から剥がして髙の腕の中に放り込んだ。
「きゃあ。」
「かわさん?」
「うん?一般人はここまででしょう。俺は田辺さんと先に行く。髙はちびを山口かそこらにいる適当な白波さんの安全な手に渡してくれる?」
「かわさん?玄人君は僕達の命綱だったのでは?」
「うん。そう。だから返してきて。これは貸しだ。術者はね、術者に貸しを作りたくないものなんだ。貸しはそのまま術となり呪となる。頼んだよ。」
「かわさん。かしこまりました。」
髙は賞賛するような声を楊に出していたが、楊はここに来て、玄人や山口が言っていた黒い靄というものが見えだしており、あんなに明るかったエントランスホールが靄に包まれていき、次々と燃え尽きて燻る残骸の姿に変化していく世界に愕然としていたのである。
そして玄人を手放したのは、彼が守り切れなかった愛する者の様に、彼の力で燃やし尽くしたくないと考えただけだ。
嘘つきな彼は、それらしい嘘などいくらでも吐けるのである。
「かわちゃん、待って!」




