悪坊主
結婚したばかりの新妻は死体となった。
彼女を腕にかき抱いた楊は、ほとんど初対面のくせに感情的に嘆きの声をあげた。
「ばかやろう。俺は一年くらい別にいいのにさ。長い人生で一年くらい、君だって幸せを感じても良かっただろうに。君の人生は騙されて、我慢して、辛いばっかりだったじゃないか。」
これが演技でない所が、楊を楊たるものとしている所なのだろうが、俺の背筋をぞぞっと寒くさせるだけだった。
またこいつは似たような面倒を引き込むぞ、という確信かもしれない。
けれど、楊は本気でふきの身の上に対して憤慨している。
ふきの姪は楊に告発され、きっと近いうちに逮捕されることだろう。
罪状は楊を殺そうとしたことではなく、ふきへの虐待容疑として。
しかし、ここで良かったという終焉にはならない。
楊が本気で馬鹿な男だからだ。
ふきの財産を手にした花婿である彼が、妻である彼女を不幸にした原因であるその財産を、亡妻の意趣返しの為に無意味にどぶに捨てるという褒められない行為をするのは確実だ。
そこで、俺が無理矢理管理することにした。
金は多くはいらないものだが、自宅を失い、ストーカーに狙われやすい男には、金はいくらでもあった方がいいだろうという判断だ。
俺の親友はただの「幸福の王子」だとわかったのだから、幸福の王子が自分の体の宝石をばらまいてゴミ屑にならない様に、誰かが管理してやるべきなのだ。
「君は上手くやったねぇ。富豪となった友人の財産管理人とはね。」
「うまくやったのはあなたでしょう。俺も信じられませんがね。あなたが座主にならず、あの清廉潔白なだけの仙人和尚を座主に推すとは。」
新幹線のグリーン席の隣の男は、僧らしからぬ大声でワハハと笑った。
彼は俺がテルテルと名付けたあだ名に似合わない、頬骨も顎もしっかりしている造りの顔を持つ線の太い豪快な男である。
けれど、柔らかく気安い微笑を浮かべたときには、途端にその年齢と狡猾さも覗わせない高僧そのものに化けるという海千山千の面も持つ。
「私が座主になりたがっていたと?ははは、誰がなるか、あんな面倒なもの。いいかね、好き勝手したいなら権力も大事だけれどね、だからって馬鹿正直に表の顔になる必要はないんだ。この世は影で動く者の方が自由で美味しいんだからね。」
俺は自分の目がしらに右手を当てた。
俺は彼を俗物だと知ってはいたが、ここまで俗物を極めていたとは思わなかったのである。
彼は座主の座を狙ってはいたが、それは数時間前に先代となった雅亮和尚を排斥する目的であり、そのために彼が座主を目指していると周囲に思わせていただけだったというのだ。
座を奪われまいと雅亮は照陽を目の敵にし、さらには、商売上手の照陽の上をいこうと自分の子飼いに無理難題を申し付けるばかりとなった。
結果として彼は人望を失うだけでなく、今回のような楊への殺人未遂という大きな失態まで引き起こしてしまったのだ。
そこで照陽は彼らが山に塗った泥を落とすには、大本が座主から降りるべきであり、次の座主には徳然和尚という清廉潔白な僧であるべきだと主張した。
すると、照陽の取り巻きは勿論、照陽に反感を持つ者までも彼に追従したのである。
「はは。俺に徳然の弟子の横領未遂を諫めさせた意味がようやく解りましたよ。全員が徳然を座主にしたのは、あなたにも与しない徳然ならば自分にも徳然を取り込めるか、あるいはあなたの好きにはできないだろうと踏んだのですね。だが、あなたは先に徳然の大事な子供同然の常勝和尚を助けて取り込んでいる。俺という弟子を使ってね。素晴らしすぎて惚れ惚れしますよ。」
照陽は俺にふふんと俺の大嫌いな高僧の笑みを返し、俺も彼直伝のその笑いを返した。
彼はいつもの様に小さなグラスに小瓶のウィスキーを注いで俺に手渡し、俺は恭しくそれを受け取り、俺は俺で彼のグラスに俺の小瓶のウィスキーを注ぎ返した。
そして俺達は互いにグラスを持ち上げて口に運んだ。
しかし、照陽は俺がウィスキーを吐き出すようなことを言い出したのである。
「ふふ。尊敬ついでに私をいつでも父と慕ってもいいのだよ。」
「いや、それだけは勘弁してください。」
俺の額を彼のグラスを持つ手がゴツリと当たった。
別段に痛くはないが、俺は痛いという振りをして、彼は俺に機嫌を損ねられたという風に怒ったふりをする。
何度か京都と東京を一緒に往復するうちにできた、俺達のくだらないお遊びである。
俺は彼と旅をするうちに彼になじみ、彼にかなりの好感も抱いてもいるのだ。
俺を以前に山から干した人物で、俺は彼を唾棄すべき人間と恨んでもいたのだが、慣れる、というものはおかしなものだ。
「君に決めた。さぁ、これから家に帰りますよ。」
その一言で山から俺を連れ出した俊明和尚と俺は、今と同じように、その時は自由席でしかなかったが、横に並んで座り、まるで遠足の様に東京を目指したのである。
今や俺の家となった世田谷の彼の家へと。
俺は彼に慣らされて、彼の特別となり、彼は俺の特別になったのだ。
「私の息子にならないかい?」
一緒に暮らした一年目くらいに、明日は雨かもしれない位に軽い口調で彼は言い、俺はそうして百目鬼となったのである。
俺は自分の額から手をおろすと、口から自然に慣れてしまった以前の敵だった男に自分の胸の内を吐露してしまっていた。
「俺の父は俊明さんだけですから。」
鼻で笑った音がして照陽を振り向けば、彼はなんと口元を押さえて泣いているではないか。
右手にグラスを持ったままの姿でぽろぽろと。
「どうした!テルテル!」
今度は少し強めにゴツリとやられたのは言うまでも無い。




