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親友三

 玄人は楊を自分の使い方がわからない馬鹿だと言い、俺も同感だ。


 楊の退院には俺が付き添ったのであるが、病室から出たばかりの楊はエントランスに向かうどころか、手近な病室へとするっと入り込み、そこでその部屋の病人を介護をし始めたのである。


 個室の主である老婆は小さく、まるで十歳にも満たない少女ぐらいの身長に細さであった。

 俺が俊明和尚の最期を思い出すほどに、枯れ木のような姿の彼女は意識など無く、それなのに楊は彼女の耳元に馬鹿話を語りながら彼女の体位を変えようとしているのである。


「かわちゃん、何を。」


「あぁ、こいつはね、僕の親友。僕もね、今までここに入院していたんだよ。ちょっと、横を向こうか。背中が痛くて仕方が無いんだよね。横になったらカーテンも開ける?少しでも違うものが見たいよね。腰は痛くないかな。ナースコールも押したから、背中の様子を見に、すぐに看護婦さんが来るからね。大丈夫。僕もそれまでここにいるから。」


 寝たきりの人間は耳までも聞こえなくなったと勘違いされるが、その実、最後まで耳は聞こえているものなのである。

 俺は俊明和尚の枕元で煩いだろうと思いながらも、くだらない自分の過去や、彼との生活のすばらしさを語り、もう少し生きてくれと泣いたのだ。

 彼の本当の最期の日に、最期の息を吐き出すその時まで、俺が彼の手を握り締めておけたのは、楊が前日に「絶対に明日は離れるな」と俺に言付けていたからでもあるが、俺は楊という友人がいたからこそ俊明和尚の死に立ち向かえたのかもしれない。


「こいつがいると煩いと思いますよ。何しろ、こいつの趣味は煩い音楽だ。」


「ははは。では静かに誰も寝てはならぬを歌いましょうか。でも、あなたは宝塚の方かな。僕の祖母も好きですよ。すみれのはな、さくころ~って。僕もあの歌は大好きです。」


 俺は楊の入院の持ち物から、玄人が持ってきた悪趣味なぬいぐるみを楊に渡すと、彼は感謝の目を向けながらそれを老女の背中側から体とマットの間に差し込んで体を固定した。


「これで少しは楽でしょうか。」


 老女の瞼は何度か動き、そして、片方の目から涙が一筋零れた。

 楊は慌てて彼女の正面に回り、俺は今度はティッシュペーパーを手渡した。

 そうして、俺は楊の背中越しに見てしまった。

 楊に涙を拭かれた刺激からか瞼が開いた老女は、ぼんやりとした目線ながら楊の姿を認め、そして、恋に落ちた乙女の様に頬を染めて微笑んだのを。

 介護どころか虐待されて見捨てられていた自分を、救い出してやさしく介抱してくれた若くハンサムな男に恋をしない方がおかしいのだ。


「大丈夫。ナースが来るまでここにいるから。それまで何か歌おうか。」


 彼女は唇を震わせたが、共感力のない俺にもなんとなく理解した。

 何でも、と言ったに違いなく、彼女は楊を引き留めるためになら、楊がどんな歌を歌おうとも構わないという心持であるのだろうと。

 しかしこの時点では、設楽季ふきは認知を患っていた身元不明の老女であった。

 数分後に個室に現れたナースによると、警察に保護されたそのまま病院に搬送されたばかりとのことで、清拭も済んだばかりで寝たきり老人特有の褥瘡は病院の責任ではないという事だった。

 憤慨する楊は刑事である事を思い出したのか、設楽季の手を掴むと、必ず助けるとまで言い出したのだが、彼は自分が神奈川県警の刑事であることを忘れていた。


 楊自身が保護され搬送されて入院していた病院は、東京の町田であり、そこは警視庁の管轄となる地域に当たるのである。


 俺の目の前で事実に気が付いた楊が素っ頓狂な声をあげる前に、町田が管轄の有能な警視庁の刑事と設楽季ふきの親族が病室に入ってきて、俺達は彼女から引き離され病室からも追い出された。


 楊は憤慨していたが、俺はホッとしていた。


 親友の老女への傾倒ぶりが俺の不安を煽るものであり、楊のその行為を間抜けとしか見ることができなかったのだ。

 お前の助けたい誰かを救わねばならないその時に、お前の腕が空でなければ救う事などできやしないだろうにと、普通は考える事だろう。


 後日にそのことを玄人に話して聞かせたら、彼はうんうんと大きくうなずいて俺に追従したのだが、山口が俺達を宇宙人のように見る目には驚いた。

 もしかして、報われない刑事などという仕事をしている人間は、山口や楊のような間抜けにしか務まらないのであろうか。

 いや、髙というろくでなしがいるのだから、彼等こそ職業選択の失敗者なのかもしれない。



 さて、話は逸れたが、楊の三月の善行が楊の家が爆破された原因だったのはお分かりなったとおもう。

 では、この三文芝居をどのようにまとめるか。

 楊に恋焦がれる設楽季と楊を仏式の結婚式を挙げさせてしまえばよい。

 これで楊には賠償金替わりの財産の移譲が可能となり、ゾンビとなった彼女には俺の経で引導を渡してお終い、となるはずだった。

 つまりここで大団円になるところを、楊がまたもや余計な事をしたのである。


 楊は婚姻届けを出した後、設楽季が望むように式をしている最中、なんと彼女に誓いの口づけまでもした上に、設楽季を恋人の様に優しく抱きしめたのである。


「せっかくだから、君に俺の命をあげるよ。俺も臆病だからさ、一年ぽっちで申し訳ないけど。それでさ、一年でも俺達は楽しくやろうか。さぁ目を瞑って。君の呼吸を楽にしてあげるから。」


 だが、彼の腕の中の花嫁は夫の抱擁に喜ぶどころか、どしんと花婿が尻餅をつくくらいの勢いで突き飛ばしたのである。


「え、ふき、さん。」


「あ、ありがとう。うれしい。でも、あなたが一番大事なの。愛した人に命までかけてもらえるって、なんて素敵なのかしら。夢みたいで、これでもういいの。」


 ふきは楊に微笑みながら答えると、ほうっと吐息を吐き出し、そして、楊が広げる腕の中に崩れ落ちた。


 彼女の財産を奪いたい親族に囲まれていただけでなく、小さな体は醜いと囁かれ続けた彼女だ。

 彼女は信じる者もなく、自分自身を醜いものとして家の中に篭って暮らし、一度も結婚どころか男性とも付き合ったことのなかった人生なのである。

 そんな彼女が出会った無欲どころか自己犠牲的な楊は、彼女にとって天からの授かりもの以外の何者でもなかっただろう。

 彼女は理想で最愛の男性の命を守るためにと我執を捨て去り、そして、成仏してしまったのだ。


 俺のお膳立てを全て無駄にしやがってと、これから素晴らしいを経を上げようとしていた俺に対する全否定的な結末だった。

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