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自分を知っているようで知らない男

 楊の自宅は爆発のような炎で燃やされたが、幸か不幸か燃えた屋根は楊の上に落ちなかった。

 さらに起きた爆発によってものすごい勢いで彼の自宅の敷地裏にある月極駐車場に崩れ落ち、想定外の結果として、そこに停めてあった数台の外車と良純和尚の愛車を燃やしてしまったのである。


 ここで我が良純和尚の出番となる。


 しかし、まず、良純和尚の極端な拘りから説明した方が良いだろう。


 愛人の息子として生まれた彼は家族というものに縁がなく、よって、自分を養子にまでしてくれた師である俊明しゅんめい和尚への思慕の念は、僧侶が釈迦を求める以上なものである。

 解りやすい例とすれば、俊明和尚の没後は、彼が相続した俊明和尚と暮らした家の姿に手を入れるどころか、生前のよすがを残すべく国宝文化財ぐらいの勢いで保存してきたという極端な行為だ。

 つまり、家に穴を空けたくないからと、どんなに暑かろうが寒かろうがエアコンを設置しない。

 ボケしか生えていない庭がいかにバランスが悪く殺風景な庭であろうと、庭は常にその時のまま、ボケの成長だけが目立つ殺風景な状態に保つ。

 そんな、異常ともいえる程の頑なな男であるのだ。


 そんな彼が愛車の為に庭の三分の一にコンクリートを敷いて、門扉を改造して屋根付きのガレージまでも作り上げたと聞けば、彼の愛車への愛情はどれほどのものだったのかは理解してもらえると思う。


 ちなみに、僕の体を思いやってエアコンを設置してくれたので、僕への愛情もかなりのものだといえる。

 否、今や僕は良純和尚の長男であるのだから、彼には一番であるはずだ。


 たとえ、山口が良純和尚に新車を買ってもらっていて、その新車は僕の知らない所で二人でメーカーやら車種やら相談しあっていたのだとしても、僕の方が一番だ。


 だから山口の愛車が外出中であって難を逃れていたことについて、山口の愛車の車庫証明の住所が良純和尚の車が破壊された駐車場だったにもかかわらずだが、僕が残念に思っている訳は無いのである。

 誰も信じてくれないが、ナンバープレートに恥ずかしくも「96-10」なんて数字を選んだ時点で、僕は僕を仲間外れにした二人を許すしかないではないか。


 あぁ、また話が逸れた。


 つまり、自分の愛車が壊された良純和尚が慈愛の心を抱く筈は無く、この事態を招いた者全てに責任を取らせるべく鬼と化して動くのは当たり前だ。


 まず、設楽季の姪。


 次に、楊への姪の不興どころか殺意と行動を知っていても見逃していた自らの宗派の高僧達。


 最後に、大間抜け野郎の楊だ。


 彼は俊明和尚の親友で、最近彼の師となった照陽しょうよう和尚への元へと走り、設楽季ふきに面会できるようにと願い出た。

 すると、次期座主と目されているそのお人は、自らが「見舞い」と称して新弟子の良純和尚を従えて設楽季家へと乗り込んでしまったのである。


 ただ乗り込んだだけではない。


 一目で設楽季の死人であるという状態を看破し、設楽季と生前約束していた彼女の遺産に涎をたらして待ちぼうけの状態の同山の僧たちを蹴散らし、もともとの設楽季家の菩提寺の住職までも自分に寝返らせて、自らが設楽季と山の交渉口となってしまわれたのだ。


 愛欲に狂った設楽季の耳に照陽が囁いたのは、恋愛成就の法。


 つまり、愛染明王の教えだ。


 愛欲までも仏への信仰パワーと変えてしまうという、仏教の無理矢理ともいえる救いの法。


「押さえる必要などありません。愛というものは人である限り、生きるものである限り、奥の底から湧き出るものなのでございます。」


 つまり、愛欲を前面に押し出して思いを遂げ、そして、その思いの成就の為に仏に祈願をしろと判断力の落ちている死人を唆し、結果、設楽季は許され応援されている愛の道へ邁進するべく約束していた以上の寄進を山に奉じ、照陽は設楽季の寄進の受領を持って新弟子の良純和尚に叶えてやれと命じたのだ。

 口約束ではなく確実に約束の金を銀行口座に積み上げさせた照陽和尚に、押しのけられた高僧達は臍を噛むだけだ。

 楊を見殺しにしようとした彼らが、照陽和尚によって無能の烙印という、何もできない者だと辱めを受けたのである。


 僕は「嫌いだ、最低だ。」と言いながらも、照陽和尚に「テルテル」とあだ名をつけて慕っている良純和尚の気持ちがわかるような気がする。


 あそこ迄阿漕な所を見せつけられれば、あの鬼が魅了されないはずが無いのだ。

 人の理を捨て去るために仏門に下ったというあの鬼には。


「あなたは、本当に楽しそうですね。」


 これは声に出してはいないが、相手には聞こえている筈だ。

 事実、僕の横に胡坐をかいて座っていた男は、あはははと青年の様に笑い転げているではないか。

 いや、外見を青年に戻しているのだから、青年そのものの笑いでいいのかもしれない。

 享年五十六歳の俊明和尚であるが。


「楽しい事この上ないよ。あの子は寂しくなく、まぁ馬鹿なままだが、必死に仏の道を歩んでいる。あの子が生き生きと、人生を楽しんでいるんだよ。」


 彼は「良純和尚の修業を見ていたいからしばらくは成仏はしない。」という己の遺言を守って、それはもうストーカーの様に良純和尚の行く先々に現れている。

 良純和尚のお務めの時以外には姿を殆ど見せないが、僕が困っていたり危険な時には、時々人の口を借りて良純和尚に知らせたりもしてくれていた。


 何しろ、何もできない僕は幽霊どころか見えないものが見える人であるが、何でもできる完璧な良純和尚は、見えないものなど全く見えない人だからだ。


 そんな全く見えない人が死人を死体に戻せる神通力があるなどと、一体誰が信じようか。


 まぁ、本人も神通力ではなく、「ありえない」という自分の価値観をぶつけているだけだと嘯いてもいるが。



「考え方の違いだろ。仏教には最初からイザナミもイザナギもいないんだ。ギリシャ神話のオルフェイスも、冥王セデスの嫁にされたペルセフォネだってね、全く存在しない。そんなルールは俺達には関係ないねってことだ。死体だって、生きているって思うから動くんであって、死体は動かない物だって思えば動こうとしないものだろ。」



 確かに仏教においては確実にあり得ないものだろうが、阿弥陀如来の救いまでも無いものにしている僧侶でいいのであろうか。


 僕は彼の師である俊明和尚を見返したが、切れ長の二重に角ばった所が一つもない中性的な美僧は、僕の不審の目線を受けてもしたり顔で見返すだけだ。


「良純さんは楽しいかもしれませんが、今のお話ではかわちゃんがちょっとどころか物凄く可哀想です。」


「そうかな。」


「そうです。設楽季はかわちゃんのお陰で阿弥陀様の救済を得られたかも、ですが。」


「うーん。君って浄土真宗だったのかな。武本家はうちの宗派だったでしょう。」


 僕は思わず片手で口を押えた。


 養子になる前の家、つまり武本物産の経営者一族である武本家の菩提寺と良純和尚達の宗派は一緒だけれど、僕は母方の実家の浄土真宗ばっかりだと気が付いたからだ。

 法事大好きの武本家の法事に当主の自分は腐るほど出席していたというのに、僕は母方のお客様だった法事の方が心に残っているのである。


 お客様でいられたからであろうか。


「あ、どうしよう。僕は良純さんにお経を読んでもらうのは絶対なのに、死んだ時は浄土真宗のやり方が良いって思っちゃった。全部じゃなくて、えと、終わった時の法話が欲しいの。僕にちなんだ法話って何だろうって僕も聞きたい。僕を失った気持ちをどんな法話で癒そうとするんだろうって、僕は知りたいの。それに、仏壇も煌びやかで派手な方がいい。僕がキラキラな所にいるって、みんなに思っていて欲しい。」


 俊明和尚は僕の頭にポンと彼の手を乗せた。

 重さなど感じないが、その素振りは良純和尚が僕によくする素振りそっくりで、きっと俊明和尚は自分よりも大きな子供である良純和尚をそうやって褒めたり慰めたりしていたのかもしれない、と思った。

 僕がそうやって慰められるのは、僕は二十歳の誕生日に一度死んで、でも、武本家の五十年の呪いでこうして生きていると俊明和尚は知っているからであろう。


 短命の武本家は当主が五十迄生きれるようにと神仏に祈り、この八十歳以上は生きれる現代において当主が五十代までしか生きれないという呪いに変わった間抜けな一族でもあるが、その一族に生まれた当主の僕は、その呪いが五十迄は生きていられるという恩寵そのままとなっているのである。


 僕は確実に良純和尚よりも早く死ぬ。


 山口はわからない。


 家族のいない彼は一人だった以前ならば僕が死んだら死ぬ勢いであったが、今や良純和尚にも惚れているようなのだ。

 そんな彼であれば。

 あるいは、彼が僕と同じ見えないものが見えるというのならば、僕の幽霊を見て、僕の事を良純和尚に伝えようと生きてくれるかもしれない。

 僕の母方の一族が守る神社の神主にまでなった男だ。

 きっと生きてくれるだろうし、うん、それならば、良純和尚は寂しくはない。


「君は良い子だよ。」


「あぁ。考え事迄読まないでください。」


「ははは。気にしないで。死んだ者のすることなど、生者には関係ない事なんだから。あぁそうだ。葬式の事ならばね、大丈夫だよ。あの馬鹿息子は、仏教はぜーんぶ同じ葬式の仕方だと思っていたからね。君が頼めば法話ぐらいやってくれるよ。華やかな仏壇が良ければ、瓔珞ようらくを吊って貰えばいいじゃないか。うん、私もあれは楽しいかもね。一般家庭の仏間にあれがぶら下っていたら、間抜けこの上無い気もするけど。あいつにはそこは拘りは無い筈だから、きっと変な仏間にしてくれるはずだよ。だってね、浄土真宗の家の人間が良寛大好きって言いますか?良寛記念館に案内してもらえれば、禅宗かなって思い込むのも当たり前ですよねってあいつに聞かされた時、僕は腹を抱えて笑ったもの。なんて馬鹿な子なんだろうって。良寛はそこの地元どころか、書家として有名な方だろうにって。」


 思い込みの激しい良純和尚は、高校時代の親友の死に関して、坊主の読経ぶりに感動したから僧侶になったらしい。

 だが、彼は宗派違いをしていたという落ちがつく恥ずかしい過去も持っている。

 僕が馬鹿な振る舞いをするから山口を愛しているように、俊明和尚も完全無欠で完璧な良純和尚が思いかけずに馬鹿な失敗をしている姿がとても愛おしいと思っているのだろう。


 人間は不完全さ、こそ愛するのだ。


 僕の膝に乗って僕に甘えるアンズは、鼻の先にアプリコット色の毛がトサカのように生えている以外丸裸の不格好な生き物だ。


 けれど、とてもとても温かくて滑らかで、ただただ可愛らしい生き物にしか思えない。

 僕に見つめられている事に気が付いたか、彼女は前脚を僕のお腹を押すようにして支えにして、二本足で立ち上がって僕を見つめ返したのである。


「ふふ。アンズちゃん。君は本当に可愛いね、僕は君を失ったらと考えただけで、辛くて涙が零れてしまうよ。」


 僕達は鼻をくっつけあって生きていることを互いに喜び合い、僕に楊の哀れな顛末を語っていた幽霊は僕達の姿に笑いながら消え去った。

 僕の瞳からほろりと涙が一粒零れたのは、楊が受けたばかりの哀れさへではなく、彼が大事な鳥を失っている事に対してである。


 僕もアンズちゃんを失ったらって。

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