運命の悪戯
…いい匂いがする。
お肉焼いてる匂いだ。
あー、お腹空いたなぁ、昼食べてないもん。
だってお店で店主さんが倒れて…
…最終的に倒れたのは、僕じゃね?
そう思い出して、僕は体を勢いよく起こした。
おでこに乗っかってたであろう濡れタオルが太ももの上に落ちる。
さらりと視界の横に見えた黒髪に、魔導具がまだ作動していた事に安堵した。
「まぁ、ジェリスちゃん!大丈夫?!」
声がする方向を向くと、母様が驚いたような顔をしていた。
飲んでいたお茶を机に置き、僕の側まで駆け寄ってくる。
それに続いてシャーリーも近付いてきた。
「かあ…奥様、ここは…?」
「お店の中よ。貴女がロッツォを助けてくれたから、お礼に彼が特別なお昼を作ってくれているの。もう少し休んでなさいって言ったのに、ねぇ?」
「きっとジェリスさんが気に入りますよ。ロッツォさんは若い頃、ローレンス様にお仕えされていましたから、味付けとかが他とは違うんです」
「ローレンス…?」
「王妃様からお聞きではありませんか?6年前に亡くなられた先代の愛し子様ですよ」
あぁ、僕と一緒で性転換しちゃったって人か!
それは凄い人だな、なんでうちの領地にいるんだ?
「あぁ、お嬢さんは起きましたか?先程はありがとうございます。おかげで助かりました」
湯気の立つお皿を運びながら、男性がこちらに向かってきた。
顔は今初めて見たけど、この人がロッツォさんか。
色黒でガタイもいいけど、結構穏やかな印象のおじさんだ。
なんで料理人ってみんなガタイいいんだろ。
セイルといい、フェルといい、ロッツォさんといい。
ドリーはそんな事ないのに…
え、もしかしてドリーもこうなるの?!
えぇー…そしたらリリーに似合わなーい…
「どうかされましたか?お嬢さん」
「い、いえ、なんでも…お元気になられてよかったですわ」
「お恥ずかしい話ですが、昔から胸の辺りが弱くて…昔は定期的にローレンス様がご好意で診て下さっていたのですが…」
「ローレンス様はとてもお優しい方でしたからね。私も何回かお会いしましたが、とても穏やかで紳士的で…何故か女性の気持ちもよくわかっていらして、旦那様との事でご相談させていただいた事もあるわ」
母様が思い出すように微笑む。
そりゃ、まぁ、女性の気持ちもわかるだろうなぁ…
「そうそう、ジェリスちゃん。貴女さえ良ければ、ロッツォに相談してみるといいわよ。彼は口も堅いし、色々わかってる人だから」
…つまり、僕の都合次第で正体をバラしても構わない、と。
でも確かに、街の中で正体知ってる人が1人くらいいた方がいいよな。
遊びに来た時、逃げ場があった方が助かるし。
「じゃあ、そうします」
「わかったわ。ロッツォ、今から見る事、聞く事は他言無用よ」
「え?あ、はい。承知しました。なんでしょう?」
ロッツォさんの返答を聞き、母様が僕に目線で合図する。
僕は手首に付けていた魔導具のブレスレットを外す。
ブレスレットは外した瞬間、粉々に砕け散った。
…やっぱり1回でダメになったか。
「そのお姿は…!!」
僕の髪が短くなっていく。
色も抜け、元の銀色になる。
ただし、メッシュとして黒髪は残ったまま。
伊達眼鏡を外し、ロッツォさんに向き直る。
「…まさか、愛し子様であらせられますか…?」
「うん。僕の名前はユージェリス=アイゼンファルド。侯爵家次男で、愛し子だよ」
「昨年の陛下からの放送は聞いておりましたが、まさかルートレール様とマリエール様のお子とは…!なんと、運命というものはわかりませんなぁ…また、愛し子様に我が身を助けていただけるとは…」
ロッツォさんは持っていたお皿を机の上に置き、流れ出る涙を袖で拭った。
「…愛し子様、いえ、ユージェリス様にお聞きしたい事があります。お答え出来ない場合はそうおっしゃって下されば結構です」
「何?」
「…貴方様は、ローレンス様では、ないのですよね…?」
「…違うよ。僕は、ローレンスさんではない。少なくとも、ローレンスさんの記憶もないし、彼の顔すら知らないんだ」
僕はあくまで『相楽柚月』の記憶があるだけ。
きっとローレンスって人は、別の日本人の女性だった。
その生を終えて…この世界に戻ってきているのか、地球に戻ったのかは、わからないけど。
僕ではない事は確かだ。
…ユージェリス君がローレンスさんの生まれ変わりって可能性は、無きにしも非ずだけど。
「そう…ですか…いえ、失礼な事をお聞きしました。お許し下さい」
「構わないよ。貴方にとって、ローレンスさんは大切な人だったんだね」
「そうですね…とても、とても大切な方でした。こんな事を言うとおかしいと思われるかもしれませんが…ちょっとした、初恋だったのかもしれません」
「初恋?」
「…歳の離れた男同士で、と思われるかもしれませんが、何故か、ローレンス様をお慕いしていたのですよ。尊敬の念だったのかもしれませんが、今となってもよくわかりません。ただ、あの方が亡くなった時には…途方もない喪失感に苛まれたものです」
ロッツォさんが力なく笑う。
…きっと、ロッツォさんはローレンスさんの前世に恋をしていたんだな。
ローレンスさんの中にある『前世の女性』を感じてしまったんだ。
尊敬から敬愛に変わって、そして愛情に変わるところだったのかも。
もしかしたら、母性を感じて母親のように慕ってたのかもしれない。
今となってはわからないけども、きっとそうだったんだね。
「…おかしいなんて、思わないよ。貴方は、それだけ、ローレンスさんが大事で、大好きで、大切な人だったんだから。その気持ちは、否定しなくていい」
「ユージェリス様…ありがとうございます…」
ロッツォさんは笑いながら涙を流す。
心なしか、晴れやかな表情をしていた。
少しは自分の中で気持ちを整理出来たのかもしれない。
よかったよかった。
「…さて、折角だから温かいうちにご飯食べましょ。ロッツォ、用意してちょうだい」
「はい、マリエール様」
「そしてユージェリスちゃん」
「ん?何?」
「…食べる前に、着替えておいたら?そのままでも可愛いけどね」
…母様の言葉に、目線を下にやる。
今の僕の格好は…ズルズルになったメイド服。
「…着替えてきます」
めっちゃ締まらない…
いたたまれなくなって、僕はトイレを借りて着替える事にした。




