悩める宰相様《side ヴァイリー王国宰相》
「まだ書類の確認があるのか?いい加減余は疲れたであろぉ〜」
目の前の豚…失礼、陛下が無駄に豪華な椅子の上で駄々をこねる。
少々小難しい(と言っても私からすれば簡単な部類の)書類を多く紛れ込ませたからか、早々に小言が増えてきた。
ここからが私、宰相ヴァジル=レ=ボーエンの腕の見せ所だ。
ここから陛下の処理能力は著しく低下する。
書類をあまり確認しなくなるのだ。
そこで各領地からの本当に承認させたい書類を少しずつ紛れ込ませる。
それに陛下は気付かずに押印をしてしまう。
…なんと愚かな男なのだろう。
私達が謀反をしようとすれば、簡単に出来るだろう。
国を想わず、私利私欲に走る貴族がいない事が、我が国の誇りである。
但し王族血縁者は除く。
「茶にせんかぁ?もう軽食の時間であろー?」
「いえいえ、もう少しにございますよ。ちゃっちゃと終わらせてから軽食に致しましょう?」
ここで休憩なんぞ挟んでなけなしの集中力が戻ってもらわれても困る。
中身は確認しなくていいから、さっさと片付けてくれ!
「し、失礼します!宰相様!少しお耳を…!!」
突然、私の秘書官が執務室に飛び込んできた。
通常ならば返事を待たずに入室した彼を咎めるところだが、いつもに増して切羽詰まった感じがしたのでやめておく。
「どうした、何かあったのか?」
「それが…」
秘書官が近付き、小声で耳元に囁く。
「…リリエンハイド王国アイゼンファルド侯爵夫人様と、そのご子息であるユージェリス=アイゼンファルド様が登城されたのです…!」
「なっ?!」
アイゼンファルド侯爵夫人と言えば、あの百合姫アマーリア様のご息女!
そしてそのご子息、ユージェリス様とは…あちら特有の『精霊の愛し子』というものだったはず。
そして我が王国の王位継承権をお持ちで、無謀にも陛下が我が王国に婿入りしろと命じたお方。
あれは本当に失敗した、まさか陛下が私を通さず勝手にそんな書面を送るとは…
向こうからの遠回しな抗議とお断り文が私の元に届いた際には、本当に肝が冷えた。
周辺諸国と歴史の勉強をしていれば、あの国の『精霊の愛し子』に手出しをする事は悪手だと分かるはずだった。
かの昔、とある国が『精霊の愛し子』を拉致して滅んだという逸話もある。
そして何より今回のお方はリリエンハイド王国の王位継承権もお持ちだった方だ。
そんな招集に応じるはずがない。
…そしてそんな事にも気付かずに、この男はやらかしたのだ。
何が『勝手に婚姻相手を決めてはうちの姫達が可哀想じゃがのぅ、この男には種馬になって貰わんとなぁ』だ!!
お前は国を滅ぼしたいのか?!
…心の中とは言え、かなり荒ぶってしまった、いかんな。
とりあえず秘書官に応接室へお通しするように指示を出すと、彼は真っ青な顔で頷いてから走り出した。
そんな様子を見ていた陛下が、少し怪訝な顔で首を傾げる。
「なんじゃ?無礼な男じゃのぅ。余を無視するとはいい度胸であろう!」
「大変失礼致しました、陛下。少々問題が発生致しましたので、私もそちらへ参ります。陛下は先に軽食になさいませんか?」
「おぉ!そうじゃな!余は部屋に戻っておるぞー!」
そういって普段見せない俊敏さで執務室を飛び出す陛下。
どうやってあの体であの速度が出るんだか。
私はそんな事を考えつつ、手元の書類を纏める。
…心なしか手が震えてしまうのは、もうどうしようもないな。
もう不安しかない。
絶対お怒りだろうなぁ…
一層の事、陛下にだけ天罰を食らわせて下さらないだろうか。
あぁでも、それだと結局王位継承する方がいなくて混乱を招く…
最悪、かの方よりも継承順位の高い、生まれたばかりの赤子を仮初めの王として…
いや、あそこの親が介入して上手く回らなくなるな。
…サルバト様、貴方さえいらっしゃれば…
お怪我の具合を陛下に聞こうが答えず、離宮は王族しか使用不可の魔導具によって閉鎖され…
確かにあの離宮には誰かいる雰囲気はあるが、果たしてそれはサルバト様なのだろうか。
こうなったらあの離宮に強行突破するしかないのか?
噂では結界に触れると瞬殺されると聞くが…
いくらサルバト様がお怪我をなさろうと、口がきけて思考が鈍っていないのであれば問題ないのだ。
そう進言しても、陛下は『彼奴はもうダメだ』としか仰らない…
…かの方なら、何か状況を打破出来るのでは?
しかし、怒りを買っている現状では頼めるものではないし…
不安は尽きない。
そろそろ残りの髪も全てなくなりそうだな…
中々いいお年の宰相様。
大分薄くなったその頭は、あとどれくらい持ち堪えられるのであろうか…