第8話‐1 黒鏡村
カーナビを起動させて車を走らせた二階堂は、通勤する車を縫うように北を目指す。向かうは、県境に位置する集落、黒鏡村。そこに白梨が言っていた八咫烏がいるらしい。
(八咫烏か……。彼女って言ってたから女性なんだろうけど、どんな人なんだろう?)
そんな疑問が浮かんだが、とにかく行ってみればわかるだろうと考え直しハンドルを握り直す。
八咫烏がどんな性格の持ち主なのかという疑問は、今の二階堂には取るに足らない些細なことだった。そんなことよりも、強くなって蒼矢の負担を軽くしたい、相棒として彼の隣に立ちたいという思いが、二階堂を支配し突き動かしていた。
国道四号線をひたすらに北上していると、景色は次第に市街地から田園風景へと変わっていく。普段なら心安らぐその風景も、今回に限ってはその効果を発揮できないでいた。
しばらくすると、景色はまた市街地へと変わる。建ち並ぶ家々を横目に見ながら、二階堂はカーナビの音声案内にしたがって交差点を右折する。黒鏡村に行くためには、一度、国道四号線から降りて市街地に入らなければならないのだ。
市街地を抜けると、景色はまたのどかなものへと変わる。時折、数台の対向車とすれ違う以外は、車の通りはほとんどない。平日だからというのもあるが、黒鏡村には観光名所と呼ばれる場所がほとんどないのだ。
白紫稲荷神社を出てから約一時間半後、ようやく『黒鏡村』と書かれた市町村標識が見えてきた。それを確認すると、二階堂は村の中心部へと車を走らせる
黒鏡村は、人口約二万人の村だ。住民のほとんどが農業を営んでいる。村の名を冠したアスパラガスが有名で、水分量が多く甘味がありとても美味しいと評判だ。市町村合併の話が持ち上がった時に、当時の村長が黒鏡ブランドがなくなることを危惧して合意しなかったらしい。そのため、現在も県内唯一の村として存在している。
この村では、独自の信仰として八咫烏信仰がある。昔、近くを流れる川が氾濫し、村はたびたび水害に見舞われていた。そこへ現れた八咫烏が氾濫を鎮め、水害から身を守る術を住民に授けたという。その方法を試したところ水害に見舞われることはほぼなくなった。それ以来、村では祠を建てて、八咫烏を奉っているのである。
村の中心部にさしかかると、数多くの住宅の他に個人商店が建ち並んでいるのが見える。また、コンビニやスーパーマーケットなどのチェーン店も少なからずあった。建物だけでなく植物もそこかしこにあり、人と自然がうまく共存していることがうかがえる。
「こういうところだと、時間の進み方もゆったりしてるのかな……」
ふと、二階堂は独りごちた。
もちろん、場所によって時間の進み方が違うということはない。しかし、この村特有の雰囲気なのだろうか、ここでは時間がゆっくり流れているのではと錯覚してしまう。
だからと言って、引っ越すかどうかはまた別の話なのだが。
二階堂が村の中心部から少し東側へと車を走らせると、住宅は少しずつ減り木々が増えていく。しばらく走ると、交差点にさしかかった。
カーナビの案内にしたがって左折し、道なりに進んでいく。道路の両脇に生い茂る木々は、少しずつだが色づき始めていた。
そんな秋の気配を感じながら進んでいくと、ナビが右折を要求する。指示通りに曲がって少し行くと、左前方に開けた場所が見えてきた。
(あれか?)
そう思うと同時に、ナビが音声案内終了を伝える。
二階堂は、その空地に入ると適当な場所に車を停めた。
「ここ……だよな?」
不安そうに疑問を口にする。
車窓から見える景色は生い茂る木々だけ。建物はおろか、人っ子一人も見当たらないのだから不安になるのもしかたがない。
だが、このままここにいても埒が明かないのは明白で。
ため息を一つすると、二階堂は車から降りて辺りを探索することにした。
改めて周囲を見回してみると、この区画だけ砂利が敷き詰められている。どうやら、簡素ながら駐車場になっているようだ。
森の方へと歩いていくと、一本の細い道を見つけた。その入り口には、『烏の社』という文字と矢印が書かれた小さな看板が立てられている。
確信を持てないまま、二階堂はそれが指し示す方へと歩いていく。その道は、遊歩道とまではいかないまでも、整地されていて歩きやすかった。
しばらく歩くと、視界が開け木造の建物が見えてきた。それは、漆黒の屋根が特徴的な祠だった。古めかしいが、管理が行き届いているのかとてもきれいである。
(ここ、か……)
二階堂の心に影を落としていた不安は消え去り、ここが目的の場所だと確信した。
祠周辺の空気が、神社仏閣特有のそれと同じだったのだ。
二階堂は、祠の目の前まで行くと迷わず手をあわせた。
「おや、客人なんて珍しい」
突然、頭上から女性の声が聞こえてきた。
「――っ!」
二階堂が弾かれたように上を見ると、祠の屋根の上に巫女服姿の女性が座っていた。
(いつの間に……)
二階堂は、警戒しながら突然現れた彼女の動向をうかがう。
巫女服だから、彼女が神職に就いているだろうことは、何となく想像がついた。見た目もごくごく普通の人間である。だが、先程まで気配さえも感じさせずに唐突に現れたのだ、彼女が普通の人間でないのは明白だろう。
長く艶やかな黒髪をなびかせながら、彼女はふわりと地上に降り立つ。まるで、重力を感じていないかのようだ。
「悪い悪い。驚かせるつもりはなかったんだ。そんなに警戒しないでくれ」
彼女は、苦笑しながらそう告げる。
二階堂より少しだけ背が低い彼女は、豊満な胸がより強調される程スタイルがいい。それだけでなく、すみれ色の切れ長の目と瑞々しい唇が彼女の美貌を際立たせている。端的に言えば、美人である。
しかし、二階堂は彼女の美貌と柔らかな雰囲気に毒気を抜かれ、曖昧な返事しか返せなかった。
女性は肩をすくめると、
「あたしは、柚月。この祠の管理を任されてる者だ」
にこやかな表情は崩さずに、そう名乗った。
釣られるように、二階堂も戸惑いながら自己紹介をする。
「あんただろ? 強くなりたいっていう人間は。白梨殿から聞いてるよ」
「――っ! じゃあ、貴女が八咫烏……?」
白梨の名を彼女の口から聞き、警戒心と疑念が一瞬で消え去った。
柚月はうなずいて、
「これでも一応、神様なんだけどね」
「す、すみませんっ! 失礼な態度を取ってしまって」
何度も頭を下げて平謝りする二階堂。
「いいって、いいって。あたしも驚かせちゃったし」
柚月は、気にしていないからと二階堂に笑顔で告げる。
「それと、あたしのことは様づけで呼ばなくていいから。かしこまられると変に居心地悪くてさ、苦手なんだよね。……それで、相棒のために強くなりたいって?」
「はい。これ以上、負担はかけたくないので」
「健気だね~。ま、そういうことなら、全面的に協力するよ」
そう言うと、彼女は祠の隣に重厚そうな茶色の扉を一瞬で作り出した。
「それは……?」
と、二階堂が尋ねる。
「修練場への入り口さ。この扉をくぐったら、修行が終わるまで戻ってこられない。その覚悟はできてるかい?」
先程の柔和な表情にかわり、真剣な眼差しで柚月が問う。
ともすれば、気圧されてしまいそうな程の眼光を持つ彼女の瞳を真っ直ぐ見つめ、二階堂は力強くうなずいた。
「よろしくお願いします!」
「よし。早速、始めようかね」
望む答えだったのだろう、柚月はうれしそうにそう言うと、二階堂を引き連れて扉の中へと入っていった。




