第6話‐1 連続失踪事件
1.連続失踪事件
まだ夏を感じる日差しと、カーテンを揺らす涼やかな風。徐々に周囲は秋色へと模様替えをしていく。
そんな九月のある日のこと。心地よい風は、不穏な空気も運んできた。
ここ連日、とある事件がワイドショーやニュース番組を賑わせている。
――謎の連続失踪事件。
若い男性が、次々と行方不明になっているのだ。
失踪したとされる場所や時間はばらばらである。加えて、被害者をつなぐ共通点もほとんど見つかってはいなかった。それにもかかわらず、警察は各行方不明者を事件性のある連続した失踪と位置づけ、捜査本部を設置し大がかりな捜査を行っている。
各ニュース番組などはこの事件を大々的に取り上げ、コメンテーターなどの考察を交えながら報道していた。
「……六人目の行方不明者、ねえ。本当に共通点ねえのかよ?」
ワイドショーが映るテレビをぼんやりと眺めながら、蒼矢は独りごちた。
飴色のポロシャツと黒のカーゴパンツに身を包んだ彼は、いつも通り遅めの朝食を終え、食後の紅茶を堪能しているところである。
「――蒼矢はどう思う?」
洗い物を終えた二階堂が、キッチンから戻ってくるなりそう尋ねた。
いつ来客があってもいいようにと、白シャツに濃い茶色のベストとスラックスという仕事用の服を身に纏っている。
「何かしらの共通点はあるんじゃねえの?」
と、蒼矢はテレビを見ながら、二階堂の問いに答えた。この報道だけでは何とも言えないけれど、と注釈を加えて。
「まあ、確かにね。何もなかったら、警察が捜査本部を立ち上げるわけないだろうし」
そう言って、二階堂は椅子に座りテレビを注視する。
テレビでは、相変わらずこの事件の謎についての考察が続けられていた。
「今回の事件、妖怪の仕業だったりしてな」
蒼矢が冗談半分で告げると、それを肯定するかのように玄関の呼び鈴が鳴った。
「――っ!?」
二人は肩をびくりと震わせ、顔を見あわせる。開店休業状態が続いていたこともあり、完全に油断していたのだ。
二階堂は小さく深呼吸をすると、仕事モードへと意識を切り替え玄関へと向かう。
扉を開けると、そこにはスーツを着た体格のいい茶髪の男が立っていた。
「……榊か。いらっしゃい、今回はどんな依頼だ?」
見知った顔に、二階堂は胸を撫でおろす。それを気取られないように、できるだけ平静を装って声をかけた。
彼の名は、榊祐一。二階堂の高校時代からの友人であり、取引相手でもある。警察官である彼は、警察と幽幻亭との橋渡しを担っているのだ。
「実は、結構厄介な事件でさ」
短いあいさつの後、榊は険しい表情で答えた。
彼の表情から事の深刻さを感じ取った二階堂は、それ以上は何も聞かず家の中へと招き入れた。
二人が居間に向かうと、蒼矢が人数分のティーカップを配膳しているところだった。二階堂が玄関で対応している間に、準備をしていたのだろう。
三人がほぼ同時に椅子に座ると、榊は持っていた黒いカバンから資料らしき数冊の紙束を取り出し、
「今回依頼したいのは、この件なんだ」
そう言って、テーブルの上に置いた。
二階堂と蒼矢は、それぞれ一冊ずつ手に取り目を通す。
「榊、これ……!」
険しい表情で声をあげた二階堂に、榊は無言でうなずいた。
それは、先刻まで話題にしていた連続失踪事件の捜査資料のコピーだった。本来は、資料の持ち出しはコピーと言えども禁止されている。しかし、状況はそうも言っていられないようである。
「総力を上げて捜索してるけど、目撃情報も有力な手がかりもほとんどなくてさ。もしかしたら、妖怪の仕業なんじゃないかって、もっぱらのうわさだよ」
そう言って、榊は肩をすくめた。
「マジか……」
蒼矢が小さくつぶやいた。
無理もない。先程冗談で言ったことが、冗談では済まなくなりそうなのだから。
一通り資料に目を通した二階堂は、行方不明者の性別が全員同じであることに気がついた。年齢は十四歳から三十五歳と幅が広い。加えて、この六件の失踪事件は、ここ二週間以内に起きている。
「……全員、男なんだな」
「ああ。けど、全員の素行が悪かったってわけじゃない。聞き込みでも『他人に恨まれるような人じゃなかった。姿を消した理由がわからない』って声を何度も聞いたよ」
お手上げだとばかりに言って、榊は紅茶に口をつける。
なるほどとうなずいた二階堂は、この依頼を受けることにした。そもそも、警察からの依頼を断ったことなど一度もなかったが。
「助かるよ。連絡は、いつも通り俺の携帯によろしく。それじゃ」
人好きのする笑顔でそう言って、榊は捜査に戻っていった。
「……妖怪の仕業だとして、痕跡残ってると思うか?」
しばらく資料を見ていた蒼矢が、懐疑的に二階堂に尋ねた。
「どうかな? 一、二件目はともかく、直近のだったら残ってそうじゃないか?」
そう言って、二階堂は一冊の資料を蒼矢に手渡した。
それは、六件目とされる行方不明者の資料である。それによると、彼の名は柏木充と言い、一昨日の午後六時すぎに市役所の駐車場で消息を断ったとされている。
「確かに、これなら何かありそうだな」
資料を確認した蒼矢は、そううなずいた。どこか楽しそうである。
「それじゃあ、行くとしますか!」
二人は、失踪現場となった市役所へと向かうことにした。
2. 聞き込み調査
市役所は、幽幻亭から車で五分程の場所にある。老朽化のため新しく建て替えられた庁舎は、ガラスが多用されており周囲の建物よりも都会的な印象を受ける。
駐車場に車を停めると、二人は柏木充のことを聞くため市役所内へと向かった。
庁舎に入ると、真新しいロビーが二人を出迎えてくれた。数メートル先の正面に受付らしきカウンターがあり、二人の女性職員が並んで座っている。
二階堂は受付けの女性に声をかけ、
「こちらに勤めている柏木充さんのことについて、少々お聞きしたいのですが……」
と、名刺を差し出しながら、彼を知っている人物に取り次いでほしいと告げる。
女性達は顔を見合わせると、
「少々お待ちください」
と、どこかへ電話をかけた。
しばらく待っていると、
「詳しい者が参りますので、そちらでお待ちください」
と、ロビーの端の方にある休憩スペースに案内された。
そこにあるのは、長方形の白いローテーブルと四脚の白い椅子のセット。それが十組程、窓際に沿って等間隔に並べられている。肩までの高さがある黒いパーティションが各セットの間に設置されているため、ちょっとした個室のようだ。
二人は、受付からほど近いテーブルを選び大人しく待つことにした。
数分後、小太りの男が小走りでやってきた。
「お待たせしてすみません」
額にうっすらと汗をにじませた男は、小畑昭秋と名乗って名刺を差し出した。
二階堂はそれを受け取ると、自分も名刺を差し出して蒼矢とともに自己紹介をする。
三人がほぼ同時に着席すると、二階堂は改まったように口を開いた。
「警察にも話されたとは思いますが、柏木さんについてお話を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「はい、私が知ってることであれば……」
「では、一昨日の柏木さんの様子について、何か変わったことなどはありませんでしたか? 例えば、何かに悩んでいたとか……」
小畑は少し考え込んだ後、とくに変わった様子はなくいつも通りだったと告げた。
「誰かと揉めてたってこともないのか?」
と、蒼矢。
「柏木が誰かと揉めてたなんてこと、見たことも聞いたこともありません。あいつは真面目な男で、優しさが服を着て歩いてるような奴ですから」
「と言うと、誰にでも優しかったと?」
小畑はうなずいて、職員だけでなく市役所に訪れる人々にも優しく、懇切丁寧に対応していたと告げた。
「私も、柏木にはかなり助けられました。相談にのってもらったり、愚痴を聞いてもらったり……」
「柏木さんとは仲がよかったんですか?」
「ええ。同じ部署で年が近いのもあるんですが、釣りが共通の趣味でして。よく、休日に二人で釣りに行ってました。柏木は本当にいい奴で、皆からとても頼りにされてましたね。かくいう私も、あいつを頼りにしていた一人なんですがね。……それが、どうしてこんなことに――」
小畑はうつむき、言葉を詰まらせる。その声は少し震えていて、涙ぐんでいるのだろうことがうかがえる。
しばしの沈黙の後、涙をぬぐった小畑は二階堂と蒼矢を交互にまっすぐ見つめて、
「あいつを……柏木を見つけだしてください! どうかお願いします」
そう言って、深々と頭を下げた。
二階堂と蒼矢は、必ずと力強くうなずいた。
「他に、柏木さんとよく話をされていた方はいらっしゃいますか?」
「そうですね……。ああ、そこのパン屋の店員さんなら、一昨日も話してたんじゃないですかね? 毎日のようにパンを買っていたので」
小畑はそう言って、受付から少し奥に進んだところにある小さなパン屋を指差した。
「なるほど、ありがとうございます。それと、職員用の駐車場はどこにありますか?」
「この庁舎の裏手にありますよ」
二階堂と蒼矢はもう一度礼を言うと、小畑が指し示したパン屋へと向かった。
受付を通りすぎると、各フロアのエリア案内が書かれた大きな案内板が立てられている。その横に、先程小畑が言っていたパン屋があった。
市役所内の雰囲気を壊さないよう、ブースの色合いはモノトーンで統一されている。しかし、多数のパンが所狭しと並べられているショーケースが、自身の存在を主張していた。
ショーケースの前に来ると、その奥で一人の女性店員が何やら作業をしているのが見えた。
「すみません」
二階堂が声をかけると、女性は弾かれたように振り向いた。茶色のポニーテールが、なびくように揺れる。
「いらっしゃいませ」
「あの、お尋ねしたいことがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」
と、二階堂が名刺を差し出しながら尋ねる。
彼女はそれを受け取ると、
「幽幻亭――あ、もしかして退治屋の方ですか?」
可愛らしい笑顔で質問を返した。
「……ええ、まあ。警察の方からはそう呼ばれてますが……」
なぜそれを知っているのだろうかと、二階堂は疑問に思う。『退治屋』と呼ぶのは、警察関係者だけなのだ。
疑問が表情に出ていたのだろう、
「ここ、警察署の隣に本店があるんです。それで、よく警察署に勤めてる方々が買いに来てくれるんです」
そこで会話を小耳にはさみ、常連の警察官に教えてもらったのだと。彼女は説明する。
「なるほど。それでご存知だったんですね」
「ええ。……それで、聞きたいことって何ですか?」
「柏木充さんのことなんですが、ご存知ですか?」
「はい、もちろん知ってます」
「実は、一昨日、退社された後から柏木さんの行方がわからなくなってるそうなんです」
「え、そうなんですか!? ……あ。だから、昨日は買いに来なかったんだ」
「と言うと、柏木さんはよくここに?」
「ええ。毎日、メロンパンとサンドイッチを購入されてました」
「毎日、ねぇ……。よく飽きねえな」
蒼矢が素直な感想を口にすると、詩織は同意して、
「毎日同じもので飽きないのか、聞いたことがあるんです。そしたら、『ここのパンの中でも、この二つは特にお気に入りなんだ』って」
子どものような満面の笑みで言っていたと、うれしそうに話す。
「なるほど。では、最近の柏木さんについて、何か変わったことはありませんでしたか?」
詩織は少し考え込んだ。しかし、口にした答えは、小畑と同じ『特に変わった様子はなかった』というものだった。
「そうですか……」
二階堂は、無意識のうちに落胆の色を声音に乗せてしまっていた。
暗い空気が三人を包み込もうとした時、詩織が思い出したように口を開いた。
「……そう言えば、一昨日のお昼くらいに美人なお姉さんとお話ししてましたよ」
「美人なお姉さん……?」
そう聞き返して、二階堂と蒼矢は顔を見あわせる。
「ええ。あまり見たことない方でした。親しそうに話してたので、彼女さんかなって」
そう告げる詩織の表情は、どこか寂しそうに見えた。どうやら、彼女は柏木に好意をよせていたらしい。
それに気づいた二階堂だが、そんなことはお構いなしに彼女が見たという女について身を乗り出して尋ねた。
二階堂の勢いに気圧されながらも彼女は、
「えっと……覚えてるのは、長い黒髪がきれいだったことと、たぶん香水だと思うんですけど、キンモクセイの香りがしたことですね」
「なるほど。長い黒髪にキンモクセイの香り、ですね。ありがとうございます!」
礼を言った二人は、心なしか軽い足取りでパン屋を後にした。
3.邂逅
庁舎を出ると、
「なあ、今の話どう思う?」
と、蒼矢が隣を歩く二階堂に尋ねた。
「毎日食べても飽きないなんて、とっても美味しいパンなんだろうな」
「そっちじゃねえよ! 黒髪の女のこと!」
素なのか意図してなのかわからない二階堂の発言に、蒼矢は呆れながらもツッコミを入れる。
「ああ、そっちか。そうだな……その黒髪の女性が、この一連の事件に関わってるのは間違いないと思う。まあ、ただの人間とは思えないけどな」
「ああ。十中八九、妖怪だろうぜ」
「とにかく、職員用の駐車場を調べてみよう。何かわかるかもしれない」
二人は、庁舎の裏手へと向かう。
しばらく歩いていくと、職員用の駐車場に到着した。利用者用の駐車場程ではないが、そこそこの広さがある。
「結構広いな……」
つぶやいて、二階堂はどう捜索したものかと思案する。
しかし、どう考えても手分けした方が効率的なのは明白だった。
しばしの沈黙の後、二階堂は庁舎側から、蒼矢はその逆側から捜索を始めることにした。
二人は、ほぼ同時に駐車場内へと足を踏み入れる。すると、何かを感じ取ったのか、不意に蒼矢が立ち止まった。
「どうかしたのか?」
「……あ、いや。何でもねえ」
「そっか」
二階堂は、さして気にも留めずに建物側へと歩いていく。
「何だ? さっきの妙な感じ……」
眉をひそめてつぶやく蒼矢だったが、気のせいかと思い直し、二階堂とは反対方向へと歩き出した。
感覚を研ぎ澄ませて、駐車場内をくまなく歩く。端から見れば、駐車場をうろつく不審な人物にしか見えないだろう。だが、どこにあるかわからない妖怪の痕跡――妖気の残滓を探るには、この方法が一番なのである。
しばらく捜索するも、特に目ぼしいものは見つけられず、駐車場のほぼ中央付近で二人は合流した。
「何かあったか?」
「いや、何も――?」
なかったと言いかけた二階堂は、すぐ近くの駐車スペースに何かを感じて視線を向けた。
「何かあったのか?」
「あったというか、何か変な感じがするんだ」
「変な感じ……?」
蒼矢は、二階堂が指摘した場所に近づき意識を集中させる。すると、何もない空間に浮かんでいる高濃度の妖気の欠片を感じた。
(何だ、これ?)
意識をそれだけに集中させると、次第に正体が判別できるようになる。
「……これ、結界の残骸か? いや、違う。結界の存在が強調されてる――?」
と、蒼矢は分析するようにつぶやいた。
基本的に結界には残骸など存在しない。術者が結界を解除した瞬間に、その存在自体が消滅するからだ。
しかし、例外もある。結界を張る妖怪が未熟な場合である。結界を構成する妖気を均一にできないことが多いため、解除の際に残骸が残りやすいのだ。
(あれ? この感覚、さっきの妙な感じに似てるような……?)
既視感を覚えた蒼矢が思案していると、ふいに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
その直後、
「何かお探しですか?」
二人の背後から声をかけられた。
どこか楽しそうな声音は、若い女のものである。
二階堂にもわかるくらい濃度を増した甘くかぐわしい香り――キンモクセイの香りが辺りにただよう。
二人は、同時に弾かれたように振り向いた。
そこにいたのは、艶やかな長い黒髪が魅力的なスタイルのいい美女だった。
「――っ!?」
二階堂は息を飲む。
気配どころか、足音さえも聞こえなかった。本当に、『突然現れた』としか言いようがない。
「……なあ、蒼矢。彼女の気配に気づいたか?」
小声で蒼矢に確認すると、
「いや。声かけられるまで感じなかったぜ」
蒼矢は平然と答えるが――もちろん、小声で――、その声音は驚きを隠しきれていなかった。
「何かお探しですか?」
目の前の女が、もう一度同じ質問をする。
肉感的な唇から紡ぎ出される声に、二階堂は本能的な部分を刺激され、濃い深緑色の瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた。
(……ヤバい!)
そう直感した二階堂は、自我を保つために手のひらに爪をたてるように強く右手をにぎる。
「……ええ、人を捜してまして。柏木充さんという方なんですが、ご存知ありませんか?」
二階堂は警戒しながら、あえて捜している人物の名前だけを答える。
女は微笑みながら、柏木を知っていると告げた。そして、どこにいるのかも。
「すみませんが、案内していただけませんか?」
二階堂が尋ねると、女は笑顔を崩さずうなずいて、駐車場の入り口とは反対側へと歩き出した。
平然と彼女の後をついていく二階堂と、それを追う蒼矢。
「誠一。お前、何考えてんだよ?」
自ら危険に飛び込むようなまねをして、と。
蒼矢は、女に聞こえない程度の声音で二階堂に告げた。
「それはもちろん、柏木さんを助けることだよ」
それ以上でもそれ以下でもないと、二階堂はあっけらかんと答える。
「それに、危険なのはいつものことだろ?」
「そりゃ、そうだけど……。ここ、たぶんあいつが張った結界の中だぜ?」
何が起きるかどころか、無事に結界の外に出られるかどうかさえわからないと、蒼矢は危惧する。
「だったら、なおのこと彼女に聞かないとだな」
「……わかったよ」
と、蒼矢はため息をついて諦めたように言った。
しばらく歩いていくと、景色はいつの間にか駐車場から森の中へと変わっていた。
(フウコさんの時と同じ……。やっぱり結界の中ってことか)
視線だけで周囲を確認した二階堂は、この場所が敵のフィールド内であるということを改めて認識した。
しばらく進むと、広間のような場所に着いた。
女は立ち止まって振り向くと、
「ようこそ、我が食料庫へ」
と、優雅な所作で告げた。
「食料庫……?」
二階堂はつぶやいて、彼女の後ろに視線を向ける。
等身大の人形のパーツのようなものが、いくつも無造作に積み重ねられているのが見えた。いや、等身大の人形ではない。よく見ると、それはバラバラにされた人間だった。別の場所できれいに血抜きされた後に運ばれたのだろう、周囲に血痕はまったくなかった。
眼前の光景に、二階堂だけでなく蒼矢までも絶句する。
腐敗臭もしないそれは、どんな方法で保存しているのかはわからないが、本当に人形のようにきれいな状態を保っているのである。
「……何だよ、これ?」
蒼矢は、ようやくそれだけを口にする。
「何って、私の食料よ」
女は、さも当然のように言ってのける。
「食料って……それ、人間じゃねえか!」
「ええ、そうよ。だって、人間なんて私達妖怪の食料でしょ?」
「お前と一緒にすんな!」
嫌悪感を言葉にのせて、蒼矢が吠える。もちろん、戦闘モードになるのも忘れない。
「てか、やっぱり気づいてたのか」
「そりゃあね。だって、貴方の妖気、だだもれなんだもの」
そう言って、彼女はくすくすと笑う。
「……やっぱり妖怪か」
と、二階堂は感情を圧し殺してつぶやいた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。私は蛇目あい。ああ、覚えなくていいわ。貴方達は、これから私に食い殺されるんだから」
そう言って、蛇目あいは高らかに笑う。
奥歯を強く噛み締めた蒼矢は、武器を出現させて臨戦態勢を取る。しかし、隣に立つ二階堂がそれを制止した。
「柏木さんはどこに?」
二階堂が静かに問えば、
「ああ、貴方達が捜してる人間ね。ここよ」
そう言って、あいは自身の後ろの木を指さした。
そこには、一人の男が吊るされている。しかし、肌は陶器のように白く、生気は感じられない。
柏木の生存が絶望的だと悟った二階堂は、悔しさに歯噛みする。
「その表情、いいわ~。貴方はどんなふうに鳴いてくれるのかしら?」
そう言って、あいは恍惚の表情を浮かべながら二階堂を値踏みするように眺める。
そのねっとりと絡みつく視線に、二階堂は言い知れぬ恐怖を感じた。その瞬間、封印していた記憶が、当時感じた恐怖とともによみがえる。
鼓動が速くなり、息が荒くなる。次第に、目の前にいる妖怪が記憶の中のそれと重なり、どちらが現実なのかわからなくなってくる。
「誠一?」
相棒の様子がおかしいことに気づいた蒼矢が声をかけるも、二階堂からの反応はない。
「おい! しっかりしろ!」
しかし、蒼矢の声は二階堂には届いていないようだ。
蒼矢は舌打ちをすると、瞬時に瑠璃色の勾玉を作り出し二階堂のベストのポケットに忍ばせた。
「あら、案外もろいのね」
あいが興ざめしたようにつぶやくと、蒼矢は殺意をむき出しにして彼女に向き直った。
「絶対許さねえ!」
低くうなるように告げる。 その瞳の色は、いつもの濃い藍色ではなく金色へと変わっていた。
「フン。人間に味方してる妖怪なんて、私の敵じゃないわ。血祭りにしてあげる」
そう言うと、あいは変化を解いた。
4.激闘
蒼矢が警戒しながら注視していると、目の前の美女は、上半身は人間で下半身は蛇という本来の姿を現した。
「蛇女か」
蒼矢がつぶやく。
艶やかな黒髪はそのままだが、瞳の色が深緑色からまばゆい金色に変わっている。瞳孔も夜行性の蛇のそれのように縦長になっており、獰猛さが先程よりも増していた。
また、あらわになった形の良い豊満な胸――もちろん、深緑色の水着のようなもので覆われている――と、なめらかな質感のある深緑色の蛇姿の下半身が、彼女本来の色気を引き出している。
しかし、蒼矢はそんなことには目もくれず、武器を構え直し多数の狐火を自身の周囲に作り出した。
いつもは戦いを楽しむ蒼矢だが、今回ばかりは違うようだ。彼の瞳には、明確な殺意だけが宿っている。
「ふふっ、いい眼してるわ。楽しめそう」
そうつぶやくあいは、蒼矢とは対照的に妖艶な笑みを浮かべている。だが、やや切れ長の目は剣呑な光をたたえていた。
蒼矢とあいのにらみ合いが続く。
しばしの沈黙の後、このままでは埒が明かないと思った蒼矢は、
「来ねえなら、こっちから行くぜ!」
低く吠えると、周囲の狐火をあいめがけて一斉に放つ。と同時に、彼女の背後に回り込むように駆け出した。
着弾するのを確認すると、青白い炎を纏わせた大鎌を振り下ろす。
余裕を見せるように、あいはひらりとかわした。
盛大に舌打ちする蒼矢。だが、攻撃の手は緩めない。
あいは、次々とくり出される蒼矢の攻撃を、いつの間にか作り出した剣で防ぎつつ応戦する。
何度目かの打ち合いの後、間合いを取ったあいは左手を天にかざした。すると、頭上に暗雲が立ち込め始めた。それは急速に発達していく。
「――っ!」
危険を察知した蒼矢は、武器をしまい彼女からの攻撃に備える。
刹那、それは空から無数に降ってきた。多量の雷の雨である。
蒼矢は、反射的に両手を頭上にかざし妖気の壁を作り出す。これにより直接的なダメージを受けることはないが、雷の雨の勢いが強いため、衝撃までは防ぐことができなかった。
「くっ……!」
その衝撃に歯を食いしばって耐える。妖気の壁で緩和されているとは言え、負担がないわけではないのだ。
蒼矢は、ちらりと横目で周囲を確認する。雷の雨は、蒼矢の頭上だけでなく広範囲に降り注いでいる。
あいはと言うと、左手を天にかざしたまま不敵な笑みを浮かべている。
(……くそっ! 余裕そうな面しやがって!)
と、蒼矢は心の中で毒づいた。
そう言えばと、二階堂の方へと視線を移す。
雷の雨は、蒼矢だけでなく二階堂にも牙をむいていた。その衝撃で吹き飛ばされたせいか、背後の樹木に寄りかかるような形で座り込んでいる。しかし、蒼矢が事前にベストのポケットに入れておいた勾玉のおかげで、ダメージは最小限に抑えられたようだ。
(……大丈夫みてえだな。とりあえず、こっちを何とかするか)
意識を目の前のことに戻した直後、雷の雨がやんだ。
妖気の壁を解き、訝しげに空を見上げる。
「戦いの最中にどこを見てるの?」
「――っ!?」
その声に驚いて振り向くと、あいは蒼矢の目の前にいた。彼女、邪悪な笑みを浮かべながら剣を振り下ろす。
蒼矢は舌打ちをして、とっさに作り出した刀でそれを受ける。
金属が擦れる不快な音が響く。
しばしのつばぜり合いの後、蒼矢はあいを剣ごと弾いた。
彼女が体勢を立て直す前に、蒼矢は指を鳴らし『胡蝶』を発動させる。
蒼矢の背後から現れる無数の青白い蝶は、あいに引き寄せられるように飛んでいく。
悪態をつきながら、あいは迫りくる蝶を次々と切り伏せていく。しかし、無数の群れには敵わず、あっという間に囲まれてしまった。
彼女の姿が蝶のカーテンで覆われるのを認めると、蒼矢は武器を刀から大鎌に変えて間合いを詰める。
しばらくすると、青白いドームの中から悲鳴が聞こえてきた。彼女が見ている幻覚から攻撃を受けているのだろう。
『胡蝶』とは、相手に幻覚を見せる術である。相手によって見える幻覚は違うのだが、その幻覚から攻撃を受けるという共通点があるのだ。
蒼矢は、あいの悲鳴を合図に大鎌を振り下ろす。その刃は、彼女の左腕をとらえ深い傷を与えた。
彼女の悲鳴が響く。
蒼矢が蝶の群れを切り裂いたことで『胡蝶』の効果が消えた。
痛みに顔を歪ませて、あいは左腕をおさえながら後退する。蒼矢をにらみつける彼女の表情からは、先程までの戦闘を楽しむ余裕が一切消えていた。
「どうしたよ? 『楽しめそう』なんじゃなかったのか?」
と、彼女の表情の変化に気づいた蒼矢が煽る。
あいは歯噛みして、小さく呪文を唱える。すると、彼女の後ろに電気を帯びた矢が多数出現した。
「うるさいっ!」
そう言うと、あいは背後の矢を蒼矢に向けて一斉に放った。
蒼矢は、それを武器で受け流しつつ避ける。と、彼女の姿は目の前から消えていた。
どこへ行ったのかと視線を泳がせると、後方から彼女の勝ち誇ったような笑い声と二階堂の呻き声が聞こえた。
勢い良く振り向くと、あいは今にも絞め殺さんと二階堂の首に手をかけていた。
「誠一!」
「ふふふ。少しでも動いたら、こいつを殺すわ」
「てめえ……っ!」
牙をむき出しにして唸る。
その姿は、猛獣そのものだった。しかし、二階堂の命を握られている以上、下手に動くことはできない。
緊迫した膠着状態が続く中、妖気で作り上げたあいの分身がゆっくりと蒼矢の背後に迫る。
それは、蒼矢自身も気配で感づいていた。だが、どうすることもできない。
蒼矢の真後ろまで近づいたそれは、後ろから彼を羽交い締めにすると、彼の首もとに牙を突き立てた。
「痛っ……!」
深く突き刺さった牙から、温かくてとろりとした液体が蒼矢の体内へと送り込まれる。
「――っ!? な、んだ……これ? 気持ち、悪い……。――くっそ……!」
蒼矢は、渾身の力を振り絞って背後にいるあいの分身を青白い炎で燃やす。拘束が解かれた直後、前方の彼女本体へと躍りかかった。
あいは、間一髪のところで二階堂を離し攻撃をかわす。間合いを取るためにステップを踏んで後退すると、彼女はにやりとほくそ笑んだ。
「誠一……大丈夫か?」
咳き込む二階堂に声をかける蒼矢。
うなずいて大丈夫だと告げる二階堂の目の前で、蒼矢は思わず膝をついた。
「蒼矢っ!?」
二階堂が慌てて声をかけるも、蒼矢は大丈夫だとでも言うように片手を上げた。
しかし、その様子は明らかに大丈夫ではない。呼吸は荒く、額には冷や汗をかいている。おまけに、彼女の分身に噛まれた箇所には鎖状のあざが浮き上がっていた。
「甘果の呪のお味はいかがかしら?」
あいは、勝ちを確信したような声音で問う。
「甘果の呪……?」
二階堂は、聞き慣れない言葉をくり返した。
「ええ。それは、蛇女にしか伝わらない秘術。その鎖のあざが全身まで行き渡る前に何とかしないと、そいつ、死ぬわよ。苦しみ抜いて、ね。まあ、私達の鱗で作った薬じゃないと解けないけど」
そう言って、あいは高らかに笑う。
他に解呪できる存在がいるとしたら、それこそ神様くらいのものだと。
そう豪語する。
蒼矢は舌打ちをすると、刃を数本作り出して彼女へと放った。
あいは、それを難なく受け流すと、興ざめしたとばかりに表情を消した。
「つまらない悪あがきね。死ぬまでく――っ!?」
苦しむがいいと言おうとした瞬間、あいは背中に衝撃を感じた。
違和感を覚えて腹部を見る。そこには、内側から肌を突き破って顔を出している血まみれの鋭い刃が見えた。だがそれは、体内で作り出されたものではない。先程、背中に感じた衝撃の正体である。
あいは、唐突な吐き気に襲われ、盛大に咳き込んで吐血した。
「お、のれ……っ!」
驚愕の表情で蒼矢をにらむ。
蒼矢は、してやったりとばかりにほくそ笑むとその場に倒れて意識を失った。
先程、あいに放った刃とは別に蝶を一匹飛ばしていたのだ。彼女が攻撃を受け流した瞬間に指を鳴らし、蝶を刃に変えて背後から攻撃したのである。
「今回は……見逃してあげる。だけど、貴方達は……必ず、ズタズタに引き裂いて殺してやるから!」
そう言って、あいは姿を消した。
刹那、甲高い金属音が鳴り響いた。おそらく、あいが結界を解いたのだろう。
彼女の気配が消えた瞬間、二階堂はひどい脱力感に襲われた。まだ、体が小刻みに震えている。
だが、いつまでもぼんやりしているわけにはいかない。
二階堂は、軽く頭を振って気持ちを切り替えると、気絶している蒼矢の肩を抱えて市役所の玄関側にある駐車場へと歩いていった。
車に戻ると、蒼矢を助手席に座らせてシートベルトを締める。
『他に解呪できる存在がいるとしたら、それこそ神様くらいのものよ』
運転席に座った瞬間、あいの言葉を思い出した。
「蒼矢。悪いけど、もう少しだけ耐えてくれ」
二階堂は祈るようにそうつぶやくと、白紫稲荷神社へと向かう。
蒼矢の肌に浮き上がっている鎖状のあざは、噛まれた箇所から放射状に少しずつ広がっていた。




