第4話‐4 視線
どれくらい経っただろうか。静寂が二人を包み、祭り会場と隔絶されてしまったのではないかとさえ思い始めた頃。
「あたし……猫又になったばっかりなんです。変化もうまくできなくて――」
朱音がぽつりぽつりと話しだした。
――三十年余りを生きてきて、つい最近、猫又になった朱音。人の姿へ変化することを覚えたのだが、妖力のコントロールはうまくできずにいる。
今日も朝から、食事も忘れて変化の練習に没頭していた。
日頃の成果だろうか、正午をすぎたころにようやく猫耳と尾を同時に隠せるようになった。
(やった!)
朱音は小さくガッツポーズをして、楽しみにしていた祭り会場にやってきた。好奇心旺盛な彼女は、野良猫時代からこの祭りを知っていて、いつかは他の人間と同じように楽しみたいと思い描いていたのだ。
人間の姿になって視界の高さが変化し、見るものすべてが新鮮に感じた。今まで見ることのなかった人々の表情や遠くの景色、食べ物以外の露店。祭り特有の喧騒に心踊る感覚など、今まで知らなかったことに胸をときめかせていた。
しかし、それがいけなかった。
女子高生と思われる二人組とすれ違った時である。くすくすと少し抑えたような笑い声が聞こえてきた。
「何、あれ? コスプレ?」
「わかんない。でも、なんかかわいくない?」
「え? 小さい子ならかわいいけど、あれは痛いだけだって~」
女子二人組はそんな会話をしながら、朱音の進行方向とは逆の方へと見えなくなっていった。
(こすぷれ……?)
何のことだろうと不思議に思う。自分のことを話題にしているとは、これっぽっちも考えていなかった。だから、まったく気づかなかった。
人通りの増加とともに、朱音とすれ違う人間の数も増えていく。すれ違う人々は、皆一様に朱音の頭をちらりと見ていくのである。それも、好奇の視線が大半だった。
朱音は、次第に不安になっていく。
もしかして、隠しているはずの耳が出ている……?
(まさか、そんなはずないって!)
ここに来る前、公衆トイレの鏡できちんと変化できていることを確認した。だから大丈夫だと、何度も心の中で反芻する。しかし、隠せていなかったらどうしよう? という不安と焦りが心を侵食していく。
不本意ながら、しばらく好奇の視線を浴びていると、一組の親子が前方からやってきた。
すれ違い様、子どもが朱音を指差し、
「ねえ、ママ。どうして、このお姉ちゃん、頭に猫の耳つけてるの?」
率直な疑問を母親にぶつける。
母親はどう答えていいのかわからず、申し訳なさそうに朱音に謝罪して、そそくさとその場を後にした。
幼子の言葉で、朱音の不安は明確なものになってしまった。先程までの好奇の視線はそういうことだったのか、と。
だが、自分の目で確かめるまでは信じられない。いや、信じたくなかった。
朱音はその場から逃げるように、人波をかきわけて屋台が設営されていない歩道に向かった。
ようやくたどり着いた場所には、おあつらえ向きにショーウインドーがあった。それに写った自分を見て、朱音は愕然とした。隠していたはずの猫耳が、ひょこりと顔を出していたのである。
そこからはもう、無我夢中で走った。誰にも見られないように、それを手で隠しながら。そして、ここにたどり着き、ずっと頭を抱えてうずくまっていたのだった。
(――なるほど、そういうことだったのか)
朱音の説明を聞いて、なぜ彼女が怯えていたのか合点がいった。それが、彼女の心に深い爪あとを残したことも。
強い霊感が原因で、二階堂も幼少期に周りから奇異な目で見られていたことがある。だから、朱音が抱いていた恐怖心が痛い程わかった。
二階堂はそっと朱音の頭をなでると、
「少しだけ、待っててもらえるかな?」
そう言い置いて、露店が建ち並ぶ大通りへと向かった。




