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静謐なる部屋  作者: 上川鶴馬
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(9)

今日部屋にいたのは彼女だった。


「両親ってどんな人?」


「母は看護師で、父は大学教授です」


「教授? 音大の?」


「いえ国立(こくりつ)の」


国立(くにたち)じゃなくて?」


「普通の国立(こくりつ)大学の理論物理学者ですね」


「理論物理学者……」


「特に宇宙のことを研究してる宇宙物理学者で、昔は海外の研究所に居ました」


「優秀なお父さんね」


「そうでもないですね。数少ないポストに入れたのは父の居た研究チームがとりわけ優秀だっただけで父が主体となって提唱している理論は今は評価されていますがこの先、覆される可能性が高いので」


「覆される? 一度認められたら永遠に変わらないと思ってたわ」


「数学における定理なんかはそうですが自然科学の分野では、仮説は帰納と演繹を繰り返し、多くの実証例が得られて確かさが担保されるんです」


「平たく言うと、全ての実証例を集められなかったりそもそもの前提が間違ってたりしてしまうと?」


「はい、なので父は不安になるとある言葉を引用していました。お陰で俺も覚えてしまって、


『どんな物理理論も仮説にすぎないという意味では、つねに暫定的なものである。理論を証明することはできない。ある理論が、実験結果とこれまでいかに数多く合致してきたとしても、このつぎに実験をしたときには、結果が矛盾しないという保証はない。


合致しないことが一つでも観測されれば理論を放棄するか、修正するかしなくてはならない』





…………久方ぶりに父を思い出した。

真面目で昔気質の頭の良い人だった。

家には難しい本が沢山あって、小さい頃はその内容について父から姉と一緒に教えて貰っていた。

父はあまり説明が得意ではないらしく(自身もそれをよく自覚していたので大学では講義をとっていない)また幼さも加わって俺は殆ど分かってなかった。


意外なことに姉はよく理解できていた。

数学は俺のほうがずっとよく出来ていたので日常生活で少しも論理的な行動をしない姉が何故あんな解法を思いつくのか不思議だった。

しかし結局は大学もそういった分野に進み現在、高校の物理教諭になった姉は俺と違って幼い頃のあの日々を忘れていなかったのだろう。

学ぶことが何より楽しいと、姉は同じように生徒に教えているだろうか。

結婚はしないと言っていたにも関わらずいつの間にか籍を入れ、しかも相手(姉にはもったいないと感じるほどの良識ある人だった)は同じ教員ではなかったりと姉は変わらず謎だ。



父も謎だ。特に母と一緒いた父は謎だった。

父は母とはよく会話していた。

いつもはわざと無口なふりをしているのではないかと思うほど父のほうから話しかけ、母は相手の間合いをよく心得た話し方をしていた。

俺が高2のときに母が交通事故で死んだ。

幸い俺も姉も成績がよくて奨学金が使えたので大学に行けて経済的には問題はなかった。

しかし父はどうだったんだろうか。

俺が病院に着いたとき既に母は息絶えており父は地下の霊安室の隅で葬儀屋と今後について話していた。

父は…………




「ねぇ?」

気がつくと彼女の顔が俺のすぐ目の前にあった。


「さっきのあの潔い言葉、素敵ね」


潔い、そうだ父は潔い人だった。

弱ったときにあの言葉を口にして、辛抱強くたゆまぬ努力をし続ける人だ。


「俺もそう思います」


「どっかで聞いたことある気がするんだけど」


「ホーキング、宇宙を語るはベストセラーですね」


「あら、それ持ってるわ。といっても流行ってたから買っただけで難しくて半分読んで諦めたの」


「そうですね。当時にしては画期的な内容ですが今はもっと分かりやすい本が数多くありますからね」

彼女が読んでいたことは意外だった。


「なら特異点とかわかる? 私あれ何度読んでも分からなくて」


「一定以上の質量の星は燃え尽きたとき自分の重力で崩壊していくんです。そのある限界を超えて崩壊した星をブラックホールというのですが、ブラックホールは内部に向かって崩壊した後で、体積ゼロ・密度無限大の特異点にまで収縮していきます。特異点では時空と時間の進行が止まると言われています」


「圧縮されたことで時空と時間が止まるの?」

彼女の目には期待の色がある。


「記憶が正しければそのはずです。あーちょっと調べて確認してみます」

Wikipediaのほうが確実だろう、そう思ってスマホをポケットから出して電源を入れる。

……起動時間を過ぎても画面は黒いままだった。


「すみません。スマホの調子悪いので帰省したとき家にある本持ってきます」


「ありがとう」


昔のように父に聞いてみるのも悪くない。

帰省するのは夏になるだろうか。

いやその前に明日の姉の結婚式で会う。

父と話したくて堪らなくなったのは子供の頃以来だ。



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