町
なにやら外が騒がしい。
湯で汚れを落とし、新しい服にも着替え、食事も済ましたリュシアンは、今まさにベッドで横になろうとしていた。
騒ぎが気になり、窓に近づいて宿の入り口を覗く。
屈強そうな男たちが数人、入り口で主人と話をしていた。
というより、高圧的な態度で何かを命令しているようだ。
その男たちの後ろ側に、灰色のローブを深くかぶった人物がいた。
リュシアンは思わず舌打ちし、"探知"を再度展開する。
ローブの人物は魔術師だった。どうやら魔術師だけでは手に余ると考え、人を雇ったのだろう。
急ぎここを離れないといけない、と脱出経路に考えを巡らせていたその瞬間。
ローブの人物が顔をあげ、リュシアンの部屋の窓を見た。
―――気づかれた。
リュシアンは慌ててカーテンに身を隠す。
リュシアンの"探知"の魔術を感知できるということは、どうやらこの追手は感覚に優れているタイプのようだ。
そのローブの人物は視線を戻して男たちに二言三言何かを告げると、男たちは宿の主人の制止もきかず、ずかずかと宿に押し入った。その後をローブの人物も続く。
階下は荒い足音と怒号、客たちの悲鳴が上がっている。
ローブの人物は場所を特定していただろう。まもなくリュシアンのいる部屋にあの男たちがやってくるはずだ。
リュシアンは窓を開け、そこからためらいなく飛び降りた。
リュシアンの部屋は5階。落ちればただでは済まない高さだ。
ほんの数秒の浮遊感。
地面に直撃する寸前に、リュシアンは右手を翳して風魔術を使い空気の層を作り出した。
落下の衝撃を相殺し、ふわりと両足を着地させる。
その時に上から声が上がった。
リュシアンのいた部屋の窓から、先ほど宿に押し入った男が見える。
その男を一瞥し、リュシアンは通りの方へ駆け出した。
行くあてがあったわけではないが、とにかく町から離れなければならない。
リュシアンは人並みを避けながら、ひたすら門の方へ向かって走った。
その時、横からふらりと人が倒れてきた。
リュシアンは避けきれず思わずぶつかり、顔から地面に倒れた。
「いてて…」
痛みに顔をしかめるが、悠長なことをしている時間はない。
慌てて置きあがり駆け出そうとした足を、突然つかまれた。
「おい、にいちゃん。人にぶつかっといて謝罪の一言もねえのかあ?よぉ。」
振り返ると、地面に倒れた男がリュシアンの足を掴んでいる。
どうやら先ほどリュシアンにぶつかり、そのまま相手も地面に倒れたらしい。
「あ、ああすまない。」
「あ?すまないだあ?こういう時はきちんとせーいを見せろよせーいを!」
どうやら酔っぱらいのようだ。その癖ガタイがよく腕の力も強いのでたちが悪い。振りほどけないくらいの力で捕まれている。
「っち、切れ!」
リュシアンは短く舌打ちした後、風魔術を展開した。
「うがあああっ」
屈強な男ご情けない悲鳴をあげて自分の腕を掴む。掴まれた腕は手首から先が切断され、血が吹き出していた。
周囲の人間が、その叫び声を聞いて一斉にリュシアンたちに注目する。
リュシアンは足に絡み付いていた男の手を投げ捨て、"転移"を発動する。するとリュシアンの影がうねり、リュシアン自身の体にまとわりついた。影はリュシアンを覆いつくし、そして次の瞬間小さな塵となって霧散した。
リュシアンはその場から消え、後には痛みに絶叫する男と、投げ出された手首、そしてその様子を呆気に取られて見ていたギャラリーが残された。
「はあ、はあ、はあ…」
リュシアンは町の出入口となる門に来ていた。
高くそびえる石造りの門には、重そうな木造の扉が一分の隙間となくぴたりと閉まっている。
門は森の獣を恐れて夜の間閉めている。
開くには屈強な門番がハンドルを回して開ける必要がある。
リュシアンは門に手をついたが、そのままへたりこんでしまった。
先程の転移でかなり魔力を消費してしまった。本来"転移"は魔術陣を介しての移動であるが、リュシアンの魔術は"特別性"だった。移動距離はたかだか数十メートル程度のものだが、到着先に陣がなくても移動できる。その分魔力消耗が激しすぎ、歩くのもままならなくなるので正直使いたくはない魔術だが。
少し休まねば動くことも叶わない。
しかし、追っ手も迫っており悠長にもしていられない状況だ。
どこかに身を潜めてやり過ごすしかないだろう。
「ははっ。そんなところで座り込んで大丈夫なの?」
若い男の声だ。少年といっても通じそうな軽く柔らかい声質とは裏腹に、その笑いには嘲りが混じっている。
リュシアンはのろのろと顔をあげ、背後を振り返った。
「世紀の大反逆者サマが、まーさかこんなところでくたばってるとはね。おれってついてるぅ!」
線の細い、青年期に差し掛かったぐらいの少年がそこにいた。肌が異常に白く、悪戯っぽく細めた目には、少年特有の残虐さが覗いている。
「待機組のおれが当たりとはね。しかもなんだか弱ってるし。あの第二位魔術師ケルヴァンの懐刀と言われたあんたに、おれの力が通じるのかとひやひやしてたけど大したことなさそうだな。ま、ちゃっちゃと片付けて帰りますか。」
少年はそう言い終わると、懐から赤い宝石を取り出して詠唱を始める。すると、宝石が発火し勢いよく火柱がたった。
"サラマンダの火術"か。宝石を介し精霊の力を借りた魔術。媒介は高価な上に使い捨てであるが、本人の魔力次第で威力が変わる普通の魔術よりも安定して高火力の魔術が使える。精霊との相性もあるため、限られた者にしか使うことができない特殊な魔術だ。
その火柱から、火球が3つ飛び出しリュシアンに襲い掛かった。
リュシアンはとっさに魔術で水を生み出しそれを消し去ろうとしたが、残り僅かな魔力では高い威力を誇る精霊魔術にろくに対抗することができなかった。常に展開していた"防御"魔術の幕にヒビが入り、3つめの火球がぶつかった際にはガラスが砕けるような音とともに魔術も壊れ去った。もうリュシアンを守る術はない。
「ふーん。そんなにへろへろでも、守りだけは固めてたんだね。まあもう意味ないだろうけど。ふふっ。さあ、もう死んじゃいなよ。」
火柱が少年の手の上で5つの火球として浮かび、そしてリュシアンに襲い掛かった。
「ぐあああっ」
5つの火球がリュシアンの体を焼き、痛みと熱さにリュシアンは叫んだ。肉の焼ける嫌な臭いが鼻につく。
はやく、はやくなんとかしなければと焦れば焦るほど、残り僅かな魔力の収束がままならない。炎を消そうと体を捩り地面に擦り付けるが、その程度で、精霊魔法の威力が弱まるはずはない。
「あ、あ、あ」
視界が真っ赤に染まる。ここで、ここで終わるのか…
リュシアンは絶望に呻きながら、意識を落としていった。