過信
目が覚めた。
辺りには霧がうっすらと漂い、昇りかけた朝日の光が差し込んでいる。
体を起こすと、体の下にはマントが敷いてあった。
おそらくレイが気を使ってくれたのだろう。
きょろきょろと見回すが、レイの姿は見えない。
耳を澄ますと、森の静けさの中に風を切るような音が聞こえてくる。
リュシアンはその音の下へ足を運ぶ。
それほど離れていない場所で、レイが鍛錬をしていた。
大剣に巻いた布はそのままに、立ち回りや太刀筋を確認するかのように体を動かしている。
ぶん、ぶん、と振り回される大剣の端からほどけた布が、その軌跡を滑らかに辿る。
リュシアンはその様子を木にもたれかかって眺めた。
しばらくすると、一通りの運動を終えたのかレイが動きを止めリュシアンに視線をやる。
「おはよう。よく眠れた?」
「あ、ああ、おはよう。マントのおかげでしっかり眠れたようだ。」
「そう。良かった。」
「もう鍛錬はいいのか?」
「うん。まあ型を確認するために軽く流してただけだし、もういいよ。」
リュシアンはそれを聞き、レイの傍まで近づいていった。
「それにしても、随分と大きい武器だな。女子でも扱える大剣なんて、見たことがない。」
そういいながらリュシアンは、レイには見えないように下にした手のひらに小さな術式を展開させ、大剣に触ろうと手を伸ばした。
「だめっ。触らないで!」
レイはすかさずリュシアンから距離をとり、大剣を背に隠した。
射殺すような強い視線で、レイはリュシアンを睨んでいる。
リュシアンはその瞬間背中に寒気が走った。
大剣を調べようとしたのがばれた。
冷や汗が首筋を伝う。
ここはどう対処すべきだ。おそらくレイは同郷の馴染みとして親切にしてくれた。
今しようとしたことはその信頼を破る行為だ。
魔術を扱えない一般人には絶対に見破れないという自信があったから、好奇心に負けて“探知”の魔術を展開しようとした。レイには魔力が感じられないから気づかれないと思っていたが…やはり戦士の感覚として何かを嗅ぎ付けたのか。
リュシアンが考えあぐねている間に、レイはふっと目を閉じ警戒態勢を解いた。
「急にごめん。びっくりしたでしょ。これ特殊な剣だから、他の人に触らせることができないの。ごめんね。」
「そ、そうか。こっちこそすまない。」
リュシアンは慌てて触ろうと伸ばしたままの手を戻した。
あっぶねーばれてなかった。
リュシアンはほっと息をついた。
「リューは戦う人じゃないから知らないかもしれないけど、基本的に他人の武器は触っちゃだめだよ。泥棒と勘違いされて武器の所有者に殺されることもあるし。それに、呪い持ちの武器なんかもあって、不用意に触ると危険な目に会うこともある。触っただけで命を取られることもあるから。」
「そうなのか。知らなくてすまない。だが、そうなるとその大剣は呪いがかかっているのか?」
「まあそんな感じ。あ、私には無害だから気にしなくていいよ。」
なんてことないように、朗らかに笑ってレイは言った。
呪いの武器。
リュシアンは生憎そちらの方面に詳しくはないが、そんなに軽く笑ってすませられるような代物ではないだろうと思った。
だがそれ以上レイも詳しく説明する気はなさそうだ。今度色々調べてみるか。
「じゃあ、行こうか。」
俺達は森の出口に向けて足を進めた。
あれから魔獣の襲撃はなかった。
まあ代償もそこそこ大きい。追手の魔術師にも限界が来て、おそらく昨日の分で打ち止めとなったのだろう。
日が傾くころには森を抜け、町にたどり着くことができた。
「着いたね。」
「ああ、助かった。ありがとう。」
リュシアンは自然と笑みを浮かべ礼を言っていた。
人に礼を言うのも、無意識に表情を変えたのも久しぶりのことで、自身の変化にリュシアンは胸の内で驚いていた。
レイはそれをみて一瞬呆けた顔をしていたが、すぐに微笑みを返す。
「どういたしまして。まあ町中は自警団もいるし、魔獣が来ても大丈夫だと思うけど、まあ色々気を付けて。それじゃ、元気で。」
あっさりと、レイはリュシアンに手を振って去っていった。
普通なら10年ぶりの再会にもっと親睦を深めるものなのかもしれないが、生憎追われる身であるリュシアンはそんなものにかまけている余裕はない。それに、これ以上リュシアンのそばにいてもレイが危険なだけだ。
レイもどこかそれを感じて去っていったのか、それとも旅人は概してそう関わりを持たないものなのか分からなかったが、どちらにしてもすぐに別れることができたのはリュシアンにとって有難かった。
レイと別れたリュシアンは、高級宿へと足を運んだ。
宿の主人には森の中で薄汚れてしまった格好に眉を顰められたが、金貨を2、3枚だすと途端に愛想がよくなった。
一番いい部屋に案内されたリュシアンは、汚れた衣服に代わる新しい服も買ってくるように小間使いに多目に金を渡した。すぐに用意いたします!と小間使いは金を受け取りすぐさま買い出しに出て行った。
それを見届けたのち、リュシアンは柔らかなベッドに体を横たえた。
想像以上に過酷な逃亡劇に、リュシアンはすっかり疲れ果てていた。
リュシアンはすでに師をこえる魔力と技術を持っていた。おそらく宮廷魔術師第二位の位か、筆頭魔術師の力くらいには匹敵すると自負している。
だから、大半の魔術師が束になっても自分には勝てないと思っていた。
それに、とリュシアンは自身の右手を目の前に翳し、てのひらを眺めた。
傷一つないなめらかで白い手だったが、リュシアンはここに他者には見ることができない多数の術式を刻印している。
そしてその中には、現存のどの魔術師でも扱うことのできない、禁忌の魔術の術式もある。
あの日、師の部屋から禁忌書庫の鍵を盗み出したリュシアンはその足で書庫に赴き、あらゆる書物を読み漁り頭に叩きいれた。
そしてそこにあるすべての書物を燃やし尽くした後、王都から出奔したのだ。
リュシアンはまだ魔術師の階位を得ていない。
ただ、第二位の師の弟子の中では筆頭候補に連なる優秀な魔術師として知られ、現在の研究が完成した暁には宮廷魔術師の認定と第五位の位が授与される予定であった。
そこそこ優秀で師の信頼も厚く、そして他の魔術師から僻まれない程度の位置に立ち回りをしてきたおかげだ。
すでにほとんどの魔術師のはるか上を行っていたリュシアンにとって、地位や名誉など興味はなかった。だから、"そこそこ優秀"のふりを続けてきたのだ。
師は自分の魔術をリュシアンが破ることができるなど、夢にも思っていなかっただろう。
許可もなく、さらに禁忌に触れることすら禁止されているリュシアンは、禁忌の魔術を取得したあげくすべてを消し去ったとあらば、極刑に値する大罪である。
しかし、自分を偽ることもやめ、さらに禁忌の魔術をもったリュシアンは、よもや他の有象無象の魔術師に捕まるなどということは毛頭考えていなかった。もはや神にでもなったかのような万能感を感じていた。
だから、その時は大罪人となる自身の心配よりも、師の失脚する姿を想像して悦に入っていた。
自分に勝てる魔術師はいない。だからこそ、絶対に捕まらない。
リュシアンは王都を出る際、そう軽く考えていた。
実際は予想以上に大変だった。
まず外出する際は馬車、また王都から出ることなくずっと研究をしていたリュシアンにとって、体力のない体での徒歩移動は過酷だった。
さらに、1対1の対魔術訓練しかしたことがなかったので、そもそも実戦経験が圧倒的に不足していた。
通常魔術師は単独で動くことが多いので、複数相手での戦闘など初めから想定していなかった。
優秀な追手たちは個人の力量でリュシアンに適わなくとも、驚くべきチームプレーでもってあらゆる戦術や戦法を駆使して攻撃してきた。
1つ1つの魔術はリュシアンの"防御"魔術で防げるが、それが全方位から攻められたり、多段攻撃になると話は別だ。初めのうちは多量の魔力と時間、労力を消費して応戦したが、想像以上の激戦に残りの魔力を"身体強化"に使いきって逃げるしかなかった。
疲労の蓄積と、慣れない徒歩での逃亡、それに加えて荷物も途中で落としてきた。
散々な結果だ。
今あるのはローブの下に隠し持っていた金貨と装飾具しかない。
「きついな…」
リュシアンは一人で旅することの限界を感じていた。
今回は幸運にもレイに巡り合えたためになんとかなったが、次の町までどうなるか分からない。
誰か護衛を雇おう。
腕っぷしが強く、余計な詮索もしない。
そして、いざとなれば切り捨てられる、替えのきく護衛を。
レイの顔が脳裏に浮かんだが、すぐにそれをかき消してリュシアンは起き上がった。
過去の淡い感情など邪魔なもの。
他人に余計な情など持てば、自分が生き残れなくなる。
この世は競争。
弱いものは足場として踏みつぶされ、強いものも隙を見せれば蹴落とされる。
それがリュシアンがこの10年で学んだことだ。
だからこそ、彼女は自分とは関わりのないところで、幸せに生きていてほしい。
「はははっ……」
ふと湧き出た思いに、リュシアンは自嘲する。
こんな自分でも人並みの感情が残っていたのか、と。