再会
リュシアンはふっと目をさました。
辺りは瑞々しい土と草の香りが満ちており、木々の隙間から日光がこぼれ、いくつもの光の筋を作っていた。気づけば木の幹に寄りかかるように体を預けている。どうやら少しの間眠っていたらしい。
昔の夢を見ていた気がする。しかし、当時慕っていた少女の顔は、おぼろな輪郭しか思い出せなかった。
全く薄情な人間だな、と自嘲していると、展開していた"探知"の魔術が反応する。
「ちっ、めんどくせえモン出してきたな。」
人間よりも遥かに早いスピードで敵が迫ってくる。どうやら追っ手は魔獣を放ったらしい。
「3体か。分が悪いな。」
魔獣は魔術によって魔力の塊から造られた生物だ。魔術が効きにくい。 "服従"の魔術も対象が1体であるため、複数では使えない。
リュシアンはしぶしぶ自分の体に魔術陣を展開させた。
すると、リュシアンの体は魔術陣の光に包まれ、その体が縮んでいく。
服の布地が針山のようにとがり、間もなく毛のように細く艶やかな毛並みと化した。素肌も毛で被われ、顔や体の骨格が変わる。縮む体に耐えきれず両手を地面につくと、手は丸く、腕は細く、獣の脚に変化した。
魔術陣の光が消えると、そこには藍色の毛をもつ一匹の狐が現れた。狐はすんと鼻を鳴らすと、一目散に森の奥へ進んだ。
狐となったリュシアンは倒れた丸太をひょいと飛び越し、軽い身のこなしで岩を避け、ひたすら森の中を走っていく。狐になったことで移動が早くなったとはいえ、魔獣との距離は少しずつ縮められる。なにか手を打たないといずれ追い付かれるだろう。
どうするかと悩み始めた時、前方に魔力の気配を感じた。何か大きくて長い物体だ。ちょうど小柄な人間くらいの大きさだが、生命体が発しているような魔力ではない。おそらく魔道具の類いが森の中に遺棄されているのだろう。
(ちょうどいい。足止めくらいにはなるか。)
リュシアンはそちらに進路を定め、走る速度を上げた。
魔獣は魔力に惹かれて追っている。魔道具をおとりにしてリュシアンの魔力を"遮断"させれば、魔獣は間違いなく魔道具の魔力に群がるだろう。その間に逃げ切ればいい。
魔道具は目の前だ。リュシアンは草むらから飛び出した。
飛び出した先は少し開けた場所になっており、焚き火のあとと薄汚れた布が木の根本に無造作に置かれているのが見えた。人間が夜営でもしていたのか。
そう悟った瞬間、真上から魔力の塊が迫ってきた。
キュ!と獣特有の甲高い悲鳴を上げリュシアンは間一髪その塊を避けた。
横にとびすさり、唸り声をあげ威嚇しながら塊と距離を取る。
リュシアンに迫った魔力の塊は片刃の大剣であった。おびただしい程の魔力が大剣を包んでいる。
魔道具と思ったのはこの大剣のようだ。しかしこの大剣、本来武器に纏える魔力の許容量を大きく越えている。かなり特殊なものに違いない。
そしてさらにリュシアンを驚かせたのは、武器を操る人間だ。
大剣と同じくらいの背丈しかない、細身で炎のような赤色の髪が目立つ青年だ。大剣にまとわりついた魔力の影響で髪が波打ち、リュシアンをじっと睨んでいる。
たかが冒険者風情のガキが一匹、とリュシアンは侮らなかった。
明らかにおかしい大剣の魔力と、大人でも苦労しそうな大きさの武器を扱う青年。怪しい、危険だ。
幸い出会い頭の一振りだけで、青年はそれ以上攻撃してこない。
先程の攻撃も、敵意があるかの様子見といったところだろう。
向こうはリュシアンの様子を伺っているだけで動かない。魔獣も迫っている。当初の予定通りに、リュシアンは人間から逃げるように草むらの中に入り、姿を隠した。狐が大剣に怯えて逃げ出したと思ったのだろう、青年は追っては来なかった。危険はないと判断して、リュシアンは"遮断"の魔術をおこなった。
リュシアンの全身を巡る魔力をせき止め、体の中心に集める。そのまま魔力を体内に閉じ込めさせれば、魔力は顕在化せず、魔獣たちはリュシアンの魔力を探知できない。"遮断"中は他の魔術も使用できなくなるため普通であれば使いたくない手だが、目の前には魔力の塊と人間がいる。ちょうどいい囮となるだろう。魔獣がリュシアンと勘違いしてその人間を襲っている間にこっそり逃げ出せばいい。
"遮断"の魔術で狐から人間に戻ったリュシアンは、草むらの影からそっと先程の人間を窺った。
青年はリュシアンの逃げた方向をじっと見ていたが、はっと踵を返し迎撃の構えを取る。魔獣が来たのだ。
リュシアンの来た方向から、3体の黒く大きな狼が飛び出してきた。
青年はそのうちの一体が自身に飛びかかろうとする瞬間に大剣を振り上げ、狼を頭から真っ二つにする。しっぽの先まで斬られた狼は、黒い煙となり瞬く間に消滅する。
大剣はその大きさゆえに、振りかぶった後に隙ができやすい。
そこを狙って、一匹が青年に飛びかかった。しかし青年はそれを予想していたかのように振りかぶった大剣を軽々と構え直し、その重さを微塵も感じさせない動きで魔獣を素早く切り伏せた。
どんな大柄な男でも、これほどの大きさの大剣をあのような速さで扱うのは無理だ。
リュシアンはごくりとつばを飲み込んだ。
青年の剣さばきは全く隙がなく、まるで舞を舞っているように軽やかで優美だった。赤い髪が流れるように揺れ動く。
あり得ない剣撃を放つ青年に対する畏怖と、その動きに魅いられたリュシアンは、自分が逃げようとしていたことも忘れ、ただ目の前の青年の戦いをじっと見つめていた。
やがて最後の一匹も一刀両断のもとに切り落とし、青年の戦いはあっという間に終わった。
ほっ、と一息をつくと青年は大剣に手を翳す。すると、打ち捨てられていた布がするすると大剣に巻き付き、みるみる内に大剣は布の塊となった。青年はそれを背中に負い、右肩と左脇に布の端をを通して結んだ。ちょうど大剣が背中に対してななめにかかる。大剣は布を巻き付けられ、一目では剣には見えない大きな荷物となった。
青年は武器をそうして片付けた後、リュシアンが隠れている方向に目を向ける。
その時になって、リュシアンは青年の顔を正面から見ることになり、その風貌を初めて正しく認識した。そして驚きのあまり、よろよろと草むらから出、青年の前に姿を現す。
その目が、いじめっ子達にはぎらりと目尻をあげて睨み付け、そして困っていた自分にはふっと眉尻を下げて優しく見つめてくれるのを知っていた。そのふっくらとした唇が、情けない自分への長いお説教と、励ましをくれる言葉を紡いでいたことを思い出す。もっと目のぱっちりした美人になりたかったと本人は愚痴をこぼしていたが、笑った顔はとても可愛らしいとリュシアンは感じていた。
腰まで届くほど長いブラウンだったはずの髪が、燃えるように赤く顎にかかる程度に短くなっていた。それでもリュシアンは、おぼろげにしか描けなかったその顔立ちを、今はっきりと思い出した。そして、10年以上の歳月が経っているにも関わらず、その面影を目の前の人物に見つけることは容易だった。
「レイ…なのか?」
青年…いや、男装をしていた娘は、その問いに対して2、3度まばたきをした。そして、少し首を傾げてリュシアンに尋ねた。
「もしかして、リュー?」