霧の里にて
能力者の里は隠れ里。
何故ならば一般的に能力は秘密になっていて、それを知られないように大体は隠れるようにヒッソリとしている。
それは日本だけではなく世界中のどこでもだ。北欧のアヴァロンや中央アジアの崑崙、南米のエルドラドなどがそうだ。
しかし日本のココ、霧の里は少し違う。
霧の里は日本の南部にあり中央にある山脈に寄り添う高地にある、日本地図にも記載されている場所だ。
しかしながら里の場所は特殊な場所にあり、高地に流れる川が削り取ったのか、アメリカのグランドキャニオンに木をたくさん植樹して小さくしたかのような亀裂の最下層に住んでいる。
人口300人程の小さな村。最近近くの神楽で有名な町と統合したので村とは呼べないが、薄暗いながらも日本の原風景の様な光景が村の体裁を保っていた。
とまあそんな村には二つの特色がある。
一つは温泉、世界的にも有名なカルデラ火山が近くにある影響か、冷泉や温泉はよく出る。巨岩がひしめき、水はけの良い土地のため水があらゆる場所から流れ落ちて滝になっていて幻想的な光景を見る事が出来るだろう。
二つは深い霧。流れ落ちている滝の水飛沫や温泉の湯気、標高の高さや風が吹き込みにくい地形などにより、この地には年中霧が立ち込めている。
それ故にこの地は霧の里と呼ばれるだけではなく、常に立ち込める霧を雲を見立て雲海の里とも呼ばれ、インフラ整備があまりされていないのと深い霧によって人を寄せ付けない。
標高1500メートル 祖父山内 霧の里修練場
そこは濃霧が立ち込めて一寸先も見えない断崖絶壁。絶壁にある辛うじて人一人立てる岩棚に少年は立っていた。
修験者が着る鈴懸と足袋に草鞋、手には革で編んだ手甲。
その手には、黒ずんだ木刀を携えて。
少年の顔は整っていて、一瞬見ただけでは少年期特有の幼さを含め少女の様な可憐さを持っていた。しかし、彼の目元がそれを否定する。
鷹の様に射抜く切れ長の目元と感情が抜け落ちた様な瞳が、彼の年齢と幼さを消していた。
またそれを助長するかの様に彼の身長は高い。少年の年は数えで11歳、平均が大体150㎝に対して彼は170㎝と大人程ある。
そんな彼が色のない瞳を濃霧の先に移す。見えないはずの何かを見抜く様に。
何も見えない、まさに五里霧中の状態だが、この場に能力者がいると見える世界は大きく変わるだろう。
何も見えない五里霧中の世界、能力者の感覚で見るとそこは『神域結界』の坩堝になっていた。
断崖絶壁は谷の様になっており、少年のいる岩棚から対岸は約1000m程。その間の空間を見る人間、特に識者の能力者が見れば、半径2mほどの神域結界を張る能力が飛び回っているのが解るだろう。
「……」
少年は能力者の感覚でそれをじっと見た後、倒れ込む様に宙に身を投げ出した。次の瞬間、崖と垂直になった刹那、励起法で身体能力を引き上げ崖を強く蹴る。岩を砕く鈍い音と共に水平に飛ぶ少年。そのスピードは瞬間的ながら音速を超えたのか、霧に丸い衝撃波の跡を引いていた。
「…」
少年の瞳が揺らぐ、何かを見つけるためか瞳孔が僅かに開いて、忙しなく小刻みに動いている。
彼が見る視界は白一色、常人では見通せない深い霧。
その白い世界に、閃光の如き黒い線が走る。
「ガッグッッ」
黒い閃光は少年を袈裟懸ける様に走るが、彼は身体を捩じらせ避ける。しかし次の瞬間、何かに弾かれる様に吹き飛ぶ。
原因は黒い閃光に隠れる様に放たれたのは霧の白さに紛れた白い閃光だった。
口を切ったのか少年は血を吹きながら、きりもみ回転で地に突き進む。
霧を走る閃光が止まる。霧に浮かぶ閃光の正体は、ゆるりと弧を描く刃を持たない鈍色の刀だ。
崖の底に激しく身体を打ち付けながらも少年は、転がりながら体勢を立て直し、先ほどまで居た10メートル程の宙を見上げ、強張った様に動きを止める。
なぜならば、刃が少年の顎元に添えられていたからだ。
「状況判断が遅い。今のは神足通で移動するか、雷足で後ろへ跳ぶべきだった。相手の確認は移動の直後だ」
少年の顎元に添えられた刃を下ろしながら喋るのは能力者の中でも、長身痩躯に刃の如く鋭い目と言う一族の特徴の風貌を持った男だ。
「それと目だけではなく五感全てを使い周りの状況を読め、能力者としての出力が弱い出来損ないの抜け殻の貴様とは言え認識能力は高いんだから、そこを伸ばすんだな」
辛辣な言葉を残し男が背を向ける。
「ふん、背を見せれば斬りかかるかと思えば、それすらもないか。軍神の末裔としての勝利の意地すらもないか」
男の口から出るのは苦言や指導でもなく、辛辣な侮蔑だった。
しかし、少年の表情には何も浮かばない。普通の人間であればある悲しみや怒り、諦観や口惜しさなど欠片もだ。彼の表情は眉ひとつ動かさないどころか無そのもの。
「噂通り、妹に才能や感情の全てを取られたのは本当か? あぁ? 何とか言え、このクズ」
男は少年の腹を蹴る。痛みに対しては反応するのか、少年は蹲りながら無表情の顔を男を見返す。
「ああん? 何だ何か言うのか?」
「噂通りではないですか。里の皆もいってます」
「……っち、痛みにピクリとも顔が動かねぇ。気持ちが悪りぃんだよ」
男は少年を蹴ると再び背中を見せると、今度は霧の中に姿を消していく。
「今日の修練は終わりだ。この後の予定は何時も通りた。いいな?」
「はい」
残った声に少年は、蹴られ吹き飛ばされた岩の上で空を見上げる。
真っ白い霧で覆われた谷、一陣の風が吹き霧に切れ目を作り、少年の目に青空を映す。
少年の名は霧島葵、12歳。
葵の名の由来、仰ぐ日の様に空を見上げる彼の目には何の感情も浮かんでいなかった。