8「冗談」
「あがり」
「えっ、もう?」
「香ってトランプ強いよね」
「トランプっていうか、ゲーム全般?」
「そんなことないよ」
「夏目、今ババ引いた」
「な、なんでわかったんだよ」
「顔に出てる」
「ええっ」
放課後、いつものように教室の隅で。夏目が気まぐれに持ってきたトランプで暇つぶしのゲームをしていたが、七並べもババ抜きも大富豪もさして盛り上がらず、知っているカードゲームをただ作業的に網羅していくなか、神経衰弱をするためだけにすべてのトランプを裏返しに敷き並べたところだった。
「ジョーカー混ぜた?」
「混ぜたけど……えっ、駄目だった?」
「いや、見当たらないから聞いただけ」
夏目とナズナのやりとりに蒼が顔をあげる。
「ジョーカーってなんだっけ。悪魔?」
「死神じゃなかった?」
蒼と千秋はまだ一度もジョーカーが手元にきていないので絵柄の記憶が曖昧だ。香が思い出すようにううんと唸る。
「ピエロでしょ? ね、夏目」
「え、どうだっけ。どれも見たことあるような……」
「さっきまで手札にあったくせに覚えてないとか」
「だって、絵柄なんてそんなに気にしないし……」
「トランプのジョーカーは道化師だ」
ナズナの後ろから伸びてきた手が机の上で隣り合った二枚のカードを捲る。ハートとスペードのエースだ。真夏は夏目を見ておい、と低い声を出す。
「ババ抜きのあとはしっかり混ぜろよ」
「ご、ごめん」
「よくババ抜きのあとだってわかったね」
「神経衰弱よりジジ抜きしようぜ」
「ババ抜きしたって言ったじゃん」
「言ってないじゃん」
蒼に合わせて真夏の声がやや静かになる。真夏は蒼と話すときはよく声のトーンを真似するのだ。だが真夏が誰かの口調を真似て話すのは珍しくない。ただ蒼の真似を見る機会が多かっただけで、ナズナや夏目も真似をされたことがある。日頃の分析力の賜物か単純に器用なだけなのか、よく似せていると思う。
「それにババ抜きとジジ抜きは違うゲームだ。どれがジョーカーかわからないだろ」
「もういいよ、似たようなもんだし。盛り上がるわけでもないし」
「教えてやろう、お前たちに盛り上がろうとする気持ちが足りていないからだ。俺はいつでも盛り上がれるぞ」
「盛り上がらなくていいよ、うるさいだけだから」
「つれねえなあ」
言いながら自分の席につく真夏に夏目が尋ねる。
「そういえば真夏、今までどこ行ってたんだ?」
「美術室」
真夏が次に捲ったのは白と黒で描かれたジョーカーのカードだった。ここで話の軌道が修正される。
「ジョーカーとはジョーク、つまり冗談を言う人のこと。だからこいつは道化師なんだ」
「じゃあ悪魔と死神のイメージってどこからきたんだ?」
「そりゃお前らの勝手なイメージじゃねえか。そんなもののルーツを俺が知るわけないだろ」
たしかにそうだ。
「道化師ってピエロとは違うものなの?」
千秋が尋ねる。
「道化師はクラウンだぜ。クラウンはショーの司会や芸と芸の間を埋めるおどけ役だ。ピエロはクラウンの一種のことで、バカにされることで人を笑わせる……というより笑われるのが仕事。道化師たちはメイクをしているが、涙のマークがついているほうがピエロだな」
「じゃあ、あの涙マークはバカにされて本音は悲しいって意味?」
「それもあるが……ピエロには芸人の他にも、悲劇や悪魔的なイメージがあるだろ?」
「うん。怖い映画やゲームに出てくる殺人鬼がピエロの格好してるのとか、よく見かける」
「クラウンがやる定番の寸劇にピエロが出てくるんだ。ある女性を好きになるけど失恋して、ピエロはその女を殺してしまう。涙のマークは失恋から来てるとも言われてるから、たしかにピエロは怖いものだという認識も間違いではない。俺もあまり詳しいわけじゃないから、よくは知らないんだけどな」
それだけ知っていれば十分だろう。
「あ、そうか。じゃあ、ジョーカーをピエロだと思っていたから、ピエロに持ってた悪者のイメージが、そのままジョーカーはイコール悪魔とか死神って結びついちゃったんだな」
「さてな。ジョーカーの起源となる道化師はまたそのあたりとはちょっと違ってくるんだが、道化師――正確には宮廷道化師――っていう職業はまあ特殊なものだったんだよ。昔の西洋の話だな。宮廷道化師とは平たく言えば、国王や貴族の前でおどける役だ」
「王様の前で芸をするってことか?」
「曲芸や手品をしたり歌を歌ったりもしたそうだが、他の大道芸人と違うのは冗談を言ってからかうことができる点だ。道化師とは愚かな者とされていて、愚者には自分を雇った王侯貴族の前でも堂々としていられる特権があった。なにを言っても愚者のたわごととして片付けられていたんだ」
「怒られたりしないのか? ほら、不敬罪とか」
「逆だよ。道化師の言動に怒っちゃいけない。自分は器が小さいんだって言ってるようなもんだからな」
「えらい人に楯突ける職業?」
千秋が首をかしげる。
「極端な言い方をするとな。規律に背いて笑っている、という意味では悪魔的とも取れるけど。……そして、道化師はあの派手なメイクでいつも素顔を隠している。素顔がわからないとはつまり、正体がわからないということ。正体が知れず、何者かわからないということは、何者でもないということ。それすなわち、何者にもなれるということだ」
「……ちょっと飛躍しすぎじゃない?」
ナズナは口を挟むが、香はそうか、と納得して先程真夏が引き当てたジョーカーに視線を向けた。
「何者にもなれるカード、だね」
「その通り。ワイルドカードであるジョーカーは敵にまわせば厄介だが悪ではない。反対に、手元にあれば強力な味方になることもある」
相変わらず生きるうえでなんの役にも立たないようなことばかりを知っている。くだらない弁論だと思うが、彼がこういった知識をいったいいつ、どのように仕入れてきているのか。また、なにについて問えば答えに詰まるのか。あえて聞きはしないが長らくの疑問である。その知識が正しいのかどうかは知らないし、たとえ勘違いや間違った情報があったとしても、問えば必ず答えを返してくる。真夏は机に並ぶカードの一枚とジョーカーを手に取り、中身を伏せてナズナに突き出した。
「だからまあ、がんばってジョーカーを見極めろよ」
対するナズナは二枚のカードを二秒間見つめ、そのうちの一枚を指先でそっと選び取る。なんてことない、ただこちらが正解と直感で思った。しかし選んだカードはクラブの七。はずれだ。真夏がカードを持つ手を裏返すと、モノクロの道化師がこちらを見て笑っていた。彼はそのままカードを机の上に放り、机の横にかけていた鞄を手に取る。
「……人生における選択のすべてが、これくらい簡単で明瞭なものばかりならよかったのにな」