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7「対峙」

その日の昼食は真夏がいない分いつもより静かだったが、それによる不都合などはなかった。多少、場の空気に活気がないようにも感じられたが、みんなの態度はおおむね平常通りで、夏目は真夏のことを気にしていたようだが、特に彼の名前が会話にあがることもなく時間は流れた。しかし真夏一人がいないだけでいつもと違う空気が漂うということは、このグループ内における彼の存在がナズナが思っていたより大きなものである証拠だろう。根暗な性格のくせにムードメーカーとは矛盾している。


残った午後の授業も滞りなく終了し、帰り支度を済ませていつも通り香と教室を出る。廊下で待っていた蒼と千秋も合流し、四人揃ったところで校舎を出て校門に辿り着いたときだった。


「あの」


たまたま帰りの時間がバッティングした清水彩が、彼女の存在を気に留めず――というよりも気が付かずに――通り過ぎようとしたナズナに慌てた様子で声をかけたのだ。名前を呼ばれたわけでもないのになぜかその声が自分に向けられたものとわかってしまうのが不思議である。声の主もわからないうちに振り返り、目が合った瞬間、彩はしまったというような顔をした。人違いで声をかけたというよりは、そのつもりはなかったのに思わず声をかけてしまったらしい。


あの、あの、とたじろぎながら中途半端に浮かせた手をわたわた動かす彩をナズナはじっと眺めている。なにか用があるのだろうと根拠もなく思い込んで続く言葉を待っていると、彩はちらりと香たちのほうを見た。香はただの一瞬向けられた彼女の視線からその意をくみ取ったのか、ナズナの肩にそっと触れ、向こうで待ってるとだけ告げてから蒼と千秋とともに門を出て行った。ナズナは三人の背中が見えなくなるのをぼんやりと目で追っていたが、やがて彩の存在を思い出して彼女に向き直る。


「で、なに?」


「すみません。お友達と一緒にいたところを……」


「や、別にいいけど」


どうせいつもの顔触れなのだし、なにがなんでも一緒に帰らなければいけない理由はない。誰かと連れ立って帰らなければ死ぬのなら話は別だが。ナズナの短い答えと先の問いに、彩は数秒もじもじと躊躇していたが、やがて引き返せないと思い切ったようにもう一度、あの、と言った。


「さっきの方……と、お付き合いされてるんですか?」


「さっきのって」


お付き合い、というのはおそらく恋人としての意味だろう。


「香のことなら違う。あれは幼馴染」


「えっ」


「一応言っとくと、前にいたほうは兄」


「あの、じゃあ、その……」


彩は眉をハの字にして不安そうに俯くが、一度ぎゅっと目をつぶると先程より赤い顔をこちらに向けた。


「せ、先輩とはどういったご関係ですか?」


「は!?」


数秒、思考が停止する。先輩――とは彼女が言う場合、十中八九真夏のことを指している。


「ちょ、待っ、え、いやお前――ちが、えっと、あなた……」


「清水彩です」


名前は知っている。


「そう、あのさ、清水さん……それ、どういう意味?」


「あ……すみません」


なにに謝っているのかわからないが、どうもとんでもない思い違いをされていることはわかる。ナズナはあまり親しくない相手と話すのは得意としないのだが、今回ばかりはそうも言っていられず、思わず身を乗り出した。


「なに考えてんのか知らないけど、私があいつのこと好きだとか思ってんなら絶ッ対、違うから。ありえない。ってか、なんでそうなんの?」


「それは、その……とても、仲が良いんだと思って」


保健室でのことだろうか。彼の荷物を持ってきたのは手当ての礼で、着替えを直視できたのは真夏もナズナもそんなことを気にする性格でなかっただけのことだ。それ以外でも真夏と一緒にいるところを何度か見られていたとして、あの男に対して親密な態度をとったことも、つもりもない。真夏を一方的に慕っている彼女の目にはまた違って見えたのか。


「別に仲良くない。ただの友達」


好きな男と親しくしている女がいれば心配になるのも無理はないことかもしれないが、勘違いだけならまだしも直接、しかも真夏ではなくナズナを問いただしにくるとは予想だにしなかった。どうやらこの清水彩という後輩は、ただかわいいだけの女ではないようだ。成功する見込みのない相手に初対面で告白して食い下がっただけのことはある。


ナズナがどんな顔をしていたか自分ではわからないが、おそらく苦虫を噛んだような顔をしていただろう。彩はほっと胸をなでおろすが、なにかに気付いて再度顔をこわばらせた。


「でも先輩は」


「真夏が私を好きとかもありえないから。そもそもあいつ、女に対して若干……なんか恐怖症とかじゃないけど、女性不信っていうか、そういうとこあるじゃんか。自分から他人を好きになるとかはそうそうないんじゃないの」


「先輩が……女性不信? え、えっそれ、どういうことなんですか」


「あ、いや」


彩が驚いて尋ねたところでナズナは自分の失言に気がついた。既に知っていると思っていたが、そうではないのか。別に秘密にしているようでもないので誰かに喋っても問題ないはずだが、彼女に言うべきことではなかった。話してもわからないと思う――と苦し紛れに言ってみるが、彩は真相を知るまで帰らないとでも言いたそうにこちらを見つめている。観念してため息をついた。


「……先に言うけど、本当に大したことじゃないから。身構えてると肩透かし食らうよ」


忠告すると彩は少し肩の力を抜く。


「私は小学校が別だったから詳しいことは知らないけど。真夏は……たしか小学二年のときにこの町に越してきたらしい。そのころから今でもあいつと仲良い幼馴染が他校にいて、そいつがとんでもない美形なんだよ。で、女子人気がほんとに凄まじかった」


美形の幼馴染とは山吹のことだ。


「それであんまり人気だったから、抜け駆け禁止令とか接触禁止令みたいなのがさ、本人は知らなくても女子の間にはあって。それができるまでは授業のグループ分けがあるたびに地獄みたいな争いが起きてたらしい。で、真夏。争いの原因が自分の親友だから巻き込まれることもあるし、他のクラスメイトよりも近いところでその戦争を見ることになるじゃん」


彩は真剣な面持ちで話を聞いている。


「さすがに中学に上がるころには周りも落ち着きはじめてさ。でも喧嘩に巻き込まれたりはなくなっても、女子に話があるって呼び出されて行ってみたら、幼馴染のことを教えてほしいとか頼まれたり。そんな学校生活を続けた結果女性不信……っぽい傾向が、ちょっとあるってだけ。不信っていうか、あんまし興味持てないって程度だと思うけど」


「それって……結構つらいことじゃないんですか? 期待を裏切るような呼び出しもそうですけど、教えてほしいと言われても、その親友の方を思えば易々と教えられるものでもないでしょうし」


「そうかな、あいつ自身はそこまで気にしてないみたいだけど」


真夏が己に女性不信の気があることを深刻に捉えていないというのは嘘ではない。ただ以前、女子になんの期待もしなくなったせいで、仲良くなった子や自分のことを好きだという子が現れても、山吹と仲良くなる目的で自分に近付いてきたのではないかと疑ってしまったり、距離をとろうとしてしまうことがあるというような愚痴をこぼしたことはあった。


直後に失言だった忘れてくれと言われたのだが、真夏がそのようにネガティブな本音を口にすることが珍しかったのでよく覚えている。深く気に留めてはいないが、まるで気にしてないと言えば嘘になってしまうのだろう。さすがの真夏もお気楽に生きているだけの能天気ではない。


「そもそも……真夏に好きなやつとか、彼女がいないの知ってたんじゃないの?」


振り向いてもらおうとアピールしているからには、彼に特定の相手がいないことを知っているものと思っていたが。まさかそんなことも確認せず付きまとっていたのだろうか。


「それは……聞いています。好きな人も恋人もいないと。でも」


「でも?」


「疑うとかじゃないんですけど……質問されたからって、そこまで正直に答える必要はないじゃないですか。先輩からすると、そのときの私は初めて会った見知らぬ人間でしたし。知らない相手に好きな人がいるなんて言いたくなくて、咄嗟に答えた可能性も……」


一理あるが真夏が相手となれば話は別だ。


「真夏自身が言ったなら嘘じゃないよ。あいつは咄嗟に嘘吐くとか器用なことできないから。聞かれたことはなんでも正直に答えるし、答えたくなきゃそう言う」


「そう、なんですか?」


「真夏のことなんにも知らないんだね」


「はい……私、ずっと見てただけなので」


「見てるだけにしとけばいいのに。実態を知れば理想との違いに失望するよ」


「私、先輩に理想なんて抱いてません。勝手に期待して勝手にガッカリするなんて、そんなことしたくないです。先輩に失礼ですから」


「ならいいけど……あいつのどこがいいの?」


「それは……」


彩は一瞬だけ黙るが、すぐに答えた。


「私、実はよくわからないんです。先輩は……謙虚な心があって褒めると謙遜するけど、言いたいことは自信を持ってはっきり言えて、弱くはないけど、でも決して強い人ではないんだと思います。真面目だけど一辺倒でもなくて。だけど自分のしたいようにしているわりには限度を弁えているし、まわりのこともちゃんと見てて……あ、すみません、まとまらない話を長々と」


少し意外だった。彼女はナズナが思っていたよりずっと真夏のことをよく見ている。きっと告白したのは最近のことでも、あの男を好きなのはそれよりずっと以前からなのだろう。もしそうでないなら真夏以上の分析力だ。


「よくわからないところが好きってこと?」


「そう……なるのかも、しれないですね」


真夏は多くの矛盾した性質を持つ男だ。理解に難く、つかみどころのないそのさまは人によっては受け付けない人格だろうが、そうでない人間は妙に惹きつけられてしまう。よくわからないから知りたくなる。よく見えないから深く覗き込みたくなる。彼女はその罠にまんまとかかってしまったのだ。


「……頼りになるとか優しいとかは?」


照れたように笑っている彩にナズナがそっと尋ねてみると、彼女はようやく思い出したようにはっとした。


「優し……あっ、いえ、や、優しい人ですよ? 頼りに……はい、男の先輩ですから、もちろん頼りにもさせていただいてます! いつも親切にしてもらっていますし、困っているときは助けてくれます」


「ああそう」


とってつけたような弁明だ。


「それと」


「なに?」


「目が……好きです」


「目?」


あの隈だらけで前髪の影が人相の悪さを際立たせている、殺人鬼みたいな目のことだろうか。


「外見のことになっちゃいますけど……私、先輩の目が好きなんです」


「へえ」


「あ、先輩には内緒にしててくださいね」


「別にバラしゃしないけど」


人の好みはわからないものだ。ナズナには理解できない。


なにも失恋してほしいわけではないが、彼女の恋がうまくいくとは思わない。なんせ相手はあの真夏なのだ。すべてを受け入れるつもりで臨んだとしても、どんな不測の事態が起こらないとも限らない。ナズナはなんだか心配だった。彼女はこれからあの男を自らの意思であきらめるまで、その性分に振りまわされることになるのだから。


「あんたほんと趣味悪いね」

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