4「対称性」
昼食は隣の二組で摂るのがいつもの習慣だ。真夏と蒼の席が隣接しているので、その二人の机をぴったり並べた窮屈な空間に高校生六人がつめるのだ。別段こうしようと定めた覚えなどないのだが、いつの間にか我々には昼休みになるとここへ集まる習性が定着していた。高校一年のころから、これが当然の流れで然るべきと誰もが信じて疑わないのだ。誰かと一緒であろうがなかろうが味が変わるわけでもないのに毎日ご苦労なことである。もっとも、そのたかだか食事のために毎日同じ場所に赴くご苦労者のなかにはナズナ自身も含まれているのであるが。
ナズナたちのクラスは教室で仲間同士食事する生徒が多く、昼休みといえども人口密度にそれほどの変化はみられない。一方、二組は食堂や中庭など教室外へ出て行く生徒が多いため、食事時は教室が比較的静かだ。食事のときくらい静かに過ごしたいナズナとしては、一組にいるより二組へ移動する方が合理的なのだ。
静かに食事がしたいなら真夏と同じ空間にいるのは間違いと思うかもしれないが、よくよく考えれてみればこれが正しいとわかる。真夏は妙なところで口うるさいのだ。扉は開けっぱなしたくらいで小言をこぼす彼は、当然、食べている間は沈黙を守るのである。雑談自体はするが、一度食べ物が口に入れば口の中が空になるまで絶対に喋らない。
それに彼は標準的な体型のわりに人一倍、いや人三倍の量は食べるからその分喋らない時間も長く、少なくとも一組の教室にいるよりはずっと静かだ。ただ箸の持ち方が微妙に間違っているのが少し惜しい。
真夏がナズナを隣の席に招いたが、それと同時に座った香の隣が空いていたのでそちらに座った。
ナズナや蒼は母の手製の弁当。千秋と香は自分で弁当を用意している。夏目は弁当だったり惣菜パンだったり日によってまちまちだ。蒼の弁当はときどき千秋が用意することもあるのだが、周囲――とくに真夏になにか言われるのが嫌なのか、そのことは口外していない。真夏はついこの間まではコンビニで買った弁当やら菓子パンを五個、六個と鞄に詰めて来ていたのだが、例の後輩からの差し入れが始まってからは彼女の手作り弁当を食べている。
大食漢な彼のこれまでの食事量からするとそれだけで足りるとは到底思えないのだが、彼女の弁当のあとから別のものを食べたり、せっかくの空腹を別のもので満たしてから弁当に手をつけるなどはしない。それは食事を作ってくれた者に対する彼なりの誠意かもしれない。
しかし付き合ってもいない相手にいきなり手作りの弁当を食べさせるとは、少々重くはないだろうか。ナズナは当初――というより今でも少し――そう感じていたが、相手が真夏ならば話は別なのかもしれない。彼は食べるのが好きなので、最初に胃袋を掴みにかかるその戦法はたしかに効果的といえる。重いといってもそれはナズナがそう感じただけなので、当の真夏がなんとも思っていないならそれでいいだろう。
「いや、似てるよ」
「箸を振るな」
喋る際に夏目が箸の先をちょい、と軽く振ったのを、箸につまんだポテトサラダを食べようとしたのを中断してまで注意する真夏。言い終えてから、夏目が謝っている間にぱくりと口に含む。ひと口が大きい。
「なんの話?」
ごちゃごちゃと一人考え事をしていたナズナは仲間たちの会話をろくに聞いていなかった。正直に尋ねると香が隣で君が当事者だよ、と苦笑する。そのままちらりと真夏を見るが、彼は卵焼きを咀嚼しているのでまだしばらくは会話に参加しない。
「ナズナたちが似てるか似てないかって話だよ」
千秋が答える。ナズナたち、というのはナズナと蒼のことだろう。ナズナがはあ? と語尾を上げて言うと、瞬間、夏目がこちらを向いた。
「ほらそれ。それ、蒼も同じ言い方するでしょ、いつも」
はあ? と、今度は蒼が言う。おそらくナズナと同じで全く話を聞いていなかったところに、急に自分の名前が出たので半ば反射的に出た声だろう。たしかに言われてみれば、さきほどの自分の言い方と似ていたような気がしないでもない。
「ね? 見た目だって似てるし名前も、話し方とか声とか、中身も似てるよ。俺、小学校のときはどっちがどっちかわからなかったもん」
「そりゃお前の目がどうかしてんだ」
真夏が辛辣に言う。いつもの長台詞がないのは食事中だからなのだが、既に弁当箱は九割が空である。ぐ、と一瞬言葉を呑むように唸った夏目を、千秋と香が擁護する。
「似てるところは似てると思うよ。血は繋がってるんだし」
「僕は間違えたことないけど……慣れてない人は間違うよね。初対面のときとか」
「俺は初対面でも間違えなかったぜ。なんならこいつらが双子だってことすら知らなかったし気付かなかった」
「それはそれでどうなんだよ……ええと、どっちかっていうと似てる派が二人と、似てる派が一人で、似てない派が一人?」
「なにそれ。ずっとそんなことで言い合ってたの?」
「そ、そんなことって」
ナズナと蒼が似ているかどうか。親戚や家族、友人たちが何度もそのことを話題に上げるのでいい加減辟易していた。似ている似てないなど、蒼と比較されて腹が立つわけではないが、ややうんざりした気分だ。他にもっと楽しい話題もあるだろうに。しかも結局は似ているということで話が片付くのだ。二人が似ているかどうかなど、そんなことはどうでもいいじゃないか。ナズナはナズナで蒼は蒼だろう。
「似てねえよ」
真夏が言う。弁当は完食している。
「そんなにきっぱり否定されたのは初めてだけど」
思わず呟く。双子であることばかりに着目され、まるで似てるといえばこちらが喜ぶとでも思っているかのような主張が常だったので、真夏の意見は新鮮だ。たしかに中学時代から今までずっと、真夏は名前どころか、今でも間違われることの多い電話口ですら一度も蒼とナズナを間違えたことがない。
「否定もなにも、どこを見れば似てると錯覚するんだよ。俺も一応兄がいるけど、似てるなんて言われたことは一度もないし、似てると思ったことも一度もない。むしろ似てないとしか言われない」
それは本当に似ていないからだ。
真夏には三個上だか二個上だかの兄がいるらしいことは知っている。ナズナは会ったことがないのだが、たしかに彼の家に行くと彼以外の誰かの気配を感じることがある。両親は共働きで夜遅くまで家に帰らないそうなので、その気配の正体こそが真夏の兄なのだろう。
「いや、真夏のところは双子じゃない普通の兄弟だろ」
「二卵性双生児だって同時に生まれたから双子ってだけで、実質的には普通の兄妹と同じだぜ。条件としちゃ大差ねえよ」
たしかにそうだ。
「真夏と真夏のお兄さん、僕は結構似てると思うけどなあ」
香の言葉に真夏が顔を引きつらせる。
「香、お前どこに目つけてんだ。よせよせ、あんなんと一緒にされちゃたまんねえよ」
「似てるかどうかは知らないけど、なんか、真夏に兄貴がいるってすごい納得」
ナズナが言う。彼の自分勝手でマイペースな性格は、兄弟姉妹の下の子にありがちと言われている特徴と合致する部分が多いからだ。なので弟だと言われると、ああやっぱりな、という気分になる。
「俺はむしろ、真夏に兄弟がいるって聞いたときは驚いたなあ。一人っ子と思ってた」
「実際は末っ子でも、自分は一人っ子だと思って生きてるから」
「お兄さんの存在をなかったことにするなよ……」
「私も真夏は一人っ子だと思ってたなあ」
千秋が夏目の意見に賛同する。ナズナと蒼はええ、と異議を唱えるような声を出した。
「これは弟だろ。我が強くて自由奔放でずる賢い」
「賢いってさ。やったぜ」
「ずる賢い、だよ」
香が訂正する。
「いつの間にか話がすげ替わってるけど、この双子が似てるかどうかの話じゃねえの?」
いつもは話をすげ替える側の真夏が軌道修正をしてきたので、ナズナは一瞬これは夢じゃないかと疑った。普段は積極的にころころくるくる話題を変えてくるくせに、ときどき急にまともに振る舞うのは困惑するのでやめてほしい。
「二人は……」
夏目が身を乗り出す。
「似てる!」
「似てなーい」
真夏はペットボトルの水を飲む。
「なんでもいいけどさっさと飯食えよ」
夏目の弁当は半分も減っていなかった。