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2「午後」

午後の体育は担当の教師が出張のため自習となるらしかった。自習――といっても各々が自由に種目とそれに取り組むペースを選べるだけで、できることは普段の授業とあまり変わりはないが、のんびりと楽にしていられる分、遊びのようなものだ。体育の授業や選択科目などは他のクラスとの合同授業となるため、一組の場合は二組の生徒たちと一緒に授業を受ける。昼食を済ませた後で適度に時間が経過し、もうゆっくりと休んでいたい気分になってしまったこともあり、元より運動が得意ではないナズナは自習と言われても浮かない気分で更衣室へ向かっていた。男子生徒は教室で着替えるため香と離れることになるが、更衣室は一組も二組も同じ部屋を使うので千秋が一緒だ。


体育館は東館の向こう側にあるグラウンドの横に隣接して建っており、すぐ傍に体育教員室と更衣室がある。東坂高校の校舎は西館二階が二年、一階が三年生、東館の一階と二階が一年生のクラス教室に当てられている。一年生のみ階をまたいでいるのは、東館に空き教室や視聴覚室、家庭科室、調理実習室、書道室などの教科専用の教室が集中しているからだ。


廊下で合流した千秋と雑談しながら体育館へ向かう。既に着替え終えたらしい真夏がナズナと千秋の間を飛び跳ねながらすり抜けた。驚いて声を上げるナズナたちを見て愉快そうにケケケと笑い、彼はさっさと体育館のほうへ行ってしまう。彼が手に持っているのは二足分の体育館用シューズである。片方はきっと夏目のものだろう。くだらないイタズラばかりしでかす男だ。その背中を後から来た夏目が慌てて追いかけていくのを見ながら、暴れ牛をわたわた追いかけるへっぽこカウボーイのようだと思った。本気で走ればすぐに追いつくだろうに。夏目は中学のころから運動部に所属しているので、へっぴり腰でも体力はある。


まるで台風でも通ったような騒がしさのあとで、そろそろとナズナの隣を追い越して行く蒼の存在は非常に静かなものだ。ため息を吐き、改めて更衣室へ向かう。しかしそのときのナズナの視線は目的地とは別のほうにあった。


背中に届くほどの長さの髪。長いまつ毛。大きな瞳。細身な体からすらりと伸びる細い脚。東館の一階、窓辺から体育館の方角をぽうっとした表情で見つめる少女が目についた。ナズナが直接関わったことはないが、真夏たちが話しているのを見聞きしたことがあるため、まったく知らない生徒ではない。


たしか――清水彩しみずあやという名前の一年生だ。あの真夏を思慕する物好きな少女で、少し前に告白して一度は振られたそうだが食い下がり、恋人ではなく友達からということで今は起死回生をはかっている最中らしい。見かけは可憐な美少女なのだが、残念なことに男を見る目がない。こちらの視線に気付いた彩がはっと我に返った。目が合い数秒、軽く会釈する彼女とは裏腹にナズナはすっと目を逸らし、知らないふりをして早足で千秋に追いついた。


「あの子、たしか真夏のこと好きなんだったよね」


着替えを済ませて体育館に入り、点呼と準備体操の後に千秋が唐突に言った。


「あの子?」


「ほら、さっき東館からこっち見てた子」


「ああ――」


あの子、ナズナはそっけなく答える。興味がないというよりあまり詳しいことを知らないのだ。当事者である真夏のほうを見ると、ボールを持ち出してドッヂボールを始めるところらしい。こちらに合流しようとしていた蒼と香が捕まった。彼は他の種目はてんで駄目だが、ドッヂボールと水泳にかけて言えばクラスでも右に出る者がいないほど得意としており、特に水泳に関しては部活動で日ごろから体を鍛えている夏目よりも速く泳げる。きっと前世は魚だったに違いない。そうでないなら夏目が下手なだけだ。


「あの子、かわいいけど男の趣味悪いね」


「そ、そう?」


「よりによって真夏でしょ。なんであいつ?」


「うーん……真夏もあの子のこと知らなかったらしいし、ひと目惚れだと思うんだけど」


「そりゃ中身知ってたら好きにならないよ」


「散々な言い様だね」


「でも見た目もひと目惚れされるほどじゃなくない?」


「そうかな? 真夏はかっこいいほうだと思うよ」


「千秋がああいう暗い顔が好きなだけだよ」


「暗い顔って」


「蒼もそうじゃん」


「で、でも意外と顔立ちはしっかりしてるし……」


好きな人は好きということだろう。


「……まあ、現にごくごく一部からはモテるみたいだけど」


敵チームからのボールに真夏が当たった――と思いきや、地面に落ちたのは体操服の上着が絡みついたボールだった。彼は直前に上着を脱ぎ捨て、直接触れないまま球を失速させたのだ。高度な技術だが実にくだらない。それができるならキャッチしたほうが早い。それでも油断ならない俊敏さだ。真夏は素早く上着を回収して袖を通す。彼が半袖姿になるのは滅多にない。敵チームからヤジが飛び、味方のチームが煽りはじめる。


「真夏、脱皮禁止!」


「それ封印したって言ったろ!」


味方チームからも夏目と蒼が文句をつけた。思い返してみればたしかに、あの男は中学でも同じようなことをしていたが、卑怯だからと自らあの技を禁止としたはずだ。千秋が苦笑いを浮かべる。


「あ、あはは……中学の頃から、妙なところで変な才能を発揮するよね。真夏って」


「なにあの素早さ」


「真夏っていつもはああだし目つきも怖いけど、なんだかんだで優しいところもあるし、意外と頼りになるし。いいところもあるよ」


「……前から思ってたけど、千秋って真夏のこと贔屓ひいきしてるよね」


蒼が知ったらどうなることか。


「そう?」


「だって、やけに庇うじゃん」


「それは……私も真夏のお世話になったことがあるからかな」


言いながら、千秋は真夏を見た。いや、彼女が見ているのは真夏ではなく隣にいる蒼のほうだ。たしか二人が付き合い始めたのは中学三年の二月ごろ。それまではお互いを恋愛対象として認識しつつも、幼馴染で親友であるという大義名分のぬるま湯に浸かったまま、むず痒い距離感を保っていた。今まで通り一緒にいられるなら友達でも構わないと妥協していた二人は、真夏の働きかけによって仲が進展して現在の関係に至ったのだ。


千秋の言う世話になった――というのは、そのときのことだろう。詳しい話はあとから千秋から聞いている。千秋が真夏に蒼との仲に進展がほしいと相談したから、真夏は彼女のために一肌脱いでみせたのだ。結果として真夏は千秋の願いを叶えたことになるのだが、問題はその経緯のほうである。


「行動力はあるけど、まったく後先考えず無鉄砲で、軽率っていうか。頼りになるのと無責任なのは違うでしょ」


「ああ、イチかバチかで……みたいなこと多いかもねえ」


「別に嫌いなわけじゃないけどさ、好きになる理由はわからない。あの子あれと付き合いたいんでしょ?」


「今みたいに友達ならともかく、付き合うってなるとナズナとは合わないだろうね」


「ちょっと。変なこと言わないで」


真夏が夏目を盾にしてボールを避けた。夏目の悲鳴がここまで聞こえてくる。ボールに当たった夏目はもちろん外野行きとなり、なにか文句を言っているようだが、そんな夏目に真夏は笑顔で手を振っていた。楽しそうだ。


「あいつクズだな」

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