四話 魔王と破壊神
闇神殿の中は、魂の奥深くまで侵されるような、濃密な瘴気が充満していた。
濁り固まった瘴気は色を変え、形を変え。いくつかの個体となってヒイロ達に襲いかかってくる。
小さなそれらを潰しながら、ヒイロ達は神殿の奥へと向かう。石造りの神殿には灯りも少なく、ナルの光の魔術とフリーダのスキルを使って、少しずつ先へ進んでいた。
その最奥。もっとも瘴気の濃い場所は、吹き抜けの広間になっていた。
距離を取ってもなお、濃すぎる瘴気が渦巻いているのが見てとれる。
「あそこに、魔王が……」
ヒイロの頬を冷や汗が伝い落ちる。
フリーダの顔色は真っ青で、今にも倒れてしまいそうだった。さりげなくナルがフリーダの後方に立ち、もしもの事に備えている。
「なんて恐ろしい光景なのでしょうか」
「さっさとケリ、つけちまえよ」
「は、はい……」
ヒイロが瘴気の中心──魔王に向かって一歩を踏み出す。聖盾に守られてさえ、向かい風に逆らうかのような抵抗がヒイロを襲う。
ぐっと唇を噛んで、ヒイロは足と腰に力を入れた。
飛ばされないように、腰を低く保ち、一歩一歩魔王に向かって行く。
一歩、一歩、しっかりと。
地に足を付けて。
ヒイロは十分な時間をかけて、確実に魔王に近付いていた。
「・・・!」
いつしか、後方からかけられる声すら、聞き取れなくなっていた。
ただまっすぐに魔王のいる場所を目指す。
広間の中心に向かう度に、より濃い瘴気が吹き荒れていた。
全身をチリチリと焼くような痛みが襲う。皮膚には多くの傷が付き、血がにじんだ。
体内に入った瘴気は、内から四散させるかのように膨張する。内臓がねじられ、筋肉がきざまれ、神経がすり潰されるかのようだった。
噛みしめた口は切れて血が溢れ、目からは涙がこぼれる。
それでも、歩く。
ただまっすぐに、ヒイロは魔王を目指した。
ながい時間をかけてたどり着いた魔王は、瘴気の塊だった。人型の瘴気と呼ぶのがふさわしい、そんな形の無いモノだった。
その表面からは絶えず瘴気が溢れ続け、聖盾に守られたヒイロの体を壊してゆく。
じっと魔王を睨みつけたまま、ヒイロは抜き身で持っていた聖剣を構えた。
その魔力に応じて現れた光の刃を、ヒイロは魔王に突き立てて──
その一瞬で、全ては塗り替えられた。
○ ○ ○
『あーあ。なーかした、泣かした』
『いやぁん。キチク~』
メディエが本格的に泣き出したのを見て、それまで遠巻きにしていた神々が近付いてきた。
ピンクの長い髪をなびかせた恋の神が、ほっそりとした腕を伸ばして優しくメディエの頭を抱き抱える。
心躍るような華の匂いがメディエの鼻をくすぐり、風に散っていった。
『もう大丈夫よ。怖くないから安心して』
『破壊神もな、やることが大人気ないんだからな』
恋の神の後ろで頭を掻いている美丈夫は──酒の神だ。
赤紫色の短髪が、メディエの目にちくちくと突き刺さるようだった。涙も余計に溢れるというものだ。
違和感に気が付いて、メディエは目を見張った。
溢れる涙はそのままに、あわてて周りを見回す。
今までは、カラフルな光としか認識していなかった神々が、人の姿になっているのだ。
何がどうなったのか、とメディエは恐る恐る元凶と思われる神を振り返った。
元凶である破壊神は、数柱の神々に何か言われているようだった。その神々の髪がまたカラフルで──と、意識が横にそれそうになり、メディエは視線を破壊神に戻した。
破壊神は黒かった。髪も目も、服まで全身真っ黒である。
その色は光であった時と変わらないのだが、あの時のような圧迫感と恐怖を感じない事に、メディエは疑問を持った。
いや、圧迫感がなくなったのではない。
破壊神から感じられる力は強く、ともすれば逃げ出しそうになるほどだった。
けれど、それは我慢できるほどのモノでしかない。
先程感じた、全てを壊されるような、自分が自分でなくなってしまうような、そこまでの威力ではなかった。
それは何故か。
慣れたのか、麻痺したのか──すでに壊されてしまったからなのか。
疑問を感じながら、メディエは破壊神が自分に向かって歩いて来るのに気がついた。破壊神の周囲には、相変わらず色とりどりの神々がいて一緒に移動してきている。
その一団がメディエを取り囲んだ。
恋の神達も、さりげなくその一団に紛れ込んでいった。
『さて。もう怖くないな? 改めて挨拶をしようか。オレが破壊神、オラファーブだ。今後、宜しくな』
「え……と、メディエです。創造神の眷族、です?」
随分と美形の神様は、にこやかにメディエに話しかけてきた。メディエが破壊神に返事をしたのを見て、神々が安心したように頷いている。
『よしよし。記憶にも問題はなさそうだな。オーケー。オレの仕事カンペキだぞ』
「……ありがとう、ございます?」
何がどうなっているのかと思いながらも、メディエはなんとなく感謝の言葉を口にする。
『おう、感謝しとけ。それにしても、眷族になって早々に仕事になるとは、おまえも運がないな』
あはははは、と破壊神は声を上げて笑った。
今の世界では、創造の仕事は無いはずなのに、とメディエは疑問に思って──破壊神の周囲の神々が苦い顔をしているのに気がついた。
「えーっと。仕事……って、どういうことでしょうか? 確か"創造"の仕事って最初しかないんじゃ?」
『そりゃぁ、おまえ──』
破壊神はニヤリと唇を歪めた。
基本が美形だと、どんな表情でも美形のままだ──など考えていたメディエは、続けられた言葉が理解できなかった。
え、と疑問を浮かべて神々を見る。
残念そうな顔をしているモノ、悲しそうに肩を落としているモノ、様々だった。
「すみません。もう一回──」
『だ、か、ら。オレがいるということは、世界が滅びるということだ。またイチからやり直し。──なわけだから、正しく創造のお仕事ダロ』
世界を滅ぼす。
そう宣言した神は、まさしく破壊そのものであった。
アイテム紹介
魔王の人形:魔王の代わりとして闇神殿に置かれた。透明な風船の中に瘴気を詰めて作成されている。自発的な行動はできない。勇者と聖剣により、瘴気(=中身)が浄化されてしぼんだ。




