二話 黒司祭との決着
ヒイロは違和感を感じていた。
彼の前にいるのは、かつて大神官であった敵だ。一月ほど前には、魔王を滅ぼすための助言をくれた相手だった。
だが、今は恐ろしい相手として、目の前に立ちふさがっている。
強い魔力を持った恐ろしい相手──のはずだ。
それなのに、大神官──いや、黒司祭からは"殺気"が感じられないのだ。
それだけではない。なんとしても勝つ──という必死さすら、感じられなかった。
まるで義務を嫌々こなしているような。命じられたことを、機械的にこなしているような、そんなどうでもよさを感じていたのだ。
「どうして、敵対されるのですか? ご本意ではないのでしょう。それなのに、どうして?」
「……魔王に仇為す者は、すべて滅ぼす。それこそが私の役目」
息もつかないような攻防が繰り広げられていた。その中で、何とかヒイロが口にできた疑問に、黒司祭が冷たく返す。
「いいえ、いいえ! だって、大神官様は殺すつもりはない。……今だって、凄く手加減してくれている。それなのに、どうして!」
ヒイロの叫びに黒司祭が距離をとった。少しだけゆっくりとした動きで、ヒイロと倒れたままのフリーダを見る。
その表情の厳しさに、ヒイロは目を見張った。
「勇者は魔王を目覚めさせる"贄"だ。不足があっては困るゆえに」
「魔王を目覚めざせる……? そんな、そんな事はさせません!」
ヒイロが手にした聖剣に魔力を込めると、聖剣は応じて刀身を淡く輝かせる。
それは、魔族に対する破邪の光だった。
この世界で魔王を倒しうる、ただ一つの可能性の輝きだった。
輝く聖剣を上段に構え、ヒイロが地を蹴る。
一瞬にして間合いを詰めたヒイロは、黒司祭が展開した光の防御壁に聖剣を降り下ろした。
パリンと高い音がして、光が砕かれる。きらきらと破片を散らしながら、魔術の壁はほどけて消えていった。
ヒイロの正面で、杖を構えた黒司祭が驚愕の声をあげていた。
「いやさか、このような……」
「この世界は、僕が守ります! 絶対に、魔王なんか、目覚めさせません!」
黒司祭が一歩距離を取り、杖に魔力を込めるのを見て、ヒイロは聖盾を構えた。
聖盾から発せられた光が、ヒイロと黒司祭の間に膜となる。輝く膜は、あらゆる魔術を跳ね返す、凶暴な守護の力だった。
完成した魔術を放とうと、黒司祭が杖を振るう。
その杖から放たれた光の魔術は、真っ直ぐにヒイロに向かい──ヒイロを守る光の膜に阻まれた。
強い魔力を受けて、膜がたわむ。
しっかりと受けきったそれを間に挟んで、黒司祭とヒイロの視線が交わった。
「この世界は人のものです! 絶対に、絶対に、守って見せます!」
「モノを知らぬとは、これほど羨ましい事だとはな。よいか。この世界は──」
黒司祭の言葉を、目も眩むほどの閃光が消し飛ばした。
その光は、聖盾によって跳ね返された黒司祭の魔術だった。
返された己の魔術によって、黒司祭は──
「……大神官、様?」
残像を残して光が消えた後、ヒイロは困惑していた。
目の前、先程まで黒司祭がいた場所には、何もいなくなっていたのだ。
吹き飛ばされた様子もなく、飛び回っていたカラドリウスすらいなくなっている。
まるで、全てが夢か幻であったかのように、何もなくなっているのだ。
けれど、それが夢ではなかった証拠があった。
ほんの一片の服の切れ端が、ヒイロの前に落ちてきたのだ。
ひらひらと風に吹かれて落ちてきた布切れは、そのまま地面に落ちていった。
良く見ると、その布の端は無理矢理千切りとったように裂けていて、端々には血がついていた。
「まさか、そんな……」
「ヒ……イロ?」
横たわったままのフリーダからか細い声が聞こえて、ヒイロは体を震わせた。
次いで、ナルが頭を押さえながら起き上がってきた。
「いってェなァ。あァ、ヒイロ。──ひでェ顔色だな。何がありやがった?」
「ナルさん、フリーダ……。大神官様が……」
ヒイロは目の前の布を 拾い上げて、二人を振り返った。
「大神官様を殺してしまったかも、しれない……」
○ ○ ○
「勇者は、無事に黒司祭に勝ったみたいだね」
「おう。良かった良かった。ちゃんと黒司祭さんは逃げてくれた?」
『とーちゃん。良かったねぇ。上手くいったねぇ』
『とーちゃんのシナリオはカンペキじゃん』
内緒話はセキュリティ抜群の王都の家で。
長毛の絨毯に寝そべり、仔犬を抱えたセシルとメディエが闇神殿での戦闘について話し合っていた。
この結果を中継してくれたのは、神々である。
彼らは神託を使って、戦闘中も逐一解説してくれていたのだ。
おかげで、何が行われたのか、手に取るように分かっていた。
「この世界は人のもの。絶対に、守って見せる──って、勇者の台詞。皆、すっごい爆笑してた。一部、可愛い~って、盛り上がってる神様もいたけど」
「いやーん。モエ~、ってヤツ? 結局"モエ"が何なのか、良くわかってないんだけどさ」
「モエ、とは。好ましい者、魅力的な者に対する好意的な表現。特に、可愛い系に対して使われることが多い」
「いやいや。そうじゃなくて」
メディエは抱き抱えている仔犬の頭を撫でた。
「こいつらは可愛いじゃん。モエじゃん。でも、人間相手にモエって? よくわかんねー」
「メディエ……相手は神様だよ。神様にとっての人間は、私達にとっての仔犬だと。それだけじゃないか」
「おぅ! 目からウロコ!」
『とーちゃんにとって、おれらはモエねぇ?』
『おれらはモエじゃん!』
二人の腕の中で、仔犬達が吠える。
モエ、モエ~と吠える言葉は、メディエの顔を綻ばせた。
セシルには、話している内容はわからないものの、何かをアピールしている事はわかった。
「おう! モエモエ~」
「何バカ言ってるの」
『モエよ~。モエなのよ~』
ごろごろと、メディエと仔犬が一緒になって床を転がる。
きゃっきゃ、きゃっきゃと喜ぶ仔犬を微笑ましく見ているセシルの意識に、何かが触れた。
と、同時に仔犬達も動きを止める。
ピンと立った耳が、周囲の音を拾おうと動いていた。
『とーちゃんに神様から伝言ありねぇ』
『急いで来てって、伝言ありじゃん』
仔犬達は幻獣である。
神々からメディエに向けられた言葉を聞き取り、伝言という形でメディエに伝えてきた。
それとほぼ同時に、神託を使ったセシルもメディエに同じ内容を伝えた。
「なんだか、超急いで神界に来て欲しいんだって」
『いそいでー』
『チョーいそいでー』
「あー。うん、わかった。ちょっと行ってくるわ」
メディエは腕の中の仔犬を優しくおろして頭を 一撫ですると、神界に行くために座り込んだ。




