一話 闇神殿の決戦
「来たか──勇者よ。聖剣と聖盾を携え、魔王を排除に訪れたのだな」
闇神殿の前、黒司祭が勇者を待ち構えていた。その肩には、幻獣を乗せている。
黒司祭は、その手に輝く杖を掲げていた。それだけでなく、しっかりした神官服をかさねてすらいた。
まるで争い事でもあるかのような様子に、ヒイロとフリーダは驚きの声をあげた。
「だ、大神官様? そのご様子は……その、いったいどうなさったのですか?」
「なにか、問題でも起こりましたか。それなら、解決のお手伝いをします」
ヒイロとフリーダにとって、黒司祭は敵ではなかった。
かつての大神官であり、フリーダを気にかけてくれていた。加えて、迷いの森ではヒイロ達に助言までしたのだ。
ものものしい出で立ちは、何か問題があっての事だろうと、二人は黒司祭に親しく声をかける。
しかし、ヒイロ達への返事は──向けられた魔術であり、カラドリウスの威嚇だった。
「魔王に仇為さんとする者よ。魔王を滅ぼさんとする異世界の武具よ──」
「おい。気を付けろ。魔力が集まってンぜ。何か仕掛けてくるかもしれねェ」
「何をおっしゃいますの。大神官様がそんな事……」
「いえ。確かに、何か──」
「消え失せろ」
大神官の言葉とともに、視界が光でみたされる。
強い光。
目が眩み、方向すら分からなくなりそうな中、フリーダの悲鳴が響いた。
ナルは目の前の茶番劇を無言で見ていた。
ここで行われているのは、"ラスボス前のボス戦"である、と仕掛人は言っていた。
ボス役の大神官にも、同じ内容が伝わっているはずであるのだが。
それにしては、ボスの台詞は棒読みだった。もうちょっとがんばれと、ナルは遠目から応援をしたつもりだった。
まさかその応援が聞こえたわけではないだろうが、カラドリウスがナルを睨んできた気がしたが──ナルは気のせいだと片付けた。
ともあれ。ここで黒司祭が邪悪な本性を出して、勇者に襲いかかる。それを知力を尽くして勇者一行が退けた後、魔王との最終戦の予定であった。
魔王戦への布石であり、気持ちを盛り上げる一戦なのだ。
ここまでの道行きが楽なものだったぶん、苦労してこそ盛り上がるというものだった。
この道中が楽だった理由は、いくつかある。
一つには、遭遇した魔獣が弱かったことがあるだろう。まがりなりにも、ヒイロは迷宮のボスを突破できる実力の持ち主である。
はぐれ魔獣を相手にするには、十分すぎる戦力だった。
そして、もう一つ。
今回の旅立ちでは、一目散に闇神殿を目指していた。途中の町や村に立ち寄らず、王都から真っ直ぐ闇神殿に来たのだ。
反対に最初の旅では、多くの町に寄ることも目的の一つだった。より多くの人々に勇者の姿を見せて、安心してもらおうという目的があったのだ。
多くの騎士が同行していたのは、そんな理由もある。
けれど、今回のメンバーはたった三人。
勇者ヒイロと、聖女フリーダ、そしてナル。
道案内兼護衛のナルは、各地の細々とした事件を解決する事に意味を見いだせなかった。
そのため、闇神殿へ直行という事になったのだ。
さて、とナルは考えた。
今後どうするべきだろうか。
どうせ、黒司祭も本気ではない。じゃれてくるヒイロを適度にいなして、適当な場面で退場する予定だった。
黒司祭は"敵役"だ。いや、それをいうならばヒイロもフリーダもナルでさえ、"勇者一行"という役目を与えられた役者にすぎないのだ。
この勇者の物語を無難に──いや、めでたしめでたしで終わらせるために。
ナルが周囲を確認すると、そう遠くないところでフリーダ倒れていた。おそらく、フリーダは黒司祭の魔術で倒されたのだろう。黒司祭の魔術は、致命傷ではなくかすり傷ばかりを与えていた。
かすかな声をあげるフリーダの側に、ナルは体を横たえらせた。それは、ナル自信も魔術を受けて動けない、というアピールのためだ。
ヒイロとフリーダが気がつくかどうかは、彼ら次第であった。
フリーダは全身に走る痛みに、呻き声をあげた。
大神官の魔術を受け、吹き飛ばされたのだった。地を転がり、身体中にできた擦り傷が痛みを訴えていた。
それだけではない。何かしらの魔術によって、体の自由が奪われている。
どうして──と、フリーダは動かない体で考えた。
(大神官様、どうしてですの。わたくし達は大神官様の助言のおかげで、瘴気を防ぐ防具を手にいれることができたのです。大神官様はお味方なのでしょう?)
この闇神殿までの道の困難を、フリーダは思った。
闇神殿から漏れる魔王の瘴気は、この辺り一体を狂気に汚染しつくしていたのだ。
空気が違う。空は薄闇に閉ざされ、呼吸する毎に胸が焼けるようだった。そこを飛ぶ昆虫の羽根は、醜くねじれていた。
土が違う。草花は腐り落ち、ヘドロのような残骸だけが残っていた。その残骸にまとわりつくように、ハエらしき生き物が壊れた羽音を経てていた。
水が違う。赤茶色に濁った熱湯には、正常な生き物が棲めるはずもない。ただ、底の見えない流れからは、狂った形をしたナニかが顔を覗かせていた。
思い出しても寒気のする道だったと、フリーダは身を震わせる。
もしも大神官の助言がなければ、フリーダ達も瘴気に侵されただろう。
狂い死に屍をさらすか、狂ったまま生き続けるか。
どちらを選んでも未来はない。
フリーダは、最悪の選択から救ってくれた大神官に感謝しているのだ。
だからこそ理解できなかった。
どうして大神官が攻撃してきたのか。
どうしてヒイロと大神官が戦っているのか。
どうして──とフリーダは思った。
(どうして、お二人が戦う必要がありますの? ヒイロは世界を救おうとしているのに。大神官様だって、そんなヒイロを助けて下さったのに……)
フリーダは、大神官がヒイロを──自分を助けて当然だと、考えていた事に気がついた。
そして、ようやく理解したのだ。
(大神官様は──"魔人"だから? 魔王に仕える魔物だから、わたくし達の敵──世界の敵なのですか?)
フリーダはようやく、大神官が 魔人なのだと受け入れることができたのだった。
そして、敵となった大神官に強い怒りを覚えたのだった。




