二十話 再出発
鞘の上からでも感じられる強い波動に、ヒイロは息を飲んだ。
前に相対した時と変わらない、強い聖なる力。それに圧倒されそうになるのを、一歩退きそうになるのを何とかこらえる。
「さあ、勇者殿──」
促されるままに柄に右手をおく。左手で鞘を持つと、ヒイロは両手に力を入れた。
するり、と何の抵抗もなく柄が動く。
現れた白銀の刃に、歓声が上がった──。
○ ○ ○
王宮にある執務室で、三人が乾杯をしていた。勇者の迷宮攻略と、聖剣が抜けた事に対する祝いである。
たまった仕事があるディーノは、一息にワインを煽る。その様子を横目に、ポチはじっくり味わうようにワインを減らしていた。
「ようやく、旅のやり直しのようだな。"迷宮"の攻略が思ったよりも早くすんだのは、さすが勇者という事か」
「はぁ……。勇者は迷宮を攻略したんですけどね。迷宮は残ったママみたいなんスよ。皆、不思議がってましたっけ」
「フム……考えても分からん事は、考えるだけ無駄だぞ。あれは人知を超えた存在。神の御心を問うたところで、常人たる我らに返る言葉はない」
二杯目を催促するディーノのグラスに、ポチがたっぷりとワインを注いだ。ディーノはそれを待つ間に、たっぷりと準備されたツマミに手を伸ばす。
ついでのように、ワイングラスを持ったまま、硬直している三人目に声をかけた。
「実の所はどうなっているのだ。迷宮が残っている理由を、貴殿は把握しておるのだろう? 迷宮探索組合ならば──」
「はぁ……」
三人目──無理矢理連れてこられたクレイブは、ワイングラスを見つめて緊張していた。
何をつるしあげられるのかとびくびくしていたクレイブだが、ようやく話を進めてくれると顔を上げた。
「私も、ニンフから聞いただけなので、正確な事はわからないのですが……」
「あぁ。勿論だ」
クレイブは、ディーノの同意を得て話し始めた。
「今回の迷宮は、試験運用だそうなんです。今後の魔王対策の。それというのも、異世界から勇者を呼ぶのが、だんだんと大変になってきているとか。
だから、迷宮に聖剣と聖盾を置いて、この世界の"勇者"が魔王を退治出来るようにしよう、という事らしいです」
「では、この度勇者召還が難儀していたのは……」
「ええ。神々の世界も、何かと大変だそうです」
「神様の世界もせちがらいっスねぇ」
残念そうに言ったポチが、ツマミの蒸しロブヌターをつまみ上げる。綺麗に皮を剥かれたロブヌターが、太った身をふるわせていた。ほかほかと湯気が出ているのが、また食欲がそそられた。
それを口に放り込んだポチは、満足の声をあげた。
「くーッ。旨ぇ! でも、ロブヌターももうおしまいッスね」
「そうだな。クレイブ殿もどうだ? ウチの料理人が持ってきたツマミだ。なかなかだぞ」
「ええ。いただきます」
高級な皿に山と盛られたロブヌターに、三人が手を伸ばす。
ここ数日でロブヌターを捕ったのは、セシル達だけのはずである。ではこのロブヌターは子供達が捕った物だとクレイブは予想し、じっくり味わおうと心に決めた。
「今期はイロイロあったからな。ロブヌターを味わう余裕などないかと思っていたのだが──」
「ですよねぇ。よく首が繋がってますよ、ホント」
「あ、あはははは……」
やらかし具合では、クレイブも似たような物である。
クレイブも、ディーノ達と同じように魔人に操られた。結果、魔獣を増やしたディーノと、ハーヴィや子供達を襲わせたクレイブと。
ディーノの方が公共の罪は重いだろうが、クレイブはピンポイントでイカン事をしてしまった。
クレイブに使われる立場だった雑魚達は、奉仕活動中で。クレイブ自身は、沈黙の罰を受けているところだった。
ちらり、とクレイブは二人の様子を伺う。
二人も何か罰を受けているのだろうか。
「マァ、それなりに?」
クレイブが疑問を口にする前に、ポチが言う。
「とはいえ、前団長の一件があるから、そんな無茶は言われなかったんスけど」
「ノアに借りが増えていくな。いつ何を言われるやら……」
「あぁ──デスヨネ」
ポチが深い、深いため息をついていた。
さすがに同じ真似はしないが、それを止めないディーノは同じ気持ちなのだろう。
つまり、ヤバい相手に借りを作りまくっている、ということだ。
肩を落とす二人を前に、クレイブは自分の幸運を感謝した。罰を受けるのが、こんなに喜ばしい事だったのは初めてだった。
だが、はた目からはクレイブも"同じ穴のムジナ"である事に気がついていなかった。
「ところで、その話をするために、わざわざ呼び出したんですか?」
「それこそまさか、だな。本命はこれからだ」
「新しいロブヌター取りの名人──"イーターキラー"でしたっけ? 聞きたいのは、その子達のことなんスけど」
「はて。子供達が何か?」
心の中で焦りながら、表面上はのんびりと、クレイブは返事を返した。
○ ○ ○
「お願いです。ナルさん。一緒に来て下さい」
「お願い致します」
ナルを相手に、ヒイロとフリーダが頭を下げた。
場所が場所であったなら、大問題となったであろう行動だが、客がほとんどいない酒場の中での事。特に注目される事もなく──にやにやと笑って見ている雑魚達がいるだけだった。
(ちくしょう、こいつらうぜェ)
雑魚達の視線を痛いほど感じながら、ナルが悪態をついた。
自然、顔がこわばるのを、ヒイロとフリーダは別の事に受け止めた。つまり、自分達が睨まれているのだと感じたのだ。
「確かに、ナルさんには──あまり、その。良い旅ではないと思います。でも、二人で出るのは……心もとなくて」
「わたくし達だけでは、魔王の所に辿り着けるかも不安なのです。ナルさんには、申し訳ないのですが、わたくし達には他に頼れる方がおりませんの」
先ほどよりも一層頭を下げて、ヒイロが言う。続くフリーダはしっかり九十度に体を倒している。
このままでいるのは非常に気まずい、とナルは二人に声をかけた。
「あーあーあー。分かった。分かったから、顔を上げろや」
「では──」
「ご一緒に?」
もともと、行くも行かないもどちらでも良いナルである。期待を込めた目で二人が見つめてくるのに、簡単に白旗を上げた。
「分かったっての。一緒に行ってやらァ」
「本当ですか!」
「ありがとうございます」
ヒイロとフリーダが手を取り合って喜ぶ。
そんな二人とナルの前に、たっぷりとジュースが注がれたジョッキが置かれる。二人が顔を向けると、笑みを浮かべた女性と目があった。
「良かったわね。さ、お祝いしましょ」
「かんぱ──」
「まだ、はえぇよ」
雑魚のフライングを、ナルが止める。止めるついでに投げられたナイフを、雑魚Cが銀のジョッキで弾いた。
音を立てて床に落ちたナイフを、ヒイロは茫然と見た。ヒイロにつられて、フリーダが同じ場所を見る。何も分からなかったフリーダは、首を傾げた。
「え。今、何が……?」
「ヒイロ? どうかなさいまして?」
「気にする必要はねェよ──さて、女将の好意だ、ジョッキを」
ナルに言われて、ヒイロとフリーダはジョッキを手に持つ。
ヒイロはまだ腑に落ちない顔だったが、それでも好意を無駄にするほど空気が読めないわけではなかった。
もともと気が付かなかったフリーダは、笑顔でジョッキをかかえている。
「それでは──」
「ナルちゃんとォ」
「勇者様、聖女様の前途を祝して」
「かんぱーい!」
乾杯とともに、ジョッキが高く掲げられた。




