十九話 もふもふ仔犬と雑魚D登場
仔犬を膝に乗せ、首筋をわしゃわしゃしながら、メディエが満足の声を出していた。その横ではセシルがブラシを手に順番を待っている。
ここ数日、迷宮横で繰り広げられている光景だった。
その二人の周囲を、何人もの女性が取り囲んでいるのもいつもの事。それらは全て、仔犬を欲しがって断られた人達だった。
彼らは、迷宮にも入れない子供が手にした幸運を、譲ってもらおうと必死になっていた。
周囲にいるのが女性ばかりなのは、メディエのせいである。
一度、成人男性に囲まれたメディエがパニックをおこし、プラトンの腹に潜り込んで出てこなかった事がある。もちろん、仔犬とセシルも一緒である。
そのまま一日こもり続けたため、男達は話す事すら出来なかったのだ。
それ以来、メディエ達のもとを訪れるのは、女性だけになった。
キュートな仔犬達が欲しいのは分かる。でも、彼らは毛皮しか見ていない。と言い切ったのはメディエだった。
大人達の、金貨が写り込んだようなギラギラ輝く瞳には、仔犬に対する愛情など欠片も感じられなかった。
事実、仔犬達も怯えて大人達の前には出ていかない。
それでも可愛い仔犬の話は広がり──なんといっても、迷宮の守護犬の仔である──仔犬を求める声も、日増しに大きくなっていた。
「常識を考えなさい!」
今日も今日とて、かん高い声が二人を叱責した。
「あなた達が、その子を連れていて良い訳がないでしょう。その子は私の所に来るべき子なのよ」
「いいえ、ウチの子ですわ。あなた達が拐っていったのでしょう。コッチには、目撃者だっているんですからね!」
「そうよ。大人しくしてる間に、謝ったらどう? 今なら、その子を返すだけで許してあげるわ」
「ン、まぁ。横からずうずうしいこと」
ずうずうしいのは誰だよ、とメディエは言い返そうになって、止めた。
せっかく相手を、空気として無視していたのだ。ここで反応を返せば、それまでの忍耐もパァになってしまう。けれど──
「その毛色は、私のバックにぴったりなのよ!」
「まぁ。殺すなんてとんでもない。この子は新種なんですよ! 増やせばいくらでも買い手がつきますわ」
その言葉に、メディエから怒気が溢れる。同時にプラトンが発せられる殺気に、 冒険者達が武器に手を当てる。
女性達の護衛達は、メディエの怒りを正面から受けて顔を白くしていた。暴言を吐いた本人達も、顔を青くさせて口ごもっている。
「わ、私はそんな事しません。ただ、それほど美しい犬ですもの。王家に献上するべきだと思いませんか?」
「そうですわ。あなたには不相応でしょう。身の程をわきまえて──」
「ねえ、お姉さん達。この仔犬は"幻獣"だって、分かって言ってるの?」
「主のいる幻獣を横取りとか? ジョーシキ無いね」
子供達の言葉に女性達が目を丸くする。
げん……じゅう? と誰かの呟きが響いた。
「幻獣の仔だよ。幻獣に決まってるじゃん」
「ねー?」
「そ──そんな、ばかな。迷宮にいるのは魔獣だと──」
数人が慌てて魔術をかける。
仔犬の方はわからないものの、親は確かに"幻獣"になっていた。しかも聞いたことのない新しい種族だ。
「確かに、幻獣……だ……」
「なんということなの」
「神よ、お許しください。知らなかったのです」
絶望の声がこぼされる。
また、数人の女性は地に伏せた。先ほどバックやマフラー、はてはコートにしようとしていた人達だった。
幻獣は神の遣い。神の眷族である。それを害そうとしてしまった──その事にショックを受けているのだ。
「この仔が幻獣だって事は、ギルドには報告してるし、壁にも貼り出してます。知らなかったんですか?」
冷静なセシルの声が、追い討ちをかけた。
「なんだァ? ヘンな空気してンなぁ」
「おや。お帰りなさい。雑魚Dさん」
「……その雑魚っての、慣れねェな。何で名前じゃダメなんかねェ」
「まぁ、シャレみたいなものです。他の皆さんが気に入ってるみたいなんですよ」
どこかそわそわとした雰囲気が残る中、迷宮の正面から出てきた黒豹人がセシル達に声をかけた。
迷宮──それも最上階に入っていたはずなのに、余裕綽々の雑魚Dだった。いつもならば、彼は負けて出てくるのだが、今日はそうならなかったようである。
かといって、雑魚ズが負けた様子もない。
どういう事かというと──
「ヒイロ──じゃねェ、勇者サマなァ。勝ったぞ」
「そうですか。良いタイミングですね」
「お~お~~。これで、仔犬達の運動も一段落。今後はどこで散歩させるかね~」
そう。最上階のボス部屋で、勇者の相手をしていたのは仔犬達だったのだ。あまり強くない勇者は、仔犬達の暇潰しにちょうど良い相手だった。
毎日交代で勇者と遊び回る、というのが仔犬の運動だった。
もっとも、残念ながら終わってしまったようだが。
「雑魚Dさんは、今後どうするんですか? 勇者と同行するんですか?」
「正直、裏ァ知っちまったらな。つまんねェ出来レースに参加するのも、気が引けらァ」
セシルの疑問に、Dは頭を掻く。どっしり構える豹ミミに、メディエの目も釘付けだった。気がそれた事に気が付いた仔犬が、メディエの腕の中で抗議の声を上げる。
とはいえ──と、続けるDの声には苦い物が含まれていた。
「問題はアノ二人が、二人だけで旅が出来るのか──ってェ事だな。魔王の神殿だって、近かァねぇ。そこんとこが気になンだよなァ」
「保護者ですね」
「だねだね~。さすがに、勝手に直通路は作れないから、旅してもらうしかないよ。怒られちゃうモン」
「だよなァ。だが、乗りかかった船に違いねェし。出来レースッつっても、オウル達──じゃねぇ、雑魚達に無理やり"裏"を吐かせたのもオレ様だしなァ」
かってにいなくなるのはどうかと、雑魚Dは悩んでいるのだ。
「その件ですが。あの人達から情報を聞き出した、って。どうやったんですか?」
「そうそう。雑魚ッチ、強いよ? 力ずくじゃ無理でしょ~?」
「あァ? そりゃァ……イヤ、秘密にしとこうかねェ。対処されちゃァ、今後の情報源が無くなっちまう」
その時、わっと迷宮出入り口から歓声があがった。勇者が出てきやがった、とDは言って笑った。
「正直、仔犬、じゃない。ここのボスが倒せるなら、旅の途中の"敵"はいないと思いますよ。聖女のスキルを使えば、夜中の不意打ちにも気が付くと思います」
「そうそう~。ボスは強いし~。まぁ、それを瞬殺できる人に何言っても無駄とは思うけど」
「どうするかは勇者に任せるかねェ。ここで雑魚達と遊ぶのも、勇者についてくのも、オレ様にとっちゃァ、ドッチモドッチだ」
「"オレ様にはドッチモドッチだ"ですってェ。嫌みですねェ。大人しく"自分も行く"って言えばいいんですよゥ」
「どうせ気心の知れた者同士。格好付けても、たかがしれていように」
「っつーかな。どうやって聞きだしたか、ってのが気になるんだが? いつの事だ? まったく記憶にないぞ?」
「うっせーよ。てめェら、どこから出てきやがった」
雑魚が揃ってDを取り囲んだ。もちろん、メディエには近寄らないようにとお願い済みである。
特に雑魚Bについては、セシルも近寄らないようにと、しっかりじっくりお願いしている。十歳の体にショタコンは大敵であるのだ。
「当然、|関係者以外立ち入り禁止の出入り口からだな」
「おい……そんなモンまであるのかよ……」
雑魚Bの言葉に、Dからは呆れ声が出る。
「しかし、今日は遅いと待っていたのだが。そうか、勇者がクリアしたのだな」
「ありゃーですねェ。今日は私の順番だったんで、楽しみにしてたんですよゥ。もう、タイミング悪いでスゥ」
「あ? ああ、勇者の話か。いや、だが、気になるのは情報を聞き出した手口をだな──」
「うっせぇ、てめェら──」
うるさい雑魚達の声を聞きながら、メディエとセシルは今後の予定へと意識を飛ばした。
後は勇者が"魔王"を倒す──それだけだ。
雑魚達が雑魚呼びを気に入っている理由は、今までそんな風に呼ばれた事が無かったからです。ハーヴィと子供達に敬意を表して。
勿論、他人が真似すれば惨劇が待っていますが。




