十八話 迷宮攻略と勇者の盾
「左外、避けろ」
ヒイロはナルの指示に従って、体を動かす。巨大な犬の爪が、今まで立っていた場所を凪ぎ払うのを見る間もなく、次の指示が飛ぶ。
着地したばかりの床を蹴り、大きく左に旋回すると、エネミーの首に力一杯剣を叩き込んだ。
大きく首に食い込む刃に、エネミーが怒りの声を上げる。心を砕く破壊の咆哮だが対処をしてしまえば煩いだけだった。
「Giyannnn」
「よし、ヒイロ。もう一回、同じ場所を狙え」
「はい!」
剣を引いたエネミーは、かなりの深手を負っているようだ。流れ落ちる血と、怒りに燃える瞳がそれを物語っていた。
三つの顔が、牙を向いてヒイロに迫る。
「もう一度、同じように──」
自分に言い聞かせるように、ヒイロが呟く。エネミーが前肢を振り上げるのを待ち、体を動かす。足の一撃をかわし、エネミーの側面に移動して首に剣を叩き込むのだ。
気のせいか、エネミーの目が怒り以外の感情を映したように、ヒイロには思えた。
「お見事でしたわ、ヒイロ」
ようやくエネミーを倒して、床に座り込んだヒイロに、フリーダは声をかけた。
さきほどの戦闘の間、フリーダは入口近くに避難していたのだ。彼女では、エネミーの攻撃を避ける事も捌く事もできないのだ。
無事で良かったと言いながら、フリーダはヒイロに近付く。
ナルもまた、ヒイロに近付いてきた。
「技術的にはまだまだ甘ェが、まァ及第点ってとこか。何とかボスを一人で倒せたのは、評価しねぇとなァ」
「まぁ。及第点だなんて──」
「やめて、フリーダ。すみませんでした。ナルさんの指導あっての事ですから」
「いいってことよ。まァ、なんだな──ダンナの評価が気になるのは、仕方ねェよ」
「まぁ。イヤですわ。だんな様……なんて……」
フリーダが恥じらいの声をあげるが、その声はずいぶんと弾んでいた。今の今まで疲れた顔をしていたヒイロも、顔を赤らめている。
ヒイロとフリーダは視線を合わせて、にっこりと笑いあう。
二人が楽しそうで結構な事──と話を振ったナルだけが、地味にダメージを受けていた。
「元気になったンなら、あれ──行くか」
ナルが指すのは、ボスを倒した時に現れた扉である。
レンガ造りの壁に取り付けられた白い扉は、開けろと言わんばかりに輝いていた。
「行くしか、ないのでしょうね」
「罠かもしれませんが……」
「いえ、罠は無いようですわ。何も感じられませんもの」
あまりにもきらきらしい扉に、ヒイロは罠を疑った。だが、探索の加護を得たフリーダが、それを否定する。
ヒイロはフリーダの手を借り立ち上がると、扉の前に立つ。ぽつんと飛び出した取っ手を握り締めると、さほど力を込める事なく扉は開いた。
開いた隙間から、まばゆい光が溢れてくる。
視界が純白におおわれた後に、扉の向こうに見えたのは白い小部屋だった。純白の大理石が敷き詰められた部屋の中央には、掲げられるようにして一つの盾が飾られている。
ヒイロとフリーダは目を見張った。そこにあるのは、あまりにも聖剣に似た盾だったのだ。その形も力も。まさしく聖剣と一対の防具だった。
二人を置いてカンテイを行ったナルが、結果を口にする。
「勇者の盾……か」
周囲を警戒するフリーダの案内で、三人は小部屋に足を踏み入れる。
カツン、と小気味の良い音が部屋に響いてゆく。
あまりにも美しく磨かれた床に、ヒイロとフリーダが足を滑らせる瞬間があったものの──特に何もなく盾の前にたどり着く。
足は滑らせたものの、罠は無かったと、フリーダは主張した。
恥ずかしさに顔を赤くするフリーダと、滑った事を気にもしていないヒイロが盾の前に立つ。
盾から発せられる聖なる力は、二人を拒むことなく受け入れていた。
そっとヒイロが手を伸ばす。
盾はヒイロの手にあってなお、清浄な気を保ち続けていた。その事実に、ほっとしたようにヒイロがフリーダを見て言った。
「今なら、聖剣も抜ける気がします」
「……神のおっしゃった試練とは、迷宮ことだったのでしょうか?」
「かもしれません。あの時の僕では、資格がなかったということなんでしょう」
けれどと、ヒイロは力強く言った。
「今は違います。きっと聖剣も認めてくれます!」
「ええ、ヒイロ。間違いありませんわ」
盛り上る二人を、ナルは離れたところから眺めていた。
○ ○ ○
「では、そのように。上手く対処してくださいませね」
「心得た。それが神の御意志とあらば、否は無い」
闇神殿では、精霊と黒司祭が話をしていた。
内容は、神界で起こった異常と、今後の対応についてだ。
話がまとまったところで、ニンフが小さな指輪を黒司祭へと差し出す。
「これは、協力者からの贈り物ですわ。魔王の瘴気から人一人を守ってくれるそうですの」
「ほう──これは……」
ニンフから魔術具を受け取り、確認するように左右に動かす。金色の金属でできたシンプルな指輪には、美しい緑の石がはめ込まれていた。
二人が向かい合うテーブルの上で、カラドリウスが鳴いて主張した。
『主殿。我に、我に付けておくれ』
「そなたに? しかし、そなたに必要か?」
『それがあれば、この地に長居できよう。主殿も、我の頭を撫でられるのだぞ』
カラドリウスの主張に、ニンフと黒司祭は唇を綻ばせた。
「くすくす。なんと愛らしい」
「そうだな。他に居らぬし……脚を出してみよ」
『なんと、つれない事を言う主殿じゃの。……我を撫でられるのは嬉しいじゃろ』
ぷりぷりと文句をいうカラドリウスだったが、素直に脚を出す。鋭い爪を避けながら細身の指輪を通すと、サイズを調整しようと魔術が発動する。ぎゅっと細くなった指輪は、細い脚にぴったりとおさまった。
ただ一つ、大きさの変わらない緑石だけが、存在を主張するように光っていた。
「外す時には、石を壊せば良いそうですわ。それと同じ物を、勇者が身に付けて来るはずですの。効果は──問題無いようですわね」
魔術具を装備するや否や、黒司祭の手に頭をこすりつけ始めたカラドリウスに、ニンフが笑みを浮かべた。
黒司祭も困ったような笑みを浮かべながらも、カラドリウスの首筋を掻いている。
常ならば幻獣ですら蝕む毒である黒司祭に触れても、カラドリウスの体に変化は無かった。それどころか、今までの分を取り戻すかのように、催促を続ける。
『そこを、もっと強くじゃ』
「ふむ。この辺りか」
『そこ! いや、もちっと下も』
楽しそうに戯れる二人を、ニンフは笑みを浮かべて見守っていた。




