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九話 勇者と聖女の秘密事


 夜になって、フリーダはヒイロの部屋に来ていた。フリーダが神殿を抜け出すことに対して、神官たちは困り顔だ。

 それを分かっていながら、それでもフリーダはヒイロと話がしたかった。フリーダにとってヒイロは、唯一の理解者だったから。

 どうしても話がしたいというフリーダの意をくんで、ヒイロが神殿までフリーダを迎えに行ったのだった。

 そして、二人で宿に帰ってきたところだった。その途中には、魔犬が数頭道をふさいでおり、フリーダを迎えに来て良かったと、ヒイロは胸を撫で下ろした。


「王都内に魔獣が出るなんて。恐ろしいですわ」

「本当ですね。ちょっとびっくりしました」


 とはいえ、ドラゴンを相手にしたヒイロにとって、魔犬など敵ではない。軽く切り捨ててしまった。


「魔犬といえば、迷宮にいたのも魔犬でしたわね。アレほど大きな魔獣は初めて見ましたから、驚きましたわ」


 フリーダがいうのは、迷宮で倒れた者が送られてくる広場を守る魔獣の事だった。三つの頭を持つ最高位の魔犬──ケルベロスの事だ。

 あのケルベロスは、敗者を守るために配置された、迷宮の一部だった。

 迷宮で倒れた敗者は、迷宮から出されてすぐには意識がない。気を失った者達を守るのが、ケルベロスの役目なのだ。



 事実、昼間の戦闘で倒れたヒイロとフリーダを守ってくれたのも、ふわふわでもこもこの魔獣だった。

 初めての戦闘で、ヒイロ達はボスに勝てなかったのだ。

 神の言葉の通り、あの場所でヒイロ達が相手にしたのは、蛇のエネミーだった。ただし、天井に陣取った蛇は、攻撃の時にだけ姿を見せた。蛇の攻撃をかわして、反撃をいれる。蛇はどこから現れるか、まったく予想がつかない。


 あっさりとフリーダが倒され、集中力が欠けたヒイロが次に倒されてしまったのだ。

 その後のことは分からないが、ナルは逃げたか一人で倒したのだろうとヒイロ達は思っていた。

 彼は正面の扉から堂々とでてきたのだ。蛇を対処できたに違いなかった。


「ここは静かですわね」


 ヒイロの部屋では、無理矢理聞かされる神の声はない。壁を隔てた遠くで、人々のざわめく声がしているだけだった。

 神の声が聞こえないのは、こんなに落ち着く事だったのか、とフリーダは心からリラックスしていた。かつては聞こえない事に悩んでいたのに、今では聞こえすぎる事に悩んでいる。フリーダの意識は、随分と変化していた。


「このようになって、ようやく。わたくしは理解できたと思いますの。大神官様のお言葉を。前の聖女様のお言葉を……お二人は、特別に育てられすぎたわたくしの事を、気にかけてくださっていたのだと」


 神託と聖女──その有り様はいびつで歪んだ物だった。盲目的に育てられた聖女には、なにが間違いなのか理解できなかった。

 けれど、今。神の言葉(おしゃべり)を聞いてしまった今ならば、聖女という存在のおかしさが理解できた。

 聖女とはなんだろう、とフリーダは言った。


「聖女とはなんでしょうか。今まで、わたくしは、聖女とは運命だと思ってまいりましたわ。神託により、神々の慈悲の心を知ること。御心を広く人々に教え、導くのが聖女なのだと。聖女こそが、神の慈悲の具現者なのだと」

「それは……すごい自信ですね。ああ──でも。だから、神官たちはあなたを見せたくなかったんですね」


 フリーダに言いかえすヒイロの声には、呆れが混ざっていた。

 ヒイロが思い出すのは、旅の間の神官達の様子だった。彼らは聖女を馬車に押し込み、何があっても姿を見させなかった。

 それこそ、セクドの町での演説以外に、聖女を前に出したことはなかったのだ。


「でも、わたくしは、それを信じていたのですわ。年に一度の神々の大祭で人々に祝福を与える事。それだけが、わたくしの役目だと思っていたのです。魔力が少なかったため、魔術の練習もありませんでした。体を鍛えることもありませんでしたの」

「それじゃぁ。毎日、何をしていたんですか?」

「祈っていたのです。毎日、毎日。ただ祈りの部屋にとじ込もって、神に祈りを捧げておりましたの」


 聖女はただ毎日を祈りに費やしていた。神の具現たる者が祈るのだ。願は必ず神に届くと信じていた。

 届かないわけがないと、そう思っていたのだった。

 それが嘘だった。おそらくフリーダの祈りなど、神々に届いてはいなかったのだろう。


「いびつ……だったのでしょうね。わたくしは。今なら、大神官様のお言葉も分かる気がしますの。愚かな娘だと、そうおっしゃったお気持ちが」

「そうですか」

「聖女は少しも特別ではありませんでした。神託(スキル)でさえ、特別ではなかったのです。わたくしは……世界でたった一人の特別な存在では……なかった。ならば、わたくしは何をなせばよいのでしょうか。何ができるのでしょうか? わたくしは神の愛児ではなかったのに……」

「フリーダ様……いえ、フリーダ」


 項垂れるフリーダの前に膝をついて、ヒイロはフリーダの肩に腕をまわした。優しく抱きしめられて、フリーダは顔を赤らめさせる。


「ゆ、勇者さ……いえ、ヒイロさ、ま……あの。あの、どうして」

「以前、僕も聞ましたね。勇者は何をするのか。魔王を倒せなくても、聖剣を抜く事ができなくても、勇者なのだろうか。と」

「あ……」


 それは、ヒイロ達が迷いの森を目指している時の会話だった。まだ、ヒイロが神託(オラクル)を持っているかどうか、半信半疑だった時。聖女が死を選ぼうとしていた時のことだった。


「始まりの神託の言葉です。己の運命をなせ。やるべきことをやれ。──結局、それだけなんだと思います。僕は神が定めた”勇者”で、あなたは人が定めた”聖女”で。同時に、ただの人──ヒイロとフリーダなんです」

「わたくしは……わたくしも、ただの人、なのでしょうか」


 フリーダの震える手が、ヒイロの背にのばされる。

 ヒイロにすがりつけば、今までの自分が全て否定されると分かっていながらも、フリーダはヒイロから離れる事が出来なかった。


「ヒイロ様、ヒイロ様……ヒイロ……」

神託(オラクル)が、あんな井戸端会議みたいだったなんて、思いもよりませんでしたけど。でも、諦めが付いた気がします。神にすがってはいけないのだと。ただ神に祈るだけじゃいけない。僕達は、僕達の手で生きて行かないといけないんだって」

「そうですわね。神のお言葉には笑ってしまいましたわね。ヒイロ──」

「フリーダ」


 ヒイロがフリーダを抱きしめる手に力を込める。フリーダもヒイロの背に回した腕で、ヒイロに答えた。


「ヒイロ。わたくしのお願いを聞いてくださいますか?」


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