六話 神の試練と新たなる食材
迷宮に入ってからずっと、ヒイロとフリーダは頭痛に悩まされていた。
といっても普通の頭痛ではない。延々と神々の会話が頭の中に響いて来ている、という悩みだった。
しかも、そのほとんどは雑談である。
誰がどうしただの、パズルを一番に解いただの、ヒツジが何をしていただの。
"神託"がこんな物だったなんて、とフリーダはショックを隠しきれなかった。
しかし、時には有益な内容もある。
たとえば、ヒイロが戦神の守護を、フリーダが探索の神の守護を得たことだ。
ぽんと、気まぐれのように与えられた守護だった。
聞いてしまった時は、つい取り乱してしまったが、落ち着いて考えれば悪い話ではなかった。迷宮を上がる以上、探索の守護は喉から手が出るほど欲しいものの一つだったのだ。
現に今も、三人はフリーダが見つけた隠し階段を上がっていた。行き止まりにしっかり隠されていた階段だった。ナルにすら見つけることはできず、フリーダが神託と探索スキルを使用して、ようやく見つけることができた階段だった。
エネミーの出ない階段をゆっくりと上ってゆく。先頭を行くヒイロは休憩なく先をいそぎ、体力のないフリーダは途中途中で休憩を挟みながら、ひたすら上ってゆく。
ようやく階段が終わり、小さな扉にたどり着いた。そっとヒイロが扉を開け、その先を探ると、そこは小さな部屋になっていた。部屋には扉がついており、それを 開けると、目の前には豪華な大門があった。周囲に人影がないことを確認して、フリーダとナルを呼ぶ。
長く続く隠し階段からようやく出ることができたフリーダは、その場に座り込んだ。体力の限界だったのだ。
「ここは何階くらいかねェ」
ピンピンしているナルが、小部屋を見てまわる。といっても、この部屋には何もなかった。
家具一つ、置物一つない、あるのは扉だけ。そんな奇妙な小部屋だった。
「ずいぶんと階段を上がった気がしますわ。一、二階のような探索も大変でしたが、ずっと階段を上り続けるのも大変なのですね」
フリーダはまだ息が荒い。
エネミーの気配もないこの部屋は、休憩にはぴったりだった。
「誰もいないようです。あの豪華な門に秘密がありそうですけど。どうしますか? 行ってみますか?」
「そうだなァ。フリーダの息がととのったら、かねェ」
「申し訳ございません。もう少し時間をくださいませ」
フリーダはため息をつく。彼女の手足は重く、息を吸うたびに脇腹がジクジクと痛んでいた。
思い通りにならない体に、情けなさに打ちのめされていた。
「そういやァ。ちび共に何貰ったんだ? さすがに遠目じゃぁな。魔術具って事しかわからなかったンだが」
「あぁ。そういえば、何だったかしら……」
「僕がもらったのは、体力アップのお守りでした」
「わたくしのは──ええと。ヒイロ様、お願いできますか?」
フリーダがはめていた腕輪をはずそうとして、思い通りに動かない体に断念する。腕輪をした左手をヒイロに差し出そうとして、支えきれずに床に落とした。
「うわ、大丈夫ですか、フリーダ様。もっと休憩をとった方が良かったでしょうか。すみません。気がつかなくて」
三人の先頭にたって、脇目もふらずに上って行ったのがヒイロだった。その後ろでフリーダがふらふらしているのにも、まったく気が付いていなかった。
ハイペースでひたすら登り続けたのだった。
「い、いいえ。わたくしが体力がないのがいけないのですわ。あの、それで。わたくしが頂いたお守りは、どのような」
「ちょっと、失礼しますね」
ヒイロがフリーダの手を掬い上げる。装備された腕輪に魔術をかけると、ヒイロは思案顔になる。
少し考えて、言った。
「腕輪を交換しませんか?」
「え? あの、それは、どうして?」
せっかくの頂き物なのに、とフリーダは首をひねる。
確かに、ヒイロのもつ体力アップ効果は良さそうではあるのだ。
「フリーダ様の腕輪の効果は、防御力アップでした」
「あら。それはありがたいことで──」
「かわりに、防具の重さが五割増します」
「え?」
「あァ? なンだ、そりァ」
フリーダとナルから、気の抜けた声がした。
「ンじゃあ、もしかしてだが。ヒイロよゥ、お前の魔術具にもマイナスがあるな?」
「はい。素早さが低下するみたいです。なので装備していなかったんですけど」
「素早さ……」
「素早さですか」
フリーダは自分の役目について考えた。
とりあえず、今の腕輪を装備し続けるのはダメだ。ただでさえ二人についていけないのだから、要らぬ枷を負うことはない。
ヒイロの腕輪を貰えれば、体力を補うことができるだろう。その場合は素早さが落ちる事になるが、素早さは必要だろうか。
どうせ戦闘には参加できない身である。不足を補う方が大切──かもしれない、多分。
「わかりました。交換いたしましょう。どれくらい効果があるのかわかりませんが、このように動けなくなる方が問題だと思いますから」
「……程度にもよるが。まァ、試してみなぁ、分からねぇよな」
ヒイロはフリーダの腕から魔術具を取り外すと、ヒイロが貰った腕輪をつけた。
お礼を言って、フリーダは腕輪に目を向ける。
まだ、何も変わった感じはしない。体は重たいままだった。
「ゆっくり休憩しましょう。すぐそこの扉は、説明されたボスエネミーの扉じゃないかと思うんです。何がいるか分からない──」
『でっかい蛇だよ~ん』
「……何がいるか分かりませんから、気をしっかりもって、頑張りましょう」
「何で言い直したンだ?」
「気をしっかりもって──えぇ。わかっておりますわ」
ヒイロの言葉にフリーダは頷いた。
フリーダとヒイロは理解していた。理解せざるを得なかった。
どんなに目をそらそうと、真実は一つ。つまり、この超軽い会話こそが神託なのだ。
それを受け入れた時、二人は心に誓ったのだ。
意思をしっかり持つ事。
雑事にとらわれることなく目的を果たす事。
「神の試練に──打ち勝って見せますわ」
フリーダは天井を見上げて宣言する。
つられてナルが天井を見上げるが、ナルには何も見えず、聞こえてもいなかった。
『よかろう! 無視できるならしてみるがいい!』
『我慢できずにつっこんだら、ボク達の勝ちだね。ま~かせて~』
『さえわたるボケの風を見せつけてくれる』
「も、申し訳ございません。ヒイロ様。いらぬ事を言いました」
フリーダがヒイロから目をそらせて、謝罪する。ヒイロは無言で、耳を押さえていた。
「だからなァ、何がどうしたんだ?」
一人本気で疑問を浮かべるナルを、初めてフリーダは羨ましく思ったのだった。
○ ○ ○
「巨大イーター様ゲットォ!」
「そっちは派手でいいなぁ。こっちは、ロブヌター相手だからつまらないよ……」
セシルが本気で愚痴を言っているのを、メディエは聞かなかったことにした。
どんなにセシルが文句をいっても、結局は運なのだ。じゃんけんで負ける自分の運の悪さこそに文句を言うべきだった。
「いや~。せっかく漁がオーケーになったのに、誰も来ないねェ」
「そりゃぁ、迷宮の方が身入りが良いんでしょ。そのお陰で、好きなだけイーター様を獲れるんだから、感謝しなきゃね」
「周りの目も気にしなくて良いし、な~」
セシルとメディエはロブヌター漁に来ていた。
多くの者が迷宮に挑戦する中、流れに逆らってのロブヌター漁である。王都を出るときに、本当にこちらで良いのかと、しつこく確認されたものであった。
今日のこれはギルドの依頼の一つだ。
迷宮前の屋台で提供するための、ロブヌターの食材獲りであった。お代も色が付いており、迷宮好景気が始まった感じである。
とはいえ。ロブヌター獲りと迷宮であれば、迷宮の方がまだまだ珍しい。
皆が皆迷宮に向かい、ロブヌター獲りの依頼を受ける者は、ほとんどいなかった。
今日も、二人以外には誰もいない。静まり返った湖は、神々しい輝きすら感じさせられていた。
水面のきらきらとした輝きは、鱗が光を反射したものであり、その様子はまるで宝石が泳いでいるかのようだった。
「きれいだねぇ……」
「だね~」
うっとりとその様子に見惚れて、ふと二人は我に返った。
今、何を見てきれいだと思ったのか。二人がみた鱗の反射とは、と疑問に思う。
そろ、とメディエが水面を覗き込む。
少し離れたところで、セシルも水辺に近付いている。
変わらず水面はきらきらを輝いて──ぐわ、と不意に現れた何本もの触腕がセシルとメディエの足に巻きつくと、二人を水中に引きずり込んでいく。
後には何も残らない。
二人の獲ったロブヌターと、ロブヌターイーターだけがぴちぴちと跳ねていた。
だが──
ほどなくして、湖の中央の水が盛り上がった。何かが水を押し上げて上がってきているのだ。
その何かは、湖の水を押し出しながら、ゆっくりと空に向かって立ち上がって──ばしゃん、と弾けて周囲を水浸しにした。
中から現れたのは、口の開いた巨大な二枚貝と、足を触腕に取られたままのセシルだった。ホタテの貝柱の上にはメディエが座り込んでいる。
「びっくりした~」
「ひどい目にあった……」
メディエは手にしていた剣をしまう。さっさと触腕を切って自由になったメディエは、二人を襲ってくる二枚貝の”貝柱”を切ったのだ。二枚貝──食事をしようと大きく口を開けたホタテの貝柱をカットするのは、メディエにとっては楽な仕事だった。
動けなくなったホタテは、沈む事が出来ず水面に上がってきた。口を開けたまま身動きが取れないでいる巨大ホタテは、それでもどうにか生き延びようと触腕を動かしていた。
うねる触腕──うつくしい鱗に覆われたその触腕は、まるで蛇のように自由自在に動き回って、獲物を捕えようとしているのだ。
「で、コレどうするつもり?」
「ホタテのフルコース希望! あ、でも淡水の場合は、寄生虫が怖いので火を通そうね」
「まぁ、食べごたえはありそうだけどさ。フルコースって、何するつもり?」
「ホタテのスープでしょ~。ホタテのステーキでしょ~。あ。プラトンにも持って帰らないとな~」
触腕をほどきながら、セシルは呆れたようにメディエに声をかける。今日のオカズの一品と、迷宮で仕事をしているだろうペットのことを思って、メディエはくふふと笑った。
随分と大きく育ったプラトンなら、巨大ホタテもぺろりと平らげてくれるだろうと期待しての事だった。
「巨大ホタテか……そういえば、アレはホタテから採れるんだったな……」
「ん? どうしたの? まだソレ生きてるよ?」
「ああ、ちょっと──」
ホタテといえば真珠だろう。そう言ってセシルが巨大ホタテへの殻へ手をかけた時、ホタテが回転した。水しぶきを上げながら、横に回転する。貝柱が折れてしまったので縦には動けない。ならば横に──という起死回生の一撃だった。
見事な回転だった、と見ていたメディエは拍手を送った。
回転に巻き込まれたセシルは遠心力に負け、湖の中に放りだされかけた。
「──邪魔をするな」
水の中では使えない魔法も、水の上ならばお手の物である。
吹き飛ばされるよりも前に、炎の魔法でホタテをこんがりと焼き上げてしまった。──勿論、真珠もこんがり焼きあげられており、見つけたセシルは涙したのだった。
「ホタテ焼き……焼きホタテ……」
漂ってくる良い匂いに耐えきれず、メディエは焼きホタテに塩をふって齧り付いた。
迷宮に入るだけでなく、食材集めなどで小銭を稼ぐ人もやってきています
ビックホタテ(魔獣):地下水脈を通って、いろいろな水源に出没する水生魔獣。ヒモの部分は触腕びっしり。自由自在に動く触腕で、ロブヌターやイーター、まれに人を食べる水生食物連鎖の上位種。




