昔話 始まりの聖女の物語
始まりの聖女の一人称。
聖女=リヴとハーヴィの母親、黒司祭の奥さんです
ズン……と、空気が重たくなり、肌を突き刺すような雰囲気が迫ってきていた。
石造りの神殿には足音が高く響き、駆けるようなそれが近付いて来ている。いや、正しく走っているのだろう。──そして私を探している、のだと思った。
『うわぁ。また扉壊したよ』
『この神殿の人も懲りない。何故に扉を修復し続けるのか。そろそろ諦めたらどうだろうか』
近づいてくるのがルーカスだと分かって、スキルの使用を止めた。この分だと、すぐにでもルーカスはこの扉を壊して私の前に現れるだろう。
そして──
「オリビアーッ」
「扉を壊すなっていつも言ってるでしょ! その頭はいつ理解するのかしら!」
派手に扉を吹き飛ばして現れた男を、魔術で拘束した。
「すまない! だが、だが聞いてくれ。一大事なんだ」
その手には気絶したボロボロの物体──恐らくは腐れ縁のトルクだろう──を抱えている。確かに何かあったようだ。この魔術師は、サディスティックな変人だが、腕は良い。そのトルクをここまでボロボロにする何かがあったというのなら、それは大事件である。
「何かあったの?」
「うむ。よく聞いてくれ。……私が婚約者が可愛すぎて、私を殺しにきている」
「よし、さっさと帰れ」
扉を指差すが、ルーカスは微動だにせず、むしろぐいぐいと迫ってきた。
「ちゃんと聞いてくれないか。王太子殿下の命で王宮に出仕したところ、なんと、姫様が、姫様が──」
ルーカスはあふれる情熱の命じるまま、手に持ったトルクをぐっと抱き締める。「ぐぇ」腕の中から、蛙のつぶれる声がした。
なるほど、こういうやり取りの所為でボロボロなのだと、トルクの様子に納得をした。
どうせトルクは、ルーカスの話を聞き流していたのだろう。そして、捕まったのだ。
ちゃんと聞いていれば、ルーカスの盛り上がるタイミングは見てとれる。我を失って、近くの物を手にする前に、逃げ出せばいいのだ。逃げだせない場合、力任せに抱きしめられ、潰されるという拷問が待っている。
今回はトルクという犠牲を手にしているので、捕まる可能性はない。
ルーカスの話を聞き流していると、視界の隅で何かが動いた。疑問に思って部屋の入口を見てみると、引きつった顔の神官が立って私達を睨んでいた。
「また、おまえたちか……」
「お言葉ですが、大神官様。私は被害者です」
頭を抱えた大神官様の前に、三人揃ってつきだされていた。それにしても、この二人とセットにされるのは納得がいかない。私は被害者なのに、どうして怒られているのだろう。
「大神官殿。ワシも被害者なのですが」
トルクが私の言葉に合わせてきたが、当然却下されていた。
「大神官殿。全ては私が婚約者が愛らしすぎるのが罪──」
「ほう。では王宮へ苦情を出すとしよう。そなたと姫様の婚約に、異議を申し出てみるのはどうだろうな」
「勿論、全ての罪は私にある。姫様にはその愛らしさ以外、何の罪もない」
「いけしゃぁしゃぁと……」
「砂を吐くぞ」
左右からのブーイングにも平然としている、この度胸はまったく見事。見習いたいとも思わないけど。
それにしても、今日の説教役は大神官様かぁと、ガッカリしてしまった。
いつもならば、私の好みぴったりの若い神官──将来の旦那様が説教役なのだけれど。大神官では、叱責を受けるのにも身が入らない。
どうせ怒られるなら、イケメンの方が良いに決まっている。
「心の声が口をついてでているぞ。オリビア、おまえが行いを改めない限り、あの者とは会うことはないと心得るように」
「何でですかっ!」
反射的に立ち上がると、椅子が音をたてて倒れた。
「ひどいです。大神官様。……彼は、彼は神がくださった、将来の旦那様なんですよ!」
「ストーカーは止めろと言ったはずだぞ」
「ストーカーだなんてひどいです。ただの、愛の暴走です」
「暴走させないように。まったく、おまえたち三人は揃って常識ハズレだな」
「大神官殿。ワシを含めないでくれ」
「うむ。オリビアに比べれば、私など赤子のようなものだな」
ははははは、と声を揃えて笑う悪友に一発入れて、じっとりと大神官様を見下ろした。
「私と彼の子供を作ること。これを、神々が祝福してるってご存知ですよね? どうして、彼を私から引き離すんですか!」
「わしの可愛い孫を、お前の毒牙にかけてたまるものか。お前の相手は、そこの魔術師でも良いのだろう。ならば、それを選べばよかろう。そいつは、社交界では有名な美男子であろう」
大神官様が指差すのはトルク。
確かにトルクは美形だ。すらりと長い体に、まっすぐな銀髪。風にそよぐ長髪の美しさから、"清流"などという呼び名をえているくらいだった。
だが、幼馴染みにそれは通じない。清流とは、長くお漏らしをし……睨まれた。
まったく、カンの良い男である。外見が良くて、手に職も持っていて、勿論高給取りだ。これでどうして、恋人ができないのか。
性格だな、性格。間違いない。
色の白いは七難隠すというが、性格の悪さだけはどうにもならなかったようだ。ざまぁ。
「お言葉ですが、私はサドとやっていけるような性癖ではありません。可愛いのが好みです」
「かわいいの……」
小さくトルクが呟いたのは、聞こえなかった事にする。ルーカスが肩を揺らして笑っているのが、目障りだった。
「そう。私の好みはかわいい人です。それは、決して習ってもいない魔術をどや顔で使う男ではないのです。勿論、常に満点ばかりを叩き出す、嫌味ったらしい男でもなく。ついでにいうなら、己の崇拝者をこきつかう事に疑問を持っていないような、人格破壊者でもありません!」
ルーカスと大神官様の目がトルクに向かう。トルクは撃沈し、机に突っ伏してしまっていた。
「嫌味ったらしい、人格破壊者……随分ときついことを言うものだな」
「そなた、そんな事をしているのか」
「ついでにいうと、トルクが壊してしまった手乗り神象について、神々は激怒プンプンです。そんなわけで、トルクを選ぶことはありません」
そう──トルクが手乗り神象を壊した時の、神々の怒りは凄まじかった。スキルを使用していないのに、頭の中でワンワンワンワンと、声が反響し続けるのだ。
声といっても意味のある言葉ではなく、怒声というか、怒りの波長というか。耳元で延々叫ばれ続けている日々を送ったのだ。毎日が寝不足だった。その怨みも忘れてはいない。
「ただの小さな象の像だと思って……」
「いや、まて。あれには守護の魔術をかけていたはずだぞ。それを、まさか……」
「ぶっちぎりました」
「ぶっ……ちぎっ……」
大神官様がどう反応すればいいのかと、トルクと私の顔を交互に見て──嘘ではないと理解したようだった。深呼吸を繰り返して、心を落ち着けようとしている。
「そうか。この事は、神殿から、正式に、魔術師長殿に、抗議することにしよう」
「いや、魔術師長も知ってるはずだぞ。三人で始末書かかされた──」
「あっ、コラ!」
じろり、と大神官様にトルクが睨まれる。
「師からの折檻が、辺境に出ている魔獣退治でした。つい数日前に済ませたばかりですが」
「ああ。聞いてくれ。実はな……帰ってきた時の姫様が愛らしくて可愛いくて。心配した、などと言って下さったのだ。あんな雑魚退治でだぞ。純粋無垢な姫様だと思わないか? 思うだろう? だが、やらぬ!」
「はぁ? 姫様、なんかおかしいんじゃない? 相手は魔獣でしょう? それとも、あなたが弱く見られているの?」
「いや。無事だと分かっていても不安になるのが恋なのだそうだ」
ふふんと、優越感にひたった顔が鬱陶しい。ルーカスの顔をつねってやろうかと思ったが、女の細腕でやってもダメージはないのでやめておいた。
それにしても──無事だとわかっているのに、不安になるとはどういうことだろう? つまり、ルーカスが信用されていないだけなのではないだろうか。
いや、まてよ。それと同じ様な感情を、私は感じた事があるような──
「姫様の意見は理論的ではない」
トルクは言う。
「信じているなら心配などしはすまい。ならば、そなたは信用されていないのではないか?」
「私もそう思ったのだが──」
「いいえ、それが乙女心なのよ!」
「乙女心……?」
「おとめ……?」
トルクとルーカスが私を見ているのがわかる。どうして、そこでバカにするのかと、私は二人を睨み付けた。
「バカにしないで。私だって、姫様の気持ちは理解できるわ。私だって……」
そうだ。思い出すのは、愛しい人の姿だ。朝の礼拝でじっくり眺めた後ろ姿を脳裏に画く。
「私だって、旦那様が朝礼でトチるんじゃないかって、毎朝ドキドキしてるんだから」
若手で一番人気の旦那様──予定──は、礼拝でお役目があるのだ。大丈夫だと分かってはいても、毎日の事でミスをするなんて考えられないと思っていても、気になってしまう。毎日がはらはらドキドキの連続である。
なるほど。これこそが、姫様の気持ち。恋する乙女心に違いない。
「……だんなさま」
トルクがため息をついたのを、ルーカスが物言いたそうに私を見上げていたのを、私は気が付かない振りをした。
『今日も天気にな~ぁれ』
『おお、天気だね。いいなぁ、そのサイコロ貸してくれない? ボクのはどうしても決まった目しか出ないんだよね』
『いいよ~。ど~ぞ~』
『ヒツジは今日も小さいのと一緒か。まだ大きくならんのか?』
能天気な声に目を開けると、長男が赤子をあやしてくれていた。ぷっくりと丸い顔の赤ん坊が、視点の定まらない目で周囲を眺めている。
自分もまだ遊びたい年齢だろうに、生れたばかりの赤子の世話をしてくれているのだ。
「リヴ……」
「お母さん。起きたの?」
優しい子だった。旦那様に似た切れ長の目と、まっすぐ通った鼻筋。少し冷たい雰囲気だけれど、まとう雰囲気は柔らかい。
この子が、神々の待ち望んだ子供。神に捧げられた、神の生贄。
「リヴ……ごめんなさいね。あなたを、あなた達を守ってあげられそうにないわ」
「……お母さん。ぼく……ぼくも、おとうとも良い子にするから。だから、ずっと側にいても良いでしょう?」
「いいえ。ダメなの。一緒にはいられないのよ」
神殿は、魔獣から人々を守るために"聖人"というシステムを作り上げた。
聖人、聖女とは、すなわち希望である。神々の慈悲を顕すとし、奇跡をおこすというのだ。バカバカしい事だが──そんなあやふやな希望でもなくては先に進めない、そんな現状もよく理解していた。
聖女になってしまった自分と、大神官に祭り上げられた旦那様。"神々の恩寵深き"と言われる理由が知られる前に、二人を──リヴを逃がさなくてはいけない。
本当は、一緒に行った方が良いのだろう。けれど、私の顔は知られ過ぎている。二人目は私に似て生まれたようだけれど、まだまだ赤児だ。私と結びつける人は多くはいないだろう。十分誤魔化せるはずだ。
本当は、旦那様を一人残してはいきたくなかった。
新しい聖女候補などという問題児──親元から金銭と引き換えに連れて来たという、見かけだけは可愛い幼女。大人達にチヤホヤされて、何でも許されると思っているワガママなお嬢さん。そんな子供を相手に、旦那様がどれだけ疲れているか知っているから。
だから、置いてはいけない──そう思っていたのに。
「ここを出なさい。帰ってきてはいけません。この時の為に準備していたでしょう? 逃げなさい。母さんと父さんの為に、逃げてちょうだい」
二人目を妊娠した時から、少しずつ逃がすための準備をしていた。王都の隅に家を買い、金目のモノを蓄え、使用人を雇った。
あとは、リヴが逃げてくれれば良い。
「リヴ。あなたは、お兄ちゃんなの。お願いよ。弟を守ってちょうだい」
「でも……でも、どうして母さんは一緒じゃないの?」
「私の事は考えなくていいわ。弟を、ハーヴィを守ってね」
「でも──」
「聞きわけの悪い子ね。あなたは、弟を、守れば良いの」
「う、うん」
リヴが逃げてくれるように、冷たくリヴを突き放そうとした。もう帰ってこないように。
神殿に心を残さないように。
「わかったなら、いきなさい。ぐずぐずしないで」
早く行きなさい──生きなさい。幸せに生きなさい、私と旦那様の可愛い子供達。
リヴがハーヴィを胸に抱え、何度も振り返りながら部屋を出てゆく。音を立てて扉が閉まるのを、目の端で捕えて、呟いた。
「さようなら。どうか幸せに」
『ブラボー、ブラボー。役者だね!』
私の願いは、神の言葉にかき消された。
黒司祭の家系は、祖父:大神官、本人:大神官、子:大神官候補という、神殿のサラブレットでした




