三話 神託スキルの真実
夕食をヒイロととった後、ナルは裏通りの隠れ家へ足を運んでいた。
道を行く人影は少なく、閑散としている。ただでさえ薄暗い道をまっすぐに進むと、一見ぼろぼろの扉を開けて中に入った。
「よゥ、てめえら。──って、いねぇ?」
「あら。ナルじゃない。おかえりなさい。思ったより早かったわね」
「いや、終わった訳じゃァねェんだが」
ナルの本命は、ウサギの魔人を捕まえることである。そして正々堂々と決着をつけたいと思っているのだ。
しかし、迷いの森で大神官の話を聞いて、目的のウサギは魔人なのかと、疑問を持ち初めていた。もしも件のウサギが人で、王都に居続けているならば、ナルの行動は検討違いということになる。
だが──すでにヒイロと聖女を、放ってはおけなくなっていた。あの世間知らずの二人を放置など、気の毒すぎてナルにはできないのだ。
テントの張り方も知らない、かまどの作り方も知らない二人だ。野営食の作り方も、勿論知っているはずがない。
ナルは迷いの森で三人になってから、少しずつ旅の仕方を教えている所だった。
それにしても、とナルは声をかけた。
「あいつら、どこ行っちまったンだァ」
「アラ……知らないの? 郊外にできた"迷宮"ね。あそこに入り浸っているのよ」
苦笑を漏らしながら留守番の女性が言う。女の手がカウンターをあさり、一つの小袋をナルに見せた。
「戦利品よ」
「なんだこりゃァ。種?」
「カンテイしてごらんなさいな」
女の言葉に従って、ナルが種にカンテイの魔術をかける。出てきたのは"サトウキビ"の種だった。
「へェ。サトウキビねェ」
「ネルネ老が、砂糖を精製してみたそうよ。かなり甘くて白い綺麗な砂糖ができたんですって。──でも、砂糖が白いって変よね」
「こっちは"シオノハナ"の種か」
「採れるのは塩。やっぱり白くて、苦みが少ない上質の塩が精製できるんですって」
「なんっつーか、食べもンばっかじゃねェか」
ナルが女に小袋を返す。女はそれを開けて、中から一回り大きな、透き通った種を取り出して見せた。
「"紅芙蓉"の種よ。大輪で透明感のある大きな花が咲くわ。女性に大人気の一品」
「そーかい。そういうことじゃなくてなァ。言いてェのは、つまり──」
「剣にも盾にもなりゃしない──そういうんでしょ? ホント男共は、それしか言わないんだから」
女は種を丁寧にしまう。そのかわりに黒光りする銀色の塊を取り出した。インゴットの大きさは拳一つほどだった。表面は艶やかに磨かれ、上面には何かの刻印が押されていた。
「そうそう、こういうのを見たかったンだよ。ん──? 鉄、五割って、これ刻印か。へェ」
「迷宮が塔だっていうのは知っているわね? これらは、低階層で得られたの。上に行けば、もっと良い物を得られる可能性があるわ。それに、あなたは勇者と一緒にいるんでしょ? なら、"特別"な区画に入れるかもね」
「特別ねェ……」
ノアは手の中で、インゴットを転がした。冷たい手触りと、ずっしりと感じる重みが、迷宮からもたらされる恵みを 印象付けていた。
「明日から、ヒイロ達と潜るつもりでなァ。ま、なんかあったら持ってくるわ」
「期待しないで待ってるわね。その時には、勇者と一緒においでなさいな」
「ここには酒しかねェだろ。ガキに飲ませるモンじゃねぇぜ」
「あらあら。保護者ぶっちゃって。その時までに、ジュースでも準備しておくわね」
「そうしとけ」
磨かれたインゴットの表面が、ナルの顔を反射する。ギラギラと強い輝きに、ナルは目を細めた。
「腕の良い鍛冶屋。どっかにいたっけなァ──」
○ ○ ○
「勇者様、勇者様」
小さなノックとかすかな声がして、ヒイロは宿の扉を開けた。
そこにいたのは、神殿に戻ったはずの聖女だった。彼女は大きな外套をかぶっており、一見聖女だとは気がつかなかった。
「どうしたんですか、こんな時間に?」
夕食を終え、後は休むだけという頃である。日も落ち、辺りはどんどん暗くなっている。こんな時間に、まさか聖女一人で外出するとはと驚きながら、ヒイロは聖女を部屋に招き入れた。
「遅くに申し訳ありません。その……すこし、お話がしたくて……」
「ええ。どうぞ──」
部屋に一つだけ用意されているテーブルと椅子を聖女に譲り、ヒイロはベットに腰かけた。
「……どうしても、どうしても確認しておきたいことがあります。王都に戻ってから、あの"スキル"をお使いになりましたか?」
「あのスキル?」
聖女の言葉に、ヒイロは疑問を浮かべる。それが神託の事だと気がついて、ヒイロは首を振った。
「いいえ、まだですけど。聖女様は」
「使いました。使いました……けれど。その……信じられなくて……」
「信じられない、ですか? ちょっと失礼しますね」
聖女から視線を逸らせて、ヒイロは天井を見上げる。その方が、聞き取り易い気がするのだ。上を向いたまま目を閉じて、神託を作動させる。
すう──と現実の音にかぶさるように、何かの音と気配が広がってゆく。聖女はその様子を、静かにじっと見守っている。
その静寂を破るように、ヒイロの頭の中に笑い声が響いてきた。
『勝ったぞ! どうだ、ワシの勝ち。ワシが一番じゃぁ』
『くっ……このナンプレは強敵ですね』
『あぁ~ん。ここの足し算間違えてるよぉ~。もうヤダ。わけわかんない~。泣いちゃう~』
『ああぁ。泣かないで、泣かないでください。ほら、異常気象が──』
『いや~いや~』
『やった! 終わった! 二番だ!』
『い~やぁ~』
そっと、ヒイロはスキルを解除した。涙目になって自分を見ている聖女に首を振って答える。
「何も聞こえませんでした」
「嘘ですわ! お願い、嘘と言って下さいませ。聞いたと、神の言葉を聞いたとおっしゃって──」
「いえ、だってほら。僕が聞いた神託は、もっと、こう──重厚な感じでしたから。あんなチャラチャラした会話ではありませんでした」
「そうなのです。わたくし……王都に帰ってきて、スキルを使って……あんな、のほほんとした会話を聞いてしまって……どうしたら良いのでしょうか。あれは、あれは本当に神々のお言葉なのでしょうか……」
力なく聖女がテーブルに項垂れている。聖女のにぎりしめた手は震えていた。
「わたくし……わたくしは……ここ何年も神託を聞いていなかったのです。神託を聞いたのは、大神官様がいらっしゃった間だけでした。大神官様が亡くなられて、神託が聞こえなくなって──それなのに、どうして今、神の声が聞こえるのでしょうか。どうして……神々はあんな……まるで遊んでいらっしゃるような。……神は、慈悲の存在ではなかったのですか? わたくしたちを愛し、見守ってくださっているのではないのですか」
「聖女様……」
「勇者様。わたくしはどうしたら良いのでしょうか。神とは神殿とは、聖女とは──なんなのでしょうか。大神官様がおっしゃったことが正しいのでしょうか。そうであるなら、聖女という存在を守る事にどんな意味がありますの? あなたしか──同じ神託を持つあなたにしか聞けないのです。わたくしはどうすれば良いのでしょうか」
神殿の定める聖女と聖者とは、神の言葉を聞けるもの──つまり、神託スキルを持つ者という意味だった。
けれど、それは作られた虚像でしかなかった。神託を持つ者は聖女以外にもいるという。
ならば”聖女”で在り続けた自分は何なのかと、聖女は涙をこぼした。
「……以前にもお話しましたよね。”勇者”とは何なのだろうか、と。僕は、勇者だけど、その前にただの少年のヒイロです。ただの、神様とお話ができた幸運な少年。世界を旅する事を神に許された……それだけですよ」
「魔王の事は、お役目ではないとおっしゃいますの?」
「わかりません。王都に来るまでは、僕の役目なのか疑問でした。でも、”迷宮”ができてます。”勇者の為の迷宮”が……もしかしたら、魔王を倒せと言われてるのかもしれない、と思い直したところなんです」
「ええ──そうですわね」
ヒイロは身を乗り出して、テーブルの上の聖女の手にふれた。その小さな手を両手で包み込む。
戸惑ったように、聖女はヒイロの顔を見上げた。
「あの、勇者様……」
「ソレ、やめませんか。勇者様、聖女様、って言うの。それは役目であって名前ではないでしょう? 僕の名前はヒイロです。どうか、そう呼んでください」
「ヒイロ……さま。あの、でも。わたくしは……」
「どうか、あなたの名前を教えて下さい」
「……わたくしには名前はないんですわ……忘れてしまったんですもの……」
長い沈黙の後、聖女は呟いた。
聖女が両親から離れ神殿に入ったのは、随分と幼いころだった。それからずっと、聖女は”聖女”とよばれ続けたのだ。その結果、少女は自分の名前も、両親の記憶もなくしてしまったのだった。
「そう、ですか。なら、名前をつけましょうか」
「え?」
ヒイロの明るい声に、聖女は目を丸くした。
「お好きな名前は何かありませんか? 花の名前とか、有名人の名前とか。好きな名前を付けるチャンスですよ!」
そのヒイロの表情には暗いものも、悩み事も何もなかった。その事に聖女は苦笑する。
「ス……スキルのことも、神殿の事も、まったく何も解決しておりませんのに。随分と前向きでいらっしゃるのですね。少し羨ましいですわ。──でも、そうですわね。わたくしも、あなたのように自由に生きてみたい……気がします。ですから、そうですわね……フリーダ。わたくしのことはフリーダと、お呼びください」




