四十九話 魔族――魔人とは
三人は森をさ迷っていた。
ゆっくりならば馬に乗れると言う聖女に手綱を預け、ナルとヒイロが周囲を警戒して進む。聖女の持ち物だった明るい色の布を裂くと、木にくくりつけて目印にしながら進んでいた。
確実に歩を進める。
けれど、この道行きのなかでは誰にもあわない。どこに向かっているのかも定かではない、不安な道だった。
どれだけ進んだのだろう。
ふと後ろを振り返ったナルは、赤いリボンが真っ直ぐに並んでいるのを確認して、満足の息を吐いた。
とりあえず、一方向に進めているらしい。ぐるぐると迷い迷う事を考えるなら、ギョウコウと言うべき事だった。
「思ったよりも悪くねェな」
「そうですね。奥に向かっているのでなければ、そのうち外に出られそうです」
「"迷いの森"というわりには、不思議な力で迷わされるわけではないのですわね。もっと、こう……おどろおどろしい場所を想像しておりましたわ」
聖女の言葉に、ナルとヒイロは周囲を見る。確かに、この森は普通の森としか感じられなかった。
野性動物や魔獣が出てくるが、それは他の森でも同じことだ。けれど、普通の森ではない証拠に、出発してから、誰にもあってはいない。分かりやすい目印を残しているのだし、誰かと会っても良いと思うのだが。
また、他の者が残した目印も、見つけることはなかった。
「確かに、一見普通の森だがなァ。それで気を緩めちゃァなんねぇ。小さいところを見ると、ここは確かに普通じゃねェんだ」
「はい」
「すみません。気をつけます」
途中で休憩をはさみながら、三人は森を進む。随分と長いことをさ迷った気がするが、ほんの少しの時間だったかも知れない。方向感覚も、体感時間も曖昧になってゆく。
森の中、少し開けた場所に出る。ここでキャンプを張ろうかと、ナルとヒイロが相談している時だった。馬に乗ったままだった聖女が、森の出口らしきものを見つけた。
聖女は二人よりも遠くが見渡せる。そのために、木々の切れ目を見つけることができたのだった。
「お二人とも、あちらをご覧ください。もしかして出口ではないでしょうか?」
「お、本当か?」
聖女の言葉を聞いて、ナルが木に登る。手頃な枝の上に立って、聖女が示した方向を見る。
その一帯は木が少なくなっており、細く続く道までもが見えていた。
「どうしますか? 他に道もないですし。聖女様が見つけて下さった出口に行ってみますか?」
「そうだなぁ。──どうせ、他に道はねェ。そうしようか」
ひょいと、ナルが枝から降りてくる。ヒイロと聖女も、出口の方を向き、歩を進めようとした。
進もとしたのだが──
「ん? なんだ、コレ?」
「あれ。先に進めない?」
「どうなさったのですか?」
ヒイロとナルが途中で止まり、後ろを歩いていた聖女が声をかける。
二人は不思議そうに手を前に出し、あるところで見えない壁に阻まれている事に気がついた。
「壁、ですね。魔術か何かでしょうか?」
「こんな罠なんざ、聞いたことないからなァ。魔術──というのが、無難だろうよ」
「魔術……では、使い手がどこかに?」
三人が周囲を見渡す。鳥の鳴き声だけが周囲に響きわたる。
誰もいない──と、三人が警戒を解こうとした、その時。透明な壁の向こうから、人が近付いてくるのが見えた。
それは、黒色のローブで全身を覆った大柄な男だった。
その男が近づいてくるにつれ、木々は葉を落とし、蔦は枯れて垂れ下がり、地面に漆黒の液体が広がって、白煙をたてる。
その光景に息をのんで、ナルとヒイロは剣を抜いた。
「誰ですか!」
「何モンだ、テメェ──」
「はじめまして。急いでいるのだが、君達は”勇者”を知っているだろうか?」
男の言葉と共に瘴気が溢れてゆく。
それを見て、ヒイロは前に出ようとして、壁に阻まれる。ナルが下がって、聖女との間に体を割り込ませた。
「僕が”勇者”です。勇者と呼ばれています。リンクーガのヒイロです。……僕に用事ですか」
「おお。そうか。魔術を飛ばして、すぐに勇者に見えようとは僥倖なる。実は、”魔王”の事で、君に忠告があって──」
「……大神官様! 大神官様ではいらっしゃいませんか?」
聖女の言葉が、男の台詞をさえぎった。
聖女は鞍から降りて、ヒイロの隣まで駆けよる。ばんと、両手を壁について、男を凝視した。
「そのお声は、大神官様でしょう? わたくしをお忘れですか? 王都の神殿に招かれました”聖女”ですわ。まさか、生きていらっしゃるなんて。あぁ……なんということでしょう。この幸運を神に感謝いたしますわ」
「聖女──? あぁ、あの愚かな子供か……」
頭の上まですっぽりと覆っていたローブの頭部を払うと、男──大神官の顔が現れた。
銀色の長髪に青い瞳。聖女が記憶しているままの、大神官の姿がそこにはあった。
「だ、大神官様。どうして、そんなことをおっしゃるのですか? わたくしが何かいたしましたか──」
「何か、だと? ──まぁ、いい。忘れているならば、それでもよかろう。忘却とは、人に与えられた神の慈悲であるのだから」
「……聖女様。聖女様は以前、大神官様を殺した──って、言われてましたよね。あの、この方が、その、大神官様なんですか?」
「そうですわ。あぁ、でも生きていらっしゃった。良かった。わたくしは大神官様を殺めていなかったのですね」
心底ほっとした顔で、聖女が言う。しかし、対峙する大神官の顔はあきれ顔だった。
「……頭はお花畑のまま、成長しなかったようだな。頭を落とされて生きている”人間”がいるはずもなかろうに。私は”魔人”だ。一度死んで、”魔王”に蘇らせられたのだ」
「え──死んだ?」
「……神殿の”大粛清”で首トばされた大神官──ってのがいたなァ。アンタのことかい?」
「そうだ。聖女の”奇跡”を盛り上げるための生贄として、その娘に殺されたのだ」
「う……嘘です。嘘ですわっ! だって、今目の前にいらっしゃるではありませんか。生きて、わたくしと、こうして話だってできているのに──」
聖女の為した奇跡。その一番初めのモノ──大粛清。
神殿に巣くう”悪徳”神官達を、処分した出来事だった。それを指揮したのは、神殿に引き取られたばかりの”聖女”だ。
まだ幼い幼女が、神の言葉に従って、不徳者を断罪していったという。
その時に罪人の首領として上げられたのが、目の前の大神官だった。
彼は貴族から賄賂をえて、あこぎな商売を繰り返していた。信者達を脅して利益──金や土地──を巻き上げては、私腹を肥やしていたというのだった。
「私は死んだ。王都での公開処刑だ。──誤魔化しようがあるまい」
「でも──では、どうしてあなたは生きているのですか?」
「生きてはおらぬ。私は”魔人”だ。人間ではない」
「いいえ!」
「聖女様、落ち着いて……」
壁にすがりつくようにして、聖女は大神官に声をかける。日頃おとなしい聖女にしては、必死で声を張り上げていた。
「大神官様。わたくしは、あなたを……あなたさまを殺したと、ずっとそう思って……生きていらっしゃったなら、どうして……」
「せ、聖女様……。あの、大神官様。あなたが魔人だという証拠はありますか? 聖女様はどうしても信じられないみたいです」
「ふむ。証拠か。──では訊ねよう。”魔人”とはなんだ? 魔族とは、なんだと思っている?」
「え──」
ヒイロが首を傾げた。
救いを求めるように聖女を見るが、彼女はじっと大神官を見つめていた。次いでナルを見るが、彼は肩をすくめるだけだった。
「魔族は、悪い人──です。魔人になったミーナは、人を殺してました。魔獣達も人を襲うし……だから、魔族は”人を襲う”悪いモノです」
「ふん。そこの豹人は?」
「まぁ、ヒイロも間違ってねェと思うゼ。魔族は人を襲う。……あぁ、でも。なんかオカシクなってたなァ」
「愚かな、愚かなことだ。分からぬのか、気がつかぬのか? そなたらの前にいた魔人は、その娘だけではあるまい。多くの魔人と接しておきながら、何も感じなかったというのか! そのような有様では、魔王に対峙するなど、夢のまた夢と知れ!」
大神官の一喝に、ヒイロと聖女が肩を揺らした。びくっと震えた後、その顔色を窺おうとする。
「ど、どういうことでしょうか?」
「……オレ達は、ミーナじゃねェ”魔人”にも会っているってのか……?」
「わ、わかりませんわ。どうぞ教えて下さいませ」
「魔人とは。たった一つの”願い”に、塗りつぶされた者のことだ。生きたい、会いたい、愛されたい──そんな”願い”を至高とし、その願いの成就のためだけに生きる存在のことだ。だが──全ての”願い”が、人の生活と矛盾するわけではない。中には人に紛れて生きる者もいる。たとえば、魔族を殺したい──そんな”願い”を持つものなどは、な」
「魔人は、人よりも強いか?」
「往々にして。そもそも、人が多くの出来事に振り分けている力を、一つの”願い”に傾けるのだ。強くならないわけがない」
「──騎士の中に、強い者がいたナァ」
小さく呟いたナルの言葉は、ヒイロと聖女の胸に落ちた。すとんと入ったその言葉に、二人は顔を青ざめさせた。
「そんな。そんな……魔族、魔人だったのですか? そんな、うそ、うそですわ」
「え──でも、剣を教えてくれたりして。魔人? え、本当にそうなんですか?」
信じられない、と二人が悲鳴を上げた。その二人を尻目に、ナルは記憶をたどった。
「騎士の中に、えらく強ェのがいたな。”英雄”の一団だったか。ンで、そいつらが”魔族を殺したい”と願った、ってワケだな」
○ ○ ○
「ああ、いたねぇ。強い騎士さん。魔術を剣一本でかき消すんだもん。おかしいとは思ってたんだよね」
「彼らは、あなた達が”侵攻期”と呼んでいる争いの中で変異したの。──魔族が多ければ、その分魔王の波動を受けやすくなるから、仕方ないかもしれないわね」
「その波動で狂った者には”先代騎士団長”も入るのだろうな。なんということだ」
ハーヴィは王宮で行われた、騎士と魔術師の手合わせを思い出した。
騎士達の中には異常に強い者が交じっていて、魔術をがんがん無効化していたのだった。もちろん、先日の黒騎士──先代騎士団長もメンバーに含まれる。
「まぁ、騎士達は”魔獣を倒して、王都を守る”と意気込んでいたから、仕方ないかもしれないわね」
見ていたように精霊が言う。いや、彼女達は見ていたのだ。
人と魔族の争いを。この世界の未来を。
「”愛されたい”と嘆いた女性がいたわ。”生きたい”と、生にしがみついた老人がいたわ。かれらは、ある意味覚悟を持って魔族になったの。けれど──なにより哀しいのは、”願いなく”魔族にさせられた人でしょうね」
「どういうことだ」
「でも、それって矛盾してません? ”願い”があるから魔人になる。なのに願いがないのに魔人になった人がいるんですか?」
クレイブの言葉に、ニンフは瞳を伏せた。
そこにあるのは”例外”の存在だ。他の者のように進んで魔族に堕ちたのではなく、”選ばれて”魔族にさせられた者。
「ええ──いるのですわ。神に選ばれ、魔王に選ばれ、”魔人”となった方。あなた達の言う”聖女”の夫、大神官を務めた男──本物の”神ノ僕”。あなたと同じ、スキルの持ち主が、ね」
ニンフが声をかけたのは、静かに話を聞いているルリにだった。