四十八話 迷いの森の遭難と精霊の思惑
勇者達が連れて帰った人物に、一行は喜んだ。同時に、ユーフォの鎧の惨状に眉をしかめては、無事であったことを喜ぶ。
「よかった。本当によかった」
「何をしておる!」
肩を叩きあい拳を合わせる騎士達の声は、トルクの怒号に押されて消えた。
騎士達がトルクを見ると、醜く顔を歪めていた。じっと見る先はユーフォだ。
「その者は魔族ぞ! 倒さぬか」
「え……」
「そのように言われましても──」
「魔術師殿?」
騎士達が不思議そうにトルクを見る。せっかくユーフォが無事に帰ってきたのにと、困惑が広がった。
「えぇい、ヒイロ。言うたであろう。その魔族を倒せ」
「え……でも。ユーフォさんは、魔族じゃないですよ」
ヒイロの言葉に、トルクが唇を噛んだ。ぎりぎりと歯を噛み締めてユーフォを睨む。
ユーフォもまた、トルクを見極めようとしていた。
「えぇぃ──魔族に懐柔されおって。よいか、倒さねばそなたの経験になるまいが」
「いえ……でも……」
「勇者よ。下がっていろ。──魔族というならば、お前がそうだろう。魔術師」
トルクとユーフォが睨み合う。トルクは杖を取り出して、ユーフォは剣を抜いて、距離を図っていた。
「魔族を滅することが、俺達の使命」
「勇者よ、それを殺すのだ! 勇者ヒイロよ」
「皆、下がっていろ──これは強い。巻き添えを食らいたくなければ、下がれ」
騎士達と勇者が呆然と成り行きを見守っている間に、トルクとユーフォは臨戦態勢に入っていた。杖からは魔力があふれ、剣がそれを散らす。
「え──な、何がどうなっているんですか?」
「わかりません。お互いがお互いを魔族と罵って、戦闘に入ったと。そういうことでしょうか?」
ヒイロの隣に立っているフィオが言う。目の前の出来事は、本当に彼らの認識外の出来事だったのだ。
どうすればと、救いを求めて周囲を見たヒイロは、聖女の馬車が開いていることに気がついた。そこから、ナルが顔をのぞかせている。視線に気が付いたナルが、ヒイロを手招く。
トルクとユーフォを凝視している騎士達をすり抜けて、ヒイロは馬車の前にたどり着いた。
「これは何の見世物だァ?」
「えっと、僕達にもわからないんですけど、ユーフォさん……騎士の方ですが、その人がトルクさんを魔族だって言って。トルクさんも、騎士さんを魔族だって言って。で、こんなことに」
「ちっとも訳がわからねェよ」
「はい。僕達もです」
ナルが馬車から降りてくる。ヒイロの横に立って見る先は、争っている二人だ。
その二人と距離をおいて、騎士や神官がおろおろしていた。このままではいけないが、止める方法もない──ということだろう。
「何がおこっているのですか?」
馬車の中から聖女が顔を出す。
少し目元は赤くなっているが、しっかりした声だった。その聖女も、外の様子を見て驚きの声をあげる。
「な。ど、どうしてお二人が喧嘩しているのですか? いったい何が……」
続けようとした声は、吹き荒れるトルクの魔力にかき消される。
周囲を覆いつくす魔力に、馬達が嘶いた。この場を離れようとするが、手綱が結ばれていて微動だにしない。ガッ、ガッと蹄が地面を削る。
その音に我に返ったように、騎士達が防御の魔術を広げようとする。ナルも、風と土の魔術を展開した。
「おい──大技が来るぞ! 防御の姿勢を──」
「はい!」
「え……えぇと……」
ヒイロが返事をして、目の前に守りの壁を立てる。風の魔術を使ったその壁の外側にナルの防御が張られる。
それは、ヒイロとナル、聖女と馬までも守る物だった。しかし、その言葉は遅かった。
大きな、大きな魔力が吹き荒れる。 ぎゅっとトルクの手の中に集まった魔力が、形をもって暴れ狂う。
「カゼノヤイバ!」
トルクの言葉に合わせて、魔力の爆発がおきる。強い風が外に向かって放たれる。強い風は刃となって、あらゆるものを切り裂いてゆく。小物は風に飛び、木々は刃に倒される。
聖女が悲鳴をあげ、馬車が圧力に負けて大きく傾いた。
「きゃあぁ──」
「あ、聖女様っ」
「おい!」
馬車が吹き飛ばされる。馬車に繋がれた馬も引きずられて行き、ヒイロがあわてて馬車を追った。ナルもそれに続く。
ヒイロの視界の隅で、騎士達が同じように吹き飛ばされるのが見えた。
ヒイロが意識を取り戻した時、横倒しになった馬車に体を預けていた。気を失ったままの聖女が横になっているのを見て、ほっとする。
おそらくはナルが助けてくれたのだろうが、聖女が無事で良かったと胸をなでおろした。
「お。起きたか」
「はい。すみません。気を失ってたみたいで」
「いぃよ、騎士達も飛ばされてたしなァ。あの魔術師どこまで力を込めたんだか」
馬車から少し離れたところで、ナルは馬車に繋がれていた馬を診ていた。目立った傷はなく、馬もナルも元気そうにしている。
ヒイロ自身も傷は感じないし、聖女も汚れているだけのようだった。
しかし、馬車は大破していた。横倒しになった衝撃か、フレームは歪み、車輪は外れて無くなっていた。扉も外れて地面に落ちている。
「今後は歩くしかねぇなァ」
「そうですね。これじゃぁ、さすがに動きませんね」
「そうだなァ。だが、この聖女サマが、どこまで我慢できるかねェ」
聖女は、ここまでの旅も全て馬車の中だった。今までの生活でも、基本的に神殿の中から出ないはずだ。歩ける距離は長くはないだろう。
そんな聖女がこの足場の悪い道を、どれだけの距離を歩けるのか。ナルは首をひねった。
しかし、置いて行くわけにはいかない。この森の中では、戦えない、逃げられない者は生きていけないのだから。
「少し周りを見てみたんだがな。人っ子一人いねぇ。騎士も、神官も、誰もいねぇみたいだな」
「そうなんですか? あれ、でも同じ方向に飛ばされた人もいたのに……」
「そう思って探したんだがなァ。いやしねェ。どこかに移動したか──ここが、すでに”迷いの森”なのか、だな」
「迷いの森──ですか」
青々と茂る木々。枝から垂れ下がる蔦。高く低く何かの鳴き声がこだまする。北も南も判らない森の中である。
しかも、これが迷いの森だというのならば、どれだけ彷徨うことになるのか。
森を抜けたとして、どこに出るのか。
ヒイロは今後を思って、目の前が暗くなるようだった。
「魔術師は、迷いの森を突っ切る自信があったみてぇだがなァ。こちとら不勉強だ。北も東もわかりゃしねぇ」
「そうですね。僕も”迷いの森”は初めてです。どこに向かったらいいのか、まったく分かりません。他の方々とは合流できたらいいんでしょうが」
「さてなァ。……迷いの森で、一年以上迷ったってェ話もあるくらいだ。その間は、誰とも会わなかったッてよ。期待しない方がいいだろうなァ」
「皆さんも無事だといいんですけど……」
「ん──あら、ここは──わたくしは、一体……」
ふるふると頭を振って、聖女が身を起こす。
「お目覚めかい?」
「大丈夫ですか。痛いところはありませんか?」
目の前にいたヒイロを見て、聖女は不思議そうな顔をした。
「ええと。わたくし、何があったのでしょうか? 確か……馬車が倒れて……」
「はい。トルクさんの魔術だと思うんですけれど。僕達三人は一緒に吹き飛ばされてしまったんです。それで、ナルさんが助けてくれてたんです」
「馬も一頭だけだが、無事だぞ」
馬を連れて近付いてきたナルに、聖女は礼を言った。
訪れた沈黙の中、三人と一頭は顔を見合わせる。
「とにかく、当座をしのがなきゃぁなんねェ。……馬車ン中でもあさるか。何かありゃぁ恩の字なんだがなァ」
○ ○ ○
「なぜ、わざわざ異世界から人を召喚するのか。考えた事はありますか?」
精霊は、ピアニー家に設けられた席で言った。
ニンフを取り囲んでいるのは、ノアのパーティメンバー四人と、クレイブ、セシルとメディエだった。プラトンはメディエの足元で、涙目になって蹲っている。
「それは、魔王を倒すためではないのか?」
「異世界の人の方が強いから、かな?」
「”魔王”はこの世界の住人では倒せないから、だったはずだよ」
「そのように神が定めたと、口伝がある」
その言葉に、メディエが否定の声を上げた。
「なんだよ、それ。魔王を倒せってゆーの? その為に異世界から呼んだわけ?」
「随分と、ひどい話だと思いますけど」
「でも、この世界に生きる事を、あなた達は受け入れていますね? そう。そういう人を選んで”召喚”しているのですもの」
この世界にいる事を受け入れたと言われれば、二人に否はない。
確かに二人は、この生活を楽しんでいるのだから。
「異世界の方が強いのは当然なのです。そのように調整しているのですから。魔術師の言う事が正解ですね。”魔王”はこの世界の住人では倒せない。この世の理に縛られる者では、望みを叶える事はできないのです。ですから──今回の事はチャンスでもあると、考えました」
「チャンス?」
「え……何が?」
ニンフだけではなく、その場にいる者全てが子供達を見つめた。
射るような視線を受けて、メディエがプラトンの後ろに隠れる。
「”聖剣”が召喚された──この認識を利用するつもりなのですわ。そうすれば、今後この世界は”異世界召喚”をする必要がなくなります」




