七話 海老と先輩冒険者
独房に二人で閉じ込められた翌日。
ひらひらと手を振る守衛達と分かれて、向かった先はギルドだった。
別に夜中に何があったわけでもなく、それなりに快適な一夜だったということにしてしまおう、というメディエの判断故だった。
「話は聞いてるよ──災難だったね」
顔を見せた二人に、カウンターの奥からクレイブが手招きをした。
「君達にちょうどいい依頼があってね。紹介してみても良いかな?」
「なんでしょうか?」
「おもしろいの?」
「うん、うーん。面白いかどうかは。メディエ君は猫人だったよね。水は大丈夫かな?」
ぴこぴこ動く黒耳を見て、クレイブが言う。
獣人は個々の獣成分の出方が違うため、猫の性質を持つメディエがどれほど猫に近いか──水が嫌いかどうかの確認だった。
「水遊びチョー大好き! お風呂もすきー」
「この子はお水は問題ありません。ほっておけばいつまでもお風呂で遊んでるくらいです」
「そっかぁ、じゃぁ問題ないね」
言って、クレイブが取り出したのは、”ロブヌター漁解禁”のチラシだった。
「北門から出て、しばらく言ったところに、湖があるのは知っているかな? ”王都の水瓶”と呼ばれているところなんだけど──そう、行ったことないんだね。良い所だよ。のんびりしていて、緑が豊かで。湖から北はずっと広葉樹林が広がっているんだけどね、生命の輝きがあふれた良い森でね。
あ、二人は入っちゃダメだよ。怖くて強い野獣がいたり、いたずらな妖精がいたり、面倒な精霊の集落があったりするからね」
「エルフッ!」
「エルフやニンフという種族にはあったことがないです。どんな人達ですか?」
エルフの言葉に反応してしまうのは、ファンタジー好きな人間の性質というものである。
「ああ。町からでなければ、彼らにあうことはないよねぇ────物語でいるだろう? 小さくて、森の中で踊ってたり、ミルクをあげたら靴をくれたりするような悪戯好きな種族が妖精達だよ」
クレイブは小さくて、のところで机から二十センチのところに手を置く。だいたいこれくらい、というイメージだ。
「しっちゃい……」
「それを言うならちっちゃい、だよ。ニンフもちっちゃいんですか?」
「いや、ニンフは人族の成人女性と同じくらいの大きさだな。彼女らはもともとは下位の女神だったと言われていてね。世界の守護の為に地上に降りてきて、自然の──山や川、湖を依代として守っているんだよ。もともとが女神様だからね、種族には女性しかいない。それも、すっごくきれいな女の人達なんだよ」
「へー。一回会ってみたいなぁ」
「女の人ばかりなんですか。それなのに森で生活して大丈夫なんでしょうか」
「彼女たちには寿命が無いし、老いることもないんだよ。だって神様にとっても近い種族だからね。ただ──会うのはやめた方が良いよ」
「どうしてでしょうか? 物語の女神様みたいな親切な人なんでしょう?」
セシルが思い出したのは、樵が湖に落としてしまった斧を取ってきてくれる、親切な”湖の女神”の物語だった。
「う──ん。どう言って良いのかなぁ。彼女達の”価値観”というのは、神話の時代の”価値観”で、今の時代の”価値観”じゃない、ってことなんだよねぇ」
「うにゅ? 強かったら良いの?」
「そうだね。彼女達は”英雄に試練を与える”役目も持ってるんだよ。他にも獣人や人族に恋をしたニンフが、彼らを攫い、夫にしたなんて物語もあってね」
「おぉ。うはうは」
「どこでそんな言葉を覚えるの。でも、攫われた男性はどうなるんでしょうか?」
「恐ろしいのはね、ニンフの住処は時の流れが違うことなんだ。ニンフのペットを助けた男性が、そのお礼にニンフの家でご飯をご馳走になった。満腹になって自宅に帰ってみたら、なんと! 百年経っていた──という話がたくさん残っているからね」
「うおおぉ」
メディエの耳が上がったり下がったり、せわしなく動く。
何を想像しているんだろうか、とセシルは異世界版”浦島太郎”を聞きながら思った。こちらの浦島太郎は、残念ながら玉手箱を貰えなかったらしい。
「そういうわけで、あまり関わりにならないほうが良いよ。もっとも、森には危険な野獣──狼とか、熊とかいろいろいるから、出会う前に襲われてご飯になっちゃうだろうからね」
「うーん。ゴハンになるのは嫌だなぁ」
「分かりました。森には入りません──あれ、でも湖は森の中にあるんですよね?」
「いや、湖の周辺なら大丈夫。そこから北が危険なだけだからね」
確かに、安全でなければ話を勧めたりはしないだろう。
「初心者でも安全な、ロブヌターの捕獲、だよ」
いくつかの注意事項を確認して、セシル達はロブヌター捕獲を受けることにした。
なんといっても、この話は依頼料が良かった。
ロブヌターは季節物であり、産卵期を前にした少しの時期しか漁を許されていない高級食材なのだ。歯ごたえのあるプリプリの身と、油の乗ったもっちりとした爪、その濃厚なミソはスープにコクを与えてくれる。大きなロブヌターの殻を食器に見立て、ホワイトソースを絡ませたロブヌターの身と野菜を詰め込んで、こんがりとオーブンで焼く。上に香草をまぶせば、この時期のご馳走であるロブヌターのグラタンの出来上がりだ。
煮てよし焼いてよしスープによし──この旬のロブヌターは小さいものでも、五匹小銀貨一枚で売れる。新鮮で型と質が良ければ銀貨で取引されることもあり、王侯貴族の食卓にも並ぶという一品だった。
また、食用になるピンクロブヌターとは違い、グリーンロブヌターというのも生息している。
グリーンロブヌターは、ピンクロブヌターのオスの事である。そのため、見目はピンクロブヌターと変わらない。ただ、カンテイの魔術を使えば、判別ことができるのだ。
残念ながらグリーンロブヌターは頭部に毒があり、尻尾には鋭い棘があり、しかも美味しくない。その身はぱさぱさとしていて水分不足の油不足である。オスが毒を持っているのは、縄張りとメス、卵を守るためと言われているが定かではない。
ただし、こんなグリーンロブヌターを求める者も存在している。毒をもっていることから、頭部は薬に、鋭い棘は加工して針に、身は保存食に利用される。
つまり、ロブヌターは雄雌かかわらず、非常に美味しいエモノといえるのだ。
こんな美味しいエモノに飛びつかない人がいるわけがない。
セシル達が網をもって湖に着くと、そこにはすでに多くの人々が網や釣竿を持ってロブヌターを獲っていた。
「おお! お? おぉ……うぅ」
メディエのテンションが一気に下降した。
なんとう人混みだろうか。これは、合格発表に群がる高校生か──もしくは、動物園のパンダに群がる人の群れを見ているかのようだった。
「すごい人だな。どうする? 奥のほうに向かうか?」
「奥って──あぁ、向こうなら人が少ないんだな」
確かに王都に近い側には沢山の人が群がっている。しかし、奥の方は比較的人が少ない様子だった。
「行こっか。ここはちょっと、いろいろ無理」
「だよね」
セシルは苦笑する。この周辺では持ってきた荷物を置く場所もない。せっかくなので生きたまま運ぼう、と皮袋まで持参したのに、この混雑ではどうしようもなかった。
「ところで、メディエ。約束は覚えてるよね?」
「約束? ん? 何の??」
「”セフト”」
セシルの言葉に、メディエが面白いほどに飛び上がった。
「も。ももももちろんさぁ。分かってる、分かってるよ。昨日誓ったもんなぁ。ヤらない! ヤらないって!」
すがすがしく信じられない。
もぞもぞと動かす手、自分に向けられない視線──膨らんだポケット。セシルはそれらにため息をついた。
「分かってると思うが。あまり繰り返すなら、無理にでも言うことを聞かせることもできる、とその頭に叩き込んでおくように」
「イエッサー。マム。覚えておりますッ」
宣言が可笑しいが、注目するべきはそこではない、とセシルはスルーした。
「よろしい。では向かう先は──」
二人は湖の奥、まだ人がまばらな地帯を目指すことにしたのだった。
タモ網で水草をつつくと大小さまざまな影が飛び出してくるので捕まえる。言葉で表すとそれだけなのだが、その作業にはコツが必要だった。
今は上手に網を操ることができているメディエは、最初に取り逃がしたロブヌターを思い出してはぶつぶつを文句を繰り返した。
「最初のヤツはさぁ。ほんとーに大きかったんだって。この網の半分くらいあったんだってば。今回のヤツなんか比べ物になんねーくらいだったのになぁ。ちえー、ちえー。逃がしちまうなんて、ほんっと残念~」
「はいはい」
メディエが捕まえたロブヌターを受け取り、カンテイをかける。ピンク・グリーンを振り分けて、袋につめていくのだが、なかなか大物を得る事はできていなかった。
「にしてもさぁ。ここって思ったよりも水草ないのなぁ。湖だし、もっとわさーってなってても良いのになぁ」
そこは、王都の水瓶にふさわしい水量の湖だった。その湖の底は岩や砂利が見えており、水草はまばらにしか生えていない。
日光を遮るものもなく、水量も豊富にあるのだから、もっと水草や藻が増えていても良いのに、とメディエは思ったのだ。
その答えは、思いもよらないところから返ってきた。
「この湖の水草はロブヌターが食べてしまうのよ。だから水草が生えないし、こうやってロブヌターを定期的に駆除しなくてはいけないの」
セシルがカンテイを行っている場所からも離れたところから、メディエに向かって声がかけられた。
「こんにちは。ちょっとおじゃましても良いかしら」
それは、昨日貴族令嬢の護衛をしていた冒険者の女性と、始めてみる男性だった。
女性は長い髪を動きやすくポニーテールにして、レイピアと弓を手にしていた。昨日は皮鎧を着ていたと思うのに、今日は普通のスカートを着ている。ずいぶん軽装備になっているようだ。
連れの男性は不機嫌そうにこちらをみていた。装備からでは、彼が何なのか良く分からない。身体を鍛えている風体でもなく、手に網を持っているということは、ロブヌターを捕まえる一般人なのだろうか。
「──こんにちは」
「ちは」
「こんにちは。昨日はごめんなさいね。こちらも好きでやったことではないんだけど──そちらに行ってもいい?」
セシルとメディエは顔を見合わせる。
「えーっと。今日は、あの、女の子は、一緒だったりは……」
「いいえ。彼女は切ったの。だから、もう彼女は関係ないわ」
「あのウサギモドキは性格が悪いよね。よりにもよって僕の兄さんに何しくさりやがってくれるのかなぁ」
「落ち着いて頂戴、ハーヴィ。子供達がおびえちゃう」
不機嫌な顔を歪ませて、男が言う。どうやら、彼らも彼らでウサギの令嬢に思うところがあるらしかった。
「関係ないならいいです。できたら、もう関わりになりたくないですから」
「貴族なんかには関わらないほうがいいよ。ホント。あのウサギモドキはヴェラ・ヒアシンスって名前だからね。ギルドの依頼主のトコロに中に名前があったら、避けたほうがいいよ」
「はい。ヒアシンスですね」
うんうん、とハーヴィとセシルが頷く。本来ギルドの依頼主の名前を明かすのは規則違反なのだが。
「ちょっと、ハーヴィ!?」
「なにか? 別に僕が依頼を受けたわけじゃない。こういうのは自衛できるようにならないと、という先輩からのありがた~い教えだよ。
ところでさぁ。君達昼は食べた? まだ? まだだよね?」
「どうしてですか?」
「実はね。兄さんがかなり落ち込んじゃってるの。兄さんのせいじゃないって言ってるのにさぁ。繊細な兄さんを傷つけるなんて、ほんっとあのウサギモドキ百回殺しても殺したり無いよね」
「はぁ、それで……?」
「兄さんが落ち込んでるのは、そこの仔猫ちゃんに乱暴した──というか、トラウマ穿り返しちゃったからでしょ? ウサギモドキが。モドキの手伝いさせられたことになるから、兄さんはショックなんだよね。そこで! 兄さんの弟であるこの僕が、兄さんの代わりに君達に謝るというのはどうかな? 高感度アップすると思わない?」
ぺらぺらと立て板に水を流すようにしゃべり続けるハーヴィを、三人は生暖かく見つめる。
「高感度……って、お兄さんの、ですよね?」
「ごめんなさいね。彼、ちょっとお兄さんが好き過ぎるのよ」
「せんさい……? 先妻、戦災、千歳、sensai」
メディエは昨日自分を捕まえた男と、”せんさい”という言葉が結びつかなくて首を捻っていた。あの、むきむきマッチョな図体で繊細──なかなか一致しないものである。
「改めまして。わたしはルリ、見ての通り軽戦士よ。彼はハーヴィ。ああ見えて腕の良い魔術師なの。昨日の二人を合わせて、四人で冒険者をやっているわ」
「オレはメディエ」
「私はセシルです。よろしくお願いします」
「ふふふ。クレイブが──あ、分かるかしら? ギルドの受付の子なんだけど。彼がかわいいギルド員が増えた、って喜んでいたわ。あなたたちの活躍を楽しみにしているわね」
「はぁい!」
にっこりとルリが笑う。つられて三人で笑みを交わして──
「だいたい、なんで王宮なんかに行くことになるのさ。どうせノアのヤツが失敗したにちがいないのに。なんで兄さんまで付いて行かないといかないわけ。護衛がどうの……って、神官の兄さんに護衛される戦士ってなんなの。死ぬの。兄さんだって断ればいいのに、ほいほい付いて行くんだから。王宮も嫌いだって言ってたのに、ノアにお願いされたらオッケーって、どんだけノアに甘いんだよ。その分僕を甘やかしてくれたら良いのに」
「あら、じゃぁアナタはわたしと一緒よりも、ノアとリヴ兄さんと王宮に行くほうが良かったと言うの?」
「まさか! 今日はせっかくの君とのデートの日じゃないか。前から約束してたのに、そんな事を言わないでよ」
「だったら、ダーリン、こっちを見て。子供達に何か言うことがあるでしょ?」
「ああ、うん、えっとね。お昼ごはんを一緒に、どうかな?」
不機嫌さを取り払ってへにょりと笑った魔術師は、ずいぶんと整った顔をしていた。
Sir:上官(男)への返答
Ma'am:上官(女)への返答、が正解です。