四十六話 四魔将のネーミングと勇者の疑問と確信犯の精霊
幻獣は弾丸のようにまっすぐ飛んでいた。青く美しい空を南に翔ると、見えてくるのは瘴気に侵された世界だ。漆黒に見える瘴気を含んだ風が、青空を黒く染め上げ、日の光を閉ざしてしまう。
どんよりと濁った空気は、強い酸を含み、カラドリウスの体を焼いた。その瘴気はどんどんと強くなってゆき、闇神殿で最悪となる。すべての瘴気はこの闇神殿から溢れているのだった。体を焼く瘴気から身を守るために、カラドリウスは結界をはり外気を遮断する。それでもあまり長居はできない。
カラドリウスは神殿の入り口で声をあげた。
『主殿。主殿──』
「……随分と早いな。何か予想外の事でもあったのか?」
カラドリウスの呼びかけに、神殿の奥から黒司祭が出てきた。カラドリウスに監視を任せて、まだ数日しかたっていない。この数日でなにか起こったのだろうか──いや、早すぎると、黒司祭は首をふった。
カラドリウスが告げたのは、信じられない出来事だった。
『予想外といえば予想外。蠱惑と黒騎士が破れたぞ』
「なんだと? いや……まさか……」
『まさかまさか。しかも白翁も所在不明。しかも、召喚されたるは"剣"であるそうな』
「それでは、ここに向かっている勇者は……」
『うむ。この世界の者ということだ』
「な……なん……という事だ。何とかして勇者を止めなくては」
召喚された異世界の者ならばいざ知らず、この世界の住人にとって、瘴気は毒である。闇神殿どころか、魔族の領域に近づいただけでも、皮膚は焼かれ、喉が爛れるだろう。闇神殿は命の危険すらある場所だった。
『うむうむ。ところでの──』
「うん? どうした?」
『我は役にたったな』
「ああ。勿論だ。いつも感謝している」
『そうか。では、の。その……』
カラドリウスは、もじもじと足を動かした。落ち着かなく顔を動かして、意を決したように黒司祭を見上げた。
『なでるがよいぞ。我の頭を撫でて、褒めるがよい』
「……私も、できるならばそうしたい。だが、この身は、すでに瘴気に侵され尽くしている。私の全身が瘴気の塊なのだ。お前に触れれば、お前の身を焼く事にしかなるまい」
『ムゥ……』
「すまないな。だが、お前の事を思ってなのだ。許してほしい。あぁ、だがお前に何もしてやれないのは残念だ。蠱惑がいてくれたならば、お前の事を頼めただろうに」
『蠱惑は、もう、おらぬ』
「……黒騎士も、か」
一人になってしまったと呟く黒司祭の顔は、闇に隠されて誰にも見えなかった。
「他の魔人達は人に混じっているゆえ、闇神殿を訪れたのは、四人だけだった。われら四人をして四魔将、などと笑ったのは蠱惑であったのに。──そうか、もう──皆、いないのだな」
『まだ白翁がおろう! 我もおる!』
ばさばさと、乱暴に羽を揺らしてカラドリウスが言う。だが、白翁はどこで何をしているのか、全くつかめていない。
「あぁ。そうだな。お前だけだ」
黒司祭は目を閉じて、在りし日を思った。かつて、人であった頃を──
○ ○ ○
手元に返ってきた小瓶を握りしめて、聖女は祈っていた。ただひたすらに、神の意思を問う。問い続ける。
自分が死ぬことが神の御意思だと、神官達は言った。ならば、せめて神の御言葉で宣言してほしかった。死ねと──ただ一言でもあれば、聖女はその言葉に殉じるつもりだった。
けれど、神は沈黙したままだった。
「神様の声は聞こえますか?」
「……勇者、様」
勇者に声をかけられて、聖女は顔をあげた。いつの間にか馬車は停まっていて、開いた扉から勇者が顔をのぞかせていたのだった。
「どのようなご用件でしょうか」
「僕は神様の声を聞いたのは、アレが最初で最後だったんです。この旅の中でも神様の声は聞こえませんでした。……実は、結構スキルを使っているんですけどね」
「そうですの。──では、その一回が特別。もしくは気の迷いだったのですわ」
「聖女様はどうですか。旅の途中で"声"は聞こえましたか?」
「え。あ、わたくしは……いいえ。お応えいただけません」
戸惑いながらも、聖女は正直に答えた。うんうん、とヒイロは頷く。
「ですよね。なんだか、こちらを御覧になっていないみたいですよね」
「か、神は! 神は皆を平等に愛し、見守っていらっしゃいますわ。身の程をわきまえぬ不遜な事をお言いですこと」
「本当に、そう思っていますか?」
「ええ! ええ。勿論です!」
「──お邪魔しますね。なんだか、皆さんの視線が痛いので」
言葉と共に、ヒイロは馬車の中に身を滑らせた。そのまま、後ろ手に扉を閉めてしまう。
「聖女様をいじめるな──って。口答えするなって、怒られました。神官さんは怖いですね」
「神官が申し訳ない事をいたしました」
「いいえ。もとはナルさんと僕が、聖女様を泣かせちゃったから」
ヒイロの言葉に、聖女が俯いた。
白い手に包まれた瓶が主張するように、目の前に飛び込んでくる。その瓶からも、聖女は視線を外した。
ヒイロからも、瓶からも視線をそらし、聖女は何もない床をだけを見ていた。
「ねぇ、聖女様。こんなこと、聖女様にしか言えないんですけど。……勇者って、何をしたら良いんでしょうか?」
「え? それは。勇者様なのですから。……魔王を倒すのが勇者様の使命ではありませんの?」
「じゃぁ、魔王が倒せなかったら? それでも、僕は勇者でしょうか?」
ヒイロの疑問に、聖女が疑問を返す。
勇者は”勇者”。それは神の定め。神の意思なのだから、魔王と倒して世界を平和に導くべきだと、聖女は答えた。
「勇者様は勇者様です。神がそうお示しになりましたもの」
「でも、聖剣は抜けませんでした」
「え? あ──そうでしたの? 王都でお試しになりましたの?」
「はい。びくともしませんでした」
ヒイロは王都を出る前に渡された聖剣を思う。
立派な鎧を着た騎士に剣を渡され、抜くように促されたのだが、抜けなかったのだ。どんなに力を入れても、刀身は姿を見せなかったのだ。
「それで思ったんです。僕は勇者かもしれないけど、”魔王を倒す勇者”なのかな? と──」
「でも、神託がありましたわ。勇者はあなただと。”リンクーガの町のヒイロ”あなたこそが勇者だと」
「うん……そうですね。でも、神は魔王を倒せとは言われなかった」
「あ──」
聖女が顔を上げた。
そういえば──今更な話ではあるが──確かに、神託には”魔王”という言葉は出てこなかった。かもしれない。
聖女は神託の記憶をたぐる。
あれは、あの時神が言っていたのは──
「なすべきことをなせ。僕の運命を、やるべきことをやれと。広い世界を旅して試練を乗り越えろ。神はそう言われました」
「そうですわ! その通りです。ですから、魔王を倒すことこそが、勇者様の成すべきことのはずです」
「──本当に?」
ヒイロと聖女の視線が交わる。聖女は視線をそらす事も出来ず、呑まれるように見つめあった。
「本当に、そう思いますか?」
○ ○ ○
二人の視線が交わる。
引きつった微笑みを浮かべたのはクレイブで、顔をそむけたのはセシルだった。
メディエはクレイブよりも女性の方が気になって、上から下まで遠慮なく舐めるようにじっくりと見ていた。
「ああぁぁぁ。目逸らされちゃったぁぁ」
「あらあら。自業自得というものですわね。くすくす」
「それで、何のご用事ですか?」
「むー。きれいな服着てるから、貴族のお姫様?」
メディエの言葉に、女性は首を振った。
「いいえ。人ではありませんわ。精霊ですのよ。人と神の境をさまよう存在。永劫を生きる者ですの」
「へ~。んで、そのニンフサマが何のご用でしょう?」
「あらあらあら。決して意地悪に来たのではないの。ただ──そうですわね。すこしお話ができたらと思って」
「えぇぇ~」
「異世界の事とか、お話できたらと」
さらりと告げられた言葉に、メディエの耳が立ち、セシルが一歩身を引いた。
「……何を、どこまで知ってるんでしょうか?」
「どこまでも。人とは似て異なる存在と言ったでしょう──勇者の協力者にして英雄に試練を施すモノ。数多の次元を見るモノ──世界の始まりと終わりを識るモノ。わたし達の目を欺く事は難しいの」
メディエとセシルが警戒したようにニンフを見る。
わかってはいたが、目の前の女性はかなり厄介な存在だった。逃げようにも、隙が見つからない。
「逃げてはいけませんわね。あなた方の可愛いペットがどうなるか……」
「犬質とるなんて、ひでぇよ!」
「……それがニンフのすることですか?」
「あらあら、まあまあ。嫌だわ。ただあなた達を、里に招きたいだけなのに……」
いかにも悲しそうな顔を作って、ニンフが言う。
その言葉に、少年達は顔をしかめ、クレイブは声を上げた。
「じゃ、じゃぁ。召喚された勇者って──二人の事なんだ?」
「あら──」
ニンフが少年達を見て、クレイブを見て──
「ごめんなさい。ばれてしまいました」
「ばらしたんだろ!」
「隠してるの知ってて、ですよね。サイテイです」
メディエとセシルから、盛大なブーイングを受けたのだった。




