四十四話 英雄の置き土産と勝利と苦み
火蜥蜴は竜の眷属だと言われている。竜と同じように鱗で全身を被い、竜と同じ光彩を持ち、竜と同じように炎を吐く。
一般的には眉唾物だと思われている話だ。しかし、その説が正しかったことを、目の前の火蜥蜴が証明していた。
何故ならば、ほんの数分で、火蜥蜴は竜族へと変わっていったのだ。それも、騎士達とナルの目の前で。さすがに、目の前で行われたモノを、見なかったことにはできず、ナルは頬をひきつらせた。
トライアは竜の近くまで走り寄って、剣で竜を牽制している。一度は切りつけたのだが、分厚い鱗に遮られてしまい、竜に傷をつけることはできなかった。
勿論、フィオの投げたナイフも弾かれ、地に落ちている。
ナルもナイフを構えるが──さてどうしようかとトライを窺った。
「おォーい。どうするよ、ソレ?」
「放置するわけにはいかん。ここで始末したいのだが……さて、どう処理すべきなのか」
竜の尻尾を避けながら、トライアが言う。竜の鱗は堅くて刃が通らないが、動きは鈍い。単調な攻撃を避けることは何の問題もなかった。
ヒラヒラと身をかわして竜の尾を、腕を、炎を避けていた。しかし、剣が鱗に弾かれてしまう以上、有効打はない。そのまま、一人と一匹がにらみあっていた。
そこに、トルクの声が割り込む。
「ヒイロ。行け」
「あ、はい……はいィ?」
その言葉に、ヒイロだけではなく、騎士の間にも動揺が走った。
トライの剣でも弾かれてしまうのだ。ましてやヒイロでは、竜の一撃をかわせるかも定かではない。トルクが無茶を言い出したと、騎士達はざわめいた。
「なんの。なんの問題もない。相手はただのレッサードラゴンではないか。ソレと比べれば、魔犬の方がずいぶんと早い。鱗は固いが、それだけだ。ただ固いだけの木偶の坊にすぎん。気をつければ何の問題もない」
ざわつく騎士達に向けて説明が入る。
”ただ固いだけ”という言葉に顔をしかめる者もいる。不意を突かれたとはいえ、目の前で一人犠牲者が出ているのだ。それなのに、何という言い草なのか。
騎士達は、竜へと向きなおったヒイロを、心配そうに見ていた。
(なるほど、犬よりも遅い。思った以上に固いなぁ。手が痺れちゃった)
ヒイロは竜を目がけて駆けだした。途中で距離をとったトライアとすれ違うと、「がんばれよ」と声援を送られた。
そのまま竜の前まで移動して、竜の動きを捉える。尻尾の一撃は、確かに重く痛そうなのだが、溜めが長く分かりやすい。加えて、尻尾もそこまで長くはないので、体ひとつ分を移動させれば、避けるのも簡単だった。
前後左右に振られる腕には、するどく尖った爪がついている。尻尾よりも機敏に動かせる手は、当たれば相当な脅威になると感じた。が、当たればの話である。竜の腕は思った以上に短く、かなり近づかないと脅威にはなりかねなかった。
口から放たれる炎も恐ろしい攻撃である。しかし口を大きく開けると言う動作が必要で、しかも炎はまっすぐにしか進まなかった。強力ではあるが、当たらない攻撃でもある。
ただ、固い。ヒイロの剣は頑強な鱗に跳ね返されて、傷一つつけることはできなかった。むしろ腕に返ってきた衝撃で、しびれが走るほどである。
どうすれば良いのかと、ヒイロは頭をひねる。試しにと打ってみた魔術までも、鱗の前に散らされた。
「鱗がダメなら……」
何度繰り返しても傷をつけられなかったヒイロが、目標を変える。炎を吐くために開かれた口に、剣を押し込んで手を離す。ギラギラとした瞳には、予備で持っていた短剣を突き刺した。目と口内にはするりと刃が通り、竜が怒りの声をあげる。吐き出される炎をかわすと、近くにいたトライアが新しい剣をヒイロに差し出した。
「いける!」
目を潰されて怒りにふるえる竜を相手に、ヒイロは受け取った剣をかまえる。全身でヒイロを押し潰そうとする巨体をかわし、すれ違い様に剣を突く。ぐっと喉の奥まで刺さった手応えを感じて、ヒイロは柄から手を離した。
そこに、また剣が差し出される。
「あ、ありがとう」
礼を言って受け取った剣。それが竜を倒す最後の一撃となったのだった。
○ ○ ○
戦いに勝利したというのに、その場には手放しで喜べる雰囲気はなかった。静かで重い空気が周囲に漂う。肩を叩かれて、ディーノは地面を睨み付けていた目をあげた。
「……ノア……」
無理矢理に絞り出したディーノの声はかすれ、ぎゅっと握りしめた手からは血の気が引いていた。もっとも、そんな状態なのはディーノだけではない。騎士の中でも年配の者達は同じように、顔を青ざめさせていた。
その様子を年若い者や魔術師達が窺っている。魔人を倒した事を喜びたいのに喜べないという、なんとも微妙な空気が流れていた。
ポチやレナードはディーノに遠慮するように、静かな声で撤収の命を下していた。それに従う者達も、大きな音を出すのを恐れるように、ただ地面を凝視して動かない者達を気使うように、黙々と動いている。ちらちらと向けられる視線には、強い不安が混じっていた。
「落ち込むのは、全てを終わらせてからにするんだな。アレが本当に先代だったのか……」
「間違いなく団長だった。──私はあの方に憧れて騎士になったのだ。それなのに、私が団長に刃向かう事になるとはな。──なぜだ。なぜこんなことに」
「それを悩むのは後にしろ。今はこの場をおさめるんだ」
「…………そうだな。今は魔人に勝利した事を、祝おうか」
それでもディーノの顔は晴れない。
ここにいる半分──先代団長を知っている半分──の気持ちは同じだろう。どうして、なぜ。口にしても仕方がない疑問が頭の中から離れないのだ。
そんな曇った顔のまま、ディーノは皆に宣言した。
「天上の神々もご照覧あれ! われらの剣が、勇気が、知恵が、魔人の邪心を打ち砕いたのだ。われらが魔人を……倒したのだ!」
ディーノの言葉を追うように、若い騎士達の声が雄たけびとなって響き渡った。年嵩の者達もぎくしゃくしたまま、同じように武器を掲げていた。
「サドめ」
「ノア。……もう少し言い方と言うものが……」
離れたところで様子を伺っていた兄弟が呟く。弟は楽しそうに目を細め、兄は頭を抱えていた。
○ ○ ○
王都の外から響いてくる声に、住人達は身を震わせた。
何か良くない事が起きているのではないかと、知り合い同士で固まって、様子を伺う。
そういえば、昼過ぎに騎士と魔術師の団体が、武装して外に出て行っていたと、誰かが言った。
その言葉に同調する者達が現れて、騎士達が出て行った外門の近くは人だかりで一杯になってしまった。
先の女魔人の件もある。何が起きたのか。また魔人がらみなのか、それとも魔獣か──不安に顔を曇らせる住人達だったが、凱旋の騎士達を見て不安は消し飛んでいった。
いかにも魔術の者だとわかる光をこぼれさせた槍と、同じく魔術の輝きを纏ったままの盾。
戦闘があったのだろうが、騎士達は傷一つ負っている者はいなかった。
そして、それは魔術師も同じであった。草臥れているようには見えるが、それでも怪我なく元気に歩いている。
彼らの元気そうな様子に、何かがあったのは確かでも、悪い結果にはならなかったのだと、安堵の声がしていた。
と、道を行く騎士の一人が立ち止まって、声を張り上げた。
「王都に暮らす民よ。先ほど、騒がせた事を謝罪する! どうか聞いて欲しい。我らは先ほどまで魔人と戦っていた。そして、それに打ち勝ったのだ!」
”魔人”と”勝利”という言葉が、住人の中に浸透していって──
「万歳! 騎士様、王様、万歳!」
「おめでとう! 勝てて良かった」
「万歳、万歳、万歳」
祝いの声が、一気に広がった。




