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四十二話 精霊の依頼と依頼終了


 なれた手つきで、クレイブは精霊(ニンフ)の前にお茶を出す。

 薄い陶磁器でできたカップには、琥珀色に輝く紅茶がたっぷり注がれていた。

 そっと、ニンフが上品な仕草でカップを持ち上げる。甘い花の香りが立ち上がり、クレイブとニンフの間に流れていった。


「それで、なんのご用事でしょうか」

「あら、せっかちですこと。クスクス……定命の方は気が早くて困りますわ」

「永遠を生きる方にはおわかりいただけないでしょうね」

「あらあら。望んでくださるなら、永遠を共にいたしますのに。ほんの少しの時間で、メタボな体型になってしまわれるのですから。ええ、本当に衝撃でしたわ」


 クレイブがギルドに勤める前を知っているニンフの言葉は厳しい。確かに、王都には食べ物があふれており、事務仕事で体を動かすこともない。仕事の時間も生活サイクルも不定期となれば、ストレス太りも当然だった。


「そ、そんなに変わりましたか?」


 おずおずと、クレイブが疑問を口にする。彼としては、体重が増え、以前の服が入らなくなってしまったのは気がついているのだが──しかし、酷評されるほどではないと思っているのだった。


「ええ、まったく酷いものですわ。以前の面影が全く見られませんもの。

 おぉ、時間とはなんと酷い(むごい)存在なのでしょう。あらゆる生き物に平等にふりかかる試練。望む望まぬに関わらずもたらされる、神々の恩恵。逃れられない運命への鎖。人にも、魔族にも、竜族や、妖精族にも──生きとし生けるもの全てにもたらされる終末への道行。

 それとは別の次元で、わたくしは時を恨みますわ」


 ニンフは悲しそうに首を振った。


「……ひ、人ですから」

「あらあら。定命であることを言い訳になさいますのね。本当に酷い方」


 喉を潤した紅茶を置いて、ニンフは目頭を押さえて見せた。


「だ、騙されませんよ。騙されるまでは」

「あらあら、クスクス。もっと慌てていただけると思いましたのに、残念ですわ」

「……それで、結局、何のご用事なんですか」


 肩を落としてクレイブが言う。


「そうですわね。──勇者を召還したのはご存知よね? その勇者を里へお招きしたいと思っているの。里の時間を外と合わせているのは、その為ですのよ。あなたには、勇者と会わせていただこうと思いまして」

「は? えっと──。召還があったのも、勇者がいるのもその通りですが。でも、召還できたのは聖剣で、勇者はこの国の少年が指名されたのですが」


 驚いたクレイブの言葉に、ニンフが目を見開いた。


「あらあら、まあまあ。何を言いだすかと思えば。おかしなこと! 勇者は確かに召還されましたわ。そして、今この近くで、魔人と戦っています」


 ほら──と、ニンフは目を閉じて、聞こえてくるコエに意識を向けた。


「聞こえませんか? 争いの声が。感じられませんか? 武具を飾る異世界の魔力が。響きませんか? 神々の波長(レンジ)で交わされている会話が」

「無理です」


 耳をすませても、クレイブには争い事など感じられなかった。異世界の魔力を感じる前に、目の前のニンフの魔力でこの部屋は塗りつぶされている。他の者の魔力など、欠片も感じる事はできなかった。

 ましてや、神々の波長など、感じ取れる方がおかしいのだ。


「あらあら、そうですか。残念ですわ」

「その”波長”とはなんなのですか? 神様じゃないのに、神様の波長で話をする人がいるのですか?」


 おかしな言いようだと、ニンフは笑った。


「あらあら。何もご存じありませんのね。さて──どうしましょうか。何と説明すれば、理解していただけるかしら……。

 そうね──たとえば、ですわ。犬、そう。犬という種族は、人族には聞こえない音が聞こえていることをご存知でしょう?」


 さすがに、その話はクレイブも知っていた。

 調教師(テイマー)達は、犬笛という、人には聞こえない笛を使って、犬の調教を行っている。人には聞こえなくても、その”音”は確かに犬達には届いているのだ。


「ええ、王都でも時々見かけます」

「それと同じ事なのですわ。神々の操る言葉は、人には聞き取れないのです。波長が違いすぎますから。

 けれど、時々現れますのよ。神々の声が聞こえる者達が。もっとも、その人達は”聞こえる”だけで”話す”ことはできません。”神の声”は、人の声帯では発音は無理なのです。──本来ならば。

 けれど、この度召喚された”勇者”は、神の言葉を操っているのですわ。”聞く”だけでなく、”話す”事もできているのです。これがどれほど稀有なことなのか、お分かりいただけますか?」


 ふむ──とクレイブはニンフの言葉に納得した。

 時々現れると言う、神の声が聞こえる人というのは、神託(オラクル)スキルの持ち主の事だろう。勿論、彼らが神と言葉を交わした、などという報告はない。一方的に会話を”聞く”だけなのだから、間違いないだろうと思案する。

 では、ニンフの言った”話す”というのは、どういう事なのか。神々と直接話をしているとでもいうのだろうか。


「その──神々と話ができる者が、戦闘中なのですね?」

「そうですの。もっとも……そろそろ終わりそうですわね。”最後の一撃”が放たれたようですから。すぐにお開きになりますわ」


 そうしたら、どうにか”勇者”を捉まえてほしい、とニンフは言葉を続けた。


「わかりました。どうにか探してみます」

「よろしくお願いしますね。あなたを、困ませるような難事ではありませんわ。クスクス……」


 クレイブの前で、ニンフがにっこりと微笑んでいた。




 ○ ○ ○




 黒騎士の様子を見ながら、セシルはタイミングを図っていた。

 できるだけ自然に、騎士の攻撃に合わせて黒騎士に魔法を当てる──魔法の準備を終えて、セシルはその時を待っていた。


「さようなら……」


 騎士の一人の槍が、動きの鈍くなっていた黒騎士の肩を貫く──それに合わせて、セシルが風の光線(ドゥレイ)を撃つ。セシルの半分以上の魔力を込めたその魔法は、槍を起点に発動し、黒騎士の右半分を削り取った。

 思いもよらない結果に、騎士達が勝利の声を上げるのが見えた。その勢いのまま、黒騎士の体に槍が突き刺さる。

 何本もの槍を受けながらも、黒騎士は最後まで”姫”を抱えて──最後には地に沈んだ。


 念の為にと、魔法(パシーブ)で死亡を確認して──セシルはメディエに終了を告げた。


「ミッションコンプリートだ」

「おー。おつかれ。ほい、魔力回復薬ドウゾ」


 メディエが回復薬をセシルに渡す。今日のセシルはスキルを使い倒しで、さぞやお疲れだっただろう。

 へにょへにょの気力を回復させるには──


「プラトン、ゴー」


 二人の近くで、大人しく待っていたケルベロス(プラトン)にアニマルセラピーの指令を出す。ワオン、とプラトンが了解の意を叫んだ。

 ふさふわの毛のケルベロスが、セシルの足元までやってきて降参のポーズをとる。

 じーっと、三対の目でセシルを見上げて──顕わになった腹の誘惑に負けて、セシルはそっと手をおく。意識せずとも、手は自然にプラトンの体をもふっていた。


「ああ、癒し……」

「いくらでもモフって良いのよ~」


 しばしの間、セシルは気力回復に努めたのだった。


黒騎士の包囲が完成していた場合、東西南北の門から一斉に死霊の大群が王都に攻め入りました。王都は混乱し、陥落。からの、リヴの自己犠牲魔術発動となるのでした。その後、黒騎士もノア達も王都を去り、王家の下で復興を開始するのでした。

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