四十一話 勇者一行は森を目指す
「剣をつかえ!」
後方から告げられた指示に、ヒイロは長剣を振り下ろした。二度のフェイントで相手を撹乱し、魔獣を切り捨てる。
満足いく結果に、ヒイロは後ろからは見えない角度でガッツポーズをした。
「ふむ。なかなか宜しい。では、次は魔術を使ってみようか」
「はい、がんばります!」
トルクの言葉に、ヒイロは頷く。
血に濡れた剣を持ったまま、ヒイロは魔術を使う準備に入った。
魔術を使うために、意識をクリアにする。体の中と外の魔力を認識し、一つに集めて、放出するのだ。
目を閉じて、周囲の魔力を感じると、人と動植物に混じって、不快な──粘土のような粘りけのある魔力を感じる。ドロドロとしたそれは、魔獣のもつ魔力だった。魔獣は人とは相いれない魔力を持っているのだ。
ヒイロは、集めに集めた魔力を魔獣に向ける。
「ホノオノヤ」
逃げる間もなく、魔獣が炎に包まれる。
ぎゃおんと、一声鳴いた魔獣は水の魔術を使い、体を包む炎を消し去る。先手を取られた怒りをたたえ、ヒイロを睨みつけて威嚇の声をあげた。
「グルリィヤアァァァ」
魔術の手ごたえを感じ、ほっと息を吐いたヒイロが目を開ける。
その目の前に飛び込んできたのは、自分と同じサイズの熊の魔獣だった。焦がされた毛は縮れてはいるが、それ以上に活発に動いている。
両手を振り上げた威嚇に、ヒイロの頬が引きつった。
「も、もう一度──」
あわててヒイロが魔術を使おうとするが、それよりも早く魔獣が四肢をついて走り出した。勿論、狙うのはヒイロである。
大人と変わらないスピードでヒイロに肉薄する。まだ魔術が発動しないヒイロに向かって前肢を振り上げて──ヒイロは上がった右手を肩ごと切り落とした。
「あっ──っす、すみません。魔術を使うんでした」
とっさに出てしまった一撃に、ヒイロが慌てる。ギリギリまでは魔術で対応しようと思っていたのだ。それなのに、つい剣が出てしまった。
そう、騎士たちの指導を受けたヒイロは、かなり剣技が上達している。目の前の熊の魔獣ならば、一撃で倒す事ができるほどになっていた。
「まぁ、仕方あるまい。次こそ魔術を使うのだぞ」
「はい。頑張ります!」
トルクの言葉に、ヒイロは元気よく答えた。
ヒイロの実戦訓練の様子を、ナルは騎士達と共に眺めていた。
「はぁ……頑張るねぇ」
朝からトルクにしごかれているのが気の毒だと、ナルは呆れ顔だった。
「そうは言うが、なかなかの剣捌きではないか。日頃の努力のたまものだろう。フム──才能があったのだなぁ」
「おいおい……。才能があったからシゴイたんじゃネェの? いじめ? いじめだったんですかァ」
指導していた騎士の、今更の言葉にナルは引いた。
「まさか! 前途ある少年が覚悟を持って、教えを請うてきたのだ。全力で答えてやるのが誠意というものではないか」
「そのこころは?」
「新らしい服や鎧が土にまみれ汚れ、傷ついてゆくのを見るのが快感──」
「サドかッ!」
「違いますよ。トライアはマゾです。──傷ついているのが自分だったら……と夢想して、悦に入る性癖です」
「うるさい。誰にも迷惑かけてはいないはずだが」
「いや……ひいたわー。ないわー」
朝の片づけを終えたフィオが合流してきて、三人でヒイロの訓練を見ていた。
どこかに仕込んでいるのかと疑うくらい、ヒイロとトルクの周りには魔獣がよってきていた。先ほど二頭の魔獣を切り捨てたばかりだというのに、新たな一頭が近づいてきている。茂みの中に隠れた気配を感じて、ナルはこの連戦について違和感を感じていた。
しかも、現れた魔獣はヒイロしか見ていない。ただヒイロの相手をして、殺されるために現れているとしか思えないのだ。
作為的なモノを感じても仕方がなかった。
「どうなってンのかねェ」
「さて。勇者の成長になるのなら、甘んじようと思うのだがな。──下手につついて、高位魔獣などけしかけられては、勇者の身が危ない」
「裏があるとしたら、魔術師殿でしょう。神官達にはそんな力はありませんし、聖女もそうです。隠し玉がありそうなのは、魔術師殿だけですから」
「まァ。そうだろうなァ。あのじーさん、何してくれてんだか」
藪はつつかない方がよさそうだ、とナルがトルクの様子を伺う。
魔術か何かで魔獣を操っているのだろうと思うのだが、平然とヒイロに指示を出す姿からは、魔力の流れを感じる事はできなかった。
(さすが魔術師。手持ちの札は隠してこそだよなァ。だが、何か匂うンだよなァ。アイツ──本当に人間なのか? そういえば、英雄殿にも違和感あったンだっけ──アレも気になるなァ。放置はできねぇけど、騎士達もつかえねェ。……めんどくさいな、なんでオレこんなこと考えてンだろう)
ナルの目の前では、また一頭の魔獣をヒイロが切り殺していた。その隙をついて後ろから襲ってきた魔獣を、カゼノヤイバで叩き落とす。
ヒイロの流れるような動きに、ナルは心から安堵していた。
今のヒイロは、王都を出た時とは比べ物にならないほどに強くなっていた。このまま成長すれば、名実ともに”勇者”となれる日も近いだろうと、思ったのだった。
しかし、相手にはナルよりも速く動ける魔人がいる──かもしれないのだ。
もう少し強く──せめて、身を守れるくらいには強くなって欲しいと、ナルはヒイロに心の中でエールを送った。
「今、なんと──」
聖女は震える声で神官に応答した。
セクドの町を出て北に向かう道中での出来事である。
数の減った騎士達は朝の支度や野営の片づけを行い、ヒイロはトルクと共に魔獣との戦闘訓練を行っている。聖女の周りにいるのは神官が二人だけ。そのうちの一人から告げられた言葉が信じられなくて、聖女は顔を青ざめさせた。
「以前にお願い申しあげました事を、実行する時が近づいてまいりました。聖女様には、神々の御心に添われますよう……」
「…………おさがりなさい」
「聖女様──」
「おさがりなさい」
「……失礼いたします」
朝餉をすませた皿を持って、神官は馬車を出てゆく。
それを見送って、聖女は一人、放心したように扉を見つめた。
(わたくしは──わかっておりました。わたくしには何の力もない事を。わたくしはこの旅の足で纏いでしかないことも。それでも、それでも。どうして──?
……大神官様。これは罰なのでしょうか。あなたに背いた──愚かなわたくしに下される、神の罰なのですか?)
聖女の記憶に残る大神官は、厳しい人だった。大神官を思い出すとき、必ず出てくるのが冷やかな眼だった。その瞳に映りたくて──けれど怖くて、近づきたいけれど近づけない。そんなジレンマを感じていたのだった。
恐ろしい人──厳しい人──聖女を嫌っていた人──
だから、大神官は死んだのだ。
大神官の冷たい目に見据えられた気がして、聖女は身を震わせた。
”聖女”をやめさせろと、彼はよく言っていた。
レプリカは本物にはなりようがない。スキルはあくまでスキルでしかない。スキルによって神の御心をはかるなど、愚行はなはだしいと。
だから、大神官は死んだのだ。
神殿の──神の怒りに触れて、死んでしまったのだ。
(神の御心に添うために……わたくしも、そうしなくてはいけないのですか……勇者様──わたくしはどうすれば……)
聖女の瞳から涙がこぼれ落ちた。




