三十八話 英雄の望みと執着
(上手くいかない。魔獣が増えない。望みが叶なわない。なぜだ、なぜだ、なぜだ。こんなに願っているのに)
ぶつぶつ、とアレフは呟きながら、最後になるであろうセクドの町の見回りを行っていた。
見回りと言っても、アレフの場合は、他の騎士達と目的が違う。
騎士達は魔獣を見つけ退治するのが目的だが、アレフは魔獣を増やす事が目的だった。
「どうしてうまくいかないのだ──」
上手くいかない理由は、アレフにはわからなかった。
どうしてだろうかと、首をひねりながら裏道を進んで、望んだ相手の影に足を止めた。
それは、一匹の魔獣がナニカを貪り食っている姿だった。
「ん? あれはなんだ──人、なのか」
魔獣は全身を真紅に染めて、獲物の体内に顔を埋めている。ぴちゃり、くちゃりと獲物を咀嚼する音が響いていた。
そういえば、とアレフは王都での事件を思い出していた。
あの時も、魔犬は市民達を襲って喰っていた。アレフの目の前で、無力な市民達が頭から齧り付かれていたのだ。
そうだった。魔獣達の餌は、獲物は、ヒト──
「人を食っているのか──」
アレフの悩みへの回答が、目の前にあった。
餌──餌が必要なのだ。
目の前が明るく晴れ渡るような開放感を、アレフは感じていた。この数日の悩みが解消されたのだ。
これは、神が与えたもうた啓示にちがいないと、アレフは神に感謝の祈りをささげた。
魔獣が顔を上げ、アレフを見た。
魔獣の瞳が、アレフを値踏みするように見る。今口にしている獲物よりも、アレフの方が上等だと判断したのだろう。魔獣がアレフへと体を向け、一歩二歩と近づいて来た。
アレフは、じっと魔獣を見つめている。
願いが叶おうとしているのだった。魔獣を増やす事、英雄を生み出す事──今の地位から去る事。
アレフは、夢見心地で魔獣を待つ。
だが、小石が跳ねる音が響く。魔獣は警戒してアレフから距離をとり、我に返ったようにアレフは身を翻した。脇目もふらず、その場から立ち去る。
本来ならば、逃げ出した獲物を追うのが犬の本能だった。しかし、そこにいるはずの第三者を警戒して、周囲の音を拾う。
魔獣の後方からかすかな呼吸音を拾って、魔獣は逃げ出そうとした。そこにいるのが自分より強い生き物だと悟り、逃げ出そうとしたのだ。
しかし、追跡するように飛んできたナイフに身を貫かれ、地に倒れた。
「英雄サマは何やってるんだ?」
魔獣の後方から、ナルが姿を現した。そのまま、倒れ込んだ魔獣にとどめを刺し、ナイフを回収する。布で血の汚れをぬぐいながら、ナルはアレフの行動に疑問を浮かべていた。
相手は魔犬一匹である。なぜ呆けたように相手を見ていたのか、ナルには理解できなかったのだ。
「なァんか、気になるなァ」
ヒイロでもけしかけてやろうか、とナルは逃げてゆくアレフの背中を思った。
○ ○ ○
魔術師達が絶え間なく展開する攻撃が、黒騎士を襲う。次から次へと休みなく、連携をとって繰り出される魔術だったが、黒騎士は剣の一振りでそれらを薙ぎ払ってみせた。
「やった。剣を使わせたぞ!」
「イヤァー、蹂躙がはじまるよー」
「盾持ち、前へ出ろ! 魔術師は守護を盾に重ねてくれ」
「受けるんじゃないぞ。受けたら死ぬと思え。相手の攻撃は全部流すように!」
魔術師達の叫びに混じって、指示が飛ぶ。
相手はバケモノだ。そんな相手の攻撃を正面から受ければ、潰されて死ぬだけだった。上手く力を流さなくては勝ち目はない、とディーノが叫んだ。
黒騎士が一歩を踏み出す。タタン、と軽快に足が進み、剣が振り下ろされる。
その剣を、何重にも魔術のかかった盾が払い流す。強い衝撃が騎士の腕に伝わり、手と腕に痺れが走った。
「く──そッ──」
払われた剣の勢いをそのままに、くるりと腕をまわして黒騎士が二撃目を放つ。
騎士は痺れた腕を動かし、それも受けようと盾を構えて──しかし、その一撃が届く前に、黒騎士が左腕を庇って地を蹴った。
黒騎士がその場を離れると同時に、盾を構える騎士の前をいくつものカゼノヤイバが襲った。宮廷魔術師の誰よりも強い魔術が、石を弾き、大地に亀裂を走らせて消えていく。
「ハーヴィか。すまん。助かった」
「え? あ──うん。何時でも助けがあるとは思わないでね」
ディーノ達の後方で、ハーヴィが杖を振って見せた。
そのディーノとハーヴィの会話で、後方にいるハーヴィ達に目を向けた黒騎士は──そっと剣を下ろした。
「え。何だ?──いや、今のうちか。皆、隊列を整えろ!」
「はい、騎士達はこっち並んで──弓兵用意」
「魔術師は騎士達の守護と、牽制組に分かれます。半分は魔力回復に下がるように」
慌ただしく指示の飛ぶ中、黒騎士は後方を見ていた。
剣は鞘に収まっている。
敵意があるのか、ないのか──ただ、ハーヴィ達を見ていた。
「なぜ邪魔をなさいます。私はただ、姫様を──」
黒騎士の漆黒の冑から、くぐもった声がする。初めて聞いた黒騎士の声だった。
「姫様だと? 誰の事だ。二ノ姫か、三ノ姫か。まさか四ノ姫ではないだろうな」
ディーノが黒騎士に答える。
ディーノの上げた三人の姫は、ノアの腹違いの妹達である。皆、王宮から出た事もなく、目の前の魔人との関係があるとは思えなかった。
「何を言うか。姫様といえばお一人しかおられない。魔王に拐われたティアラ様の事以外にありえぬ」
「は? え──いや。え?」
「ティアラ姫だと? どういうことだ」
ディーノとノアの口から声がもれる。信じがたい事を聞いたと、二人は黒騎士をじっと見た。
貴族の常識として、ディーノやノアは主だった王族、貴族の名を叩き込まれている。その知識の中でティアラという姫は一人しかいなかった。
王妹ティアラ──魔王に攫われた悲劇の姫である。
少し考えた後、ノアが声を張り上げた。
「──そなた、私の名を言えるか?」
「不思議なことをお尋ねになる。なんの謎かけでございましょうか──王太子殿下。アレン様」
静寂が落ちた。
それはまるで空気までもが凍りついたようだった。多くの者が、動きを止め、恐ろしい者を見るように黒騎士を注視していた。
「──訊ねよう。お前は誰だ。目的はなんなのだ?」
「私は──私はすでに何でもない者。御前をさがる時に、全てのしがらみを捨てました故。私の目的は、ただ姫様をお救いする事。それだけです」
「まさか……団長──なのですか。騎士団長──ルーカス閣下──」
「えぇぇ、団長ォ? なんで、どうして? え──でも、魔人……?」
震える声で、ディーノが声を上げる。
ほとんど同時に、騎士達からも悲鳴のような声が上がっていた。
前騎士団長──それがルーカスだった。ディーノを副官にとりたててくれた恩人であり、魔獣の侵攻期に騎士団をまとめた英雄でもある。剣技に優れ、有り余るほどの人徳と、部下からの尊敬を集めていた人物であった。
攫われた姫君を救うために、王宮を辞した強者──そんな相手と、敵として対峙しているのだ。騎士達にとっては大波乱の出来事である。
「私は、ただ姫様をお救いしたいだけなのです。どうかお許しください」
「否──と言ったら?」
ノアの返答に、黒騎士は少しの躊躇を見せ──
「私の望みは、姫様にお会いする事。姫様をお救いする事──それだけです」
「そうか──だが、お前の姫を助けるのに、なぜ王都を攻める必要がある? 王都にはお前の姫はいないぞ」
「いいえ。私には姫様の声が聞こえるのです。助けを求める姫様の声が──今も、王都から響いてきている。なぜお取り繕いになるのですか。お助けしなくては。姫様を──私が、姫様を。姫様──姫様は生きておいでだ。生きて、私の助けを待っていらっしゃる。姫様をお救いしなくては──」
右手を左腕に添えて、黒騎士は小さな声で繰り返した。その腕から、淡い金糸がこぼれ落ち、風に揺れる。
「お前──何を持っている」
「団長、それは。団長が持っているのは……」
皆が目を見開いて、黒騎士の左腕に抱えられたものを見ていた。
その美しい金の糸は──淡く輝く髪の毛だった。さらさらと、気持ち良さそうに風になびいている。
黒騎士が大切そうに持っているものは──小さな、今にも崩れてしまいそうな、ミイラの頭だった。




