三十七話 不可思議な森と黒騎士の理不尽さ
「聖女様に対し奉りなんという事を」
トルクの部屋で行われている、勇者への魔術講義。そこに乱入してきた神官が、目の前で行われているものに悲鳴をあげた。
彼らの前では、聖女が勇者の横に座り、勇者と共に初歩魔術の練習をしていたのだ。
しかも、思い通りにならなくて、ちょっぴり涙を浮かべていたりする。
その姿に、神官は目眩を感じた。
「聖女様……御身は何よりも尊いもの──勇者と共に魔術練習など、なさる必要はないのです」
「なにが尊い、なにが魔術など! そのようだから、初歩の魔術もまともに使えぬのではないか。フン──お前達にとっては、神輿はお飾りの方が良いと、それだけだろうが。それに、聖女の世話をするほどの余裕はもうあるまい。足手まといを連れて、今後どうするつもりだ?」
トルクの言葉に、聖女が身を震わせた。先程まで楽しげに勇者と話をしていたのに、すっかり萎縮してしまっている。
「そ、それは……ですから、一度王都に戻って──」
「王都への道がどうなっておるのか、知らぬ訳ではあるまいな。あの死体で囲まれた道を──王都まで続く死の道をゆくと申すか!」
「それは……いえ、それしかないのですから、浄化しながらならば行けぬ道ではないと」
はぁ、とトルクが大袈裟に手をふる。こいつらだめだ、というジェスチャーだった。
「浄化しながらなど、行けるはずがあるまい。……わしらは、北の"迷いの森"に向かう。ここを抜ければ、南の"竜の牙山脈"に出るはずじゃ。そうすれば、魔王の住処は目の前であろう」
「お待ちください! 今の状態で魔王に向かうのですか? 自殺行為でしょう。せめて──せめて、勇者がもう少し強くなるまで待てないのですか?」
どこへ行くかは伝わっていなかったのだろう、神官が悲鳴のような声をあげた。
迷いの森。それは、精霊や妖精が住むという、不可思議な森のことだった。
ほんの数日滞在していただけで、数十年の時間が経過していたとか。行方不明だった子供が、手のひらサイズの妖精と踊り狂っていたとか。出口にたどり着けば、出た 先は南の竜の牙山脈、中央の王都の水瓶の湖、西の紫水晶の谷と、バラバラで定まらない。国外に繋がることも少なくないという、恐ろしい場所だった。
勿論、森であるからには獣も出る。神の恵み豊かな森では、大小様々な生き物が生息している。それこそ、野獣や魔獣の差もなく、強く賢いものが頂点に立つ。そんな弱肉強食の世界なのだ。
トルクは、そんなところに行くと言っているのだった。
「森の中でも、戦い方を教えることはできようぞ」
「む、無茶苦茶です。森に入るという事は、そんな簡単な事ではありません! 死にに行くつもりですか!」
自信たっぷりにトルクは宣言し、神官は悲鳴をあげたのだった。
○ ○ ○
左腕に抱えるモノが軽くなった気がして、黒騎士はそれに視線を落とした。彼の宝物が、変わらず腕の中に収まっていることに、安堵の息を吐く。
そう、腕に抱えるモノは、彼の唯一無二だった。あまりにも軽いソレに、優しく丁寧に触れる。手を添えただけで壊れてしまいそうな ソレは、彼の愛そのものだった。
「姫様を迎えに──」
黒騎士は、金色のモノを丁寧に抱え直す。
本当ならば、彼が集めた騎士団と共に王都へ入りたかったのだが──どこかの者に騎士達を滅ぼされてしまった。
東と南は二人の子供に、西と北は勇者の一行に。特に子供が騎士の一団を破った事には、驚きだった。恐らくは、優秀な神官か見習いなのだろう。彼らの光の魔術は、一流の神官と言って良いものであった。
そのような者がいるのは、黒騎士にとって不都合な事であった。しかし、どんなに優秀な神官でも、所詮は神官にすぎない。戦略的にはただの素人だ。
戦力をもって王都を包囲する事が出来なくなったなのならば、次にやる事は戦力の補強か、強襲か──。
「姫様──」
黒騎士が王宮と愛する存在へと思いを巡らせた時、炎と風の魔術が彼を襲った。
○ ○ ○
「槍兵構え──魔術師はそのまま敵への攻撃を。弓兵は魔術の合間を狙って討て!」
「魔術師は残魔力に気をつけて。光も効きそうだから、ヒカリノタマ得意な人は、そちらでどうぞ。誰か特殊解析持ってる人いませんか」
場所は、王都の西の草原。魔術師の一撃が開戦の合図となった。
ポチとレナードの声が戦場に響く。そこから多少離れて、ディーノが戦場を俯瞰していた。
ノア達はさらにその後方、王都の門を守るように配置されている。
今回の目的は、ディーノを始めとした副団長部隊の汚名を雪ぐことである。そのためには、ノア達が前に出るわけにはいかないのだ。
それでも、万が一の事を考えて、四人は王都の外に出てきていた。
相手はたった一人。
一人を相手に、騎士団と宮廷魔術師が出てきているのだ。過剰戦力だろうと、ノアは繰り返される魔術の派手さを見ていた。
だが、ノアの横にいるリヴは眉を寄せて、敵を見続けている。
「まずい──ディーノ! ハーヴィ!」
「はい!」
「魔術師──守護をッ」
リヴから警戒の声が飛ぶ。
その声にハーヴィは即座に答え、ディーノも遅れて魔術師達に守護の指示を送る。
土の魔術が草原に現れ、敵との視界を覆う。風と水の魔術が土壁を補強し、物理的な防御力を高めたのだが。
しかし。
ばき、と音がした。
「そ……そんな──」
「げ。マジで?」
その光景は、信じ難い物だった。
宮廷魔術師数人がかりで作り上げた守りの魔術が、目の前で壊されてゆくのだ。しかも物理的に壊されている。
ばきばき、と土壁が壊される。土と水でしっかりと固められた壁に穴が開けられていた。
カゼノヤイバは物騒なカーテンだ。触れる者を切り刻む、恐ろしい魔術で壁を守っている──はずだった。
それなのに、とうとう壁からは黒い篭手が現れてしまった。
ぬっと突き出された手が、壁の厚みを確かめるように動く。上下左右の状態を確認して──ぐっと手を握りしめた。
そして──振り払われた腕に合わせて、魔術の壁の半分が、吹き飛ばされて、壊されて、魔力に戻って消えていった。魔術を壊された為に、残りの壁も消えてゆく。
そして、ディーノ達の前には、無傷の黒騎士が立っていたのだった。
何が起こったのか、ディーノ達には理解できなかった。
魔術で作られた守護の壁──それを、素手で壊す? ありえない。常識で考えて、こんなことはあり得ない、とディーノ達は放心状態だった。
「は?」
「ディーノッ! 呆けるな!」
「わ、わかっている! が。あんなバケモノ相手にどうしろと?」
ノアの一喝でなんとか持ち直したものの、しかしどうすればいいのか。打つ手が思い浮かばなかった。
反対に、レナード達はかつて味わった諦めの感情を思い出していた。
これは──魔術を物理的に壊されるというのは──彼ら宮廷魔術師達が一度は味わったことのある理不尽さなのだ。
「嫌な記憶を思い出しますね」
「あーあーあー。この相手も、バケモノの仲間ですかー。魔術が効かないじゃないですかー。やだぁー」
「今度は守護の魔術を……物理的に……信じられない……せめて剣つかってくれ……」
魔術師達の脳裏に浮かんでくるのは、王宮で行われた模擬戦だった。
あの時は、繰り出す魔術、魔術、全てを騎士のバケモノに斬られていったのだ。それと同じ空気を感じていた。
こうなっては、魔術は相手の足止めにしかならない。なんとか騎士達に対処を任せるしかないのだ。
「いや。いくら理不尽の塊だろうと、相手は一人。どうにか裏をかきましょう」
「すごォい。堂々と裏をかく発言をするゥ! そこに痺れます。で──どんな風に?」
「誰か案を!」
しっかりきっぱりとレナードから丸投げが行われた。




