三十六話 英雄と雑魚はブリーダーを目指す
アレフは困っていた。
彼がいるのは、セクドの町の貧民街だった。この周辺に、彼は数頭の魔犬を放っていたのだ。しかし、犬の姿など欠片も見当たらない。
なぜだか、魔獣がまったく増えないのだ。
王都では簡単に成長したというのに、どういうことだろうかと、アレフは一人で頭をひねっていた。
(魔獣を町にいれても、成長しなければ増えもしない──なぜだ。なにか足りないものがあるのだろうか?)
アレフにとって魔獣とは脅威である。軽く屠れるようになった今でも、魔獣という存在に対する本能が、魔獣を忌避させていた。
だからこそ、アレフは魔獣が”強い”と認識していた。
いかなる時でも、どのような相手にでも向かってゆき、噛み殺す──そんなイメージを抱いているのだ。
だからこそ、アレフのやり方は間違っていた。
物騒な事件が続いている今、騎士や領主の私兵が町を巡回している。このような時に魔獣を放っても、すぐに見つかって殺される。当然である。
アレフが無計画に魔獣を連れてきた結果、セクドの町では魔獣が出現すると噂になり、町民が警戒を強めてもいたのだった。
加えて、アレフが捕まえた魔犬のランクが問題だった。
彼が捕まえることができたのは最低ランクの魔獣だけ。しかも、人目につかない場所で放して──それっきりである。
人目がつかないとは、人がいないのと同じである。つまり、餌となるモノも存在しないということだった。
天敵がいて、餌はない──どうあがいても、魔獣の増えようがなかった。
魔獣の望みは、まず生きること。そして、腹を満たし、増えることである。
無知であるがゆえに、アレフはいろいろと間違えていたのだった。
こんなはずではなかった──アレフは肩を落として、ため息をついた。
足りないモノは、なんなのだろうか?
○ ○ ○
聖女の顔が青ざめているのを、ヒイロは不思議に思った。昨日の夕方は普通だったのに、どうしたのかなと疑問に思ったのだ。
「おはよう、聖女様」
「お、おはようございます」
聖女の声は、まるで長い時間叫んでいたかのように掠れていた。けれど、まさか聖女が叫ぶなんてあるわけがない。
やっぱり変だな、と動揺を隠せない様子の聖女を見て思った。
昨晩から今朝の間に何かがあったか──思い付くのは一つしかない。それは昨日の夜、トルクがこの町を出ると宣言したことだった。
セクドの町は領主に任せ、次の町へ向かうべきだと主張していたのだった。領主も同意し、アレフも──最近出現するようになった、魔獣を警戒しているようだったが──ここから出発する事に同意していた。
恐らくは、その話を神官達から聞いたのだろうと、ヒイロはそう思った。
「眠れませんでしたか?」
「ええ……ええ。常のようには……」
答える聖女の声は掠み、震えていた。
「何かあったんですか?」
「な、にか、とは。あの……いえ、何もありませんわ」
「いいえ。そんなに悩んでいるじゃないですか。何かあったんでしょう? それとも、何か言われたんですか?」
「勇者様……わたくし……」
何かを訴えようとして、口ごもる。話そうか話すまいか、悩んでいるように見えた。
聖女が結論を出すのを、じっとヒイロは待って──
「勇者様。わたくし──死んだほうが良いのでしょうか……」
「は?」
思いもよらない言葉に、仰天した。
まさか、聖女の口からでるとは思わない言葉だった。どうして、なぜ、聖女がそんなことを思うようになったのか──神官が何か言ったのだろうかと、ヒイロは怪しく思い、声を張り上げた。
「まさか! 聖女様のことを、そんな風に思う人なんていませんよ! どうしてそんなふうに思ったんですか? 神官さん達に何か言われましたか?」
「いえ。────でも、わたくし、何もできませんし……この間だって、風の魔術を使えませんでしたわ」
視線を逸らせて聖女が言う。
おそらくは何かを誤魔化しているのだろうが、何が問題なのかはヒイロには分からなかった。
けれど、聖女が口にした事も間違ってはいないのだろう。聖女の魔術レベルは低い──と、ナルが口にしていたのだから。
「えっと。聖女様、お昼から時間ありますか?」
「時間ですか──ええ、大丈夫ですわ。でも、どうして?」
「お昼からはトルクさんの所で、魔術講義をうけるんです。良かったら一緒にどうかなと思って」
「え──わ、わたくしが?」
ヒイロの誘いに、聖女は目を見開いた。
○ ○ ○
「そういえばさぁ、何で雑魚ッチは魔犬と戦えてたの? 怖くなかったの?」
メディエは朝御飯を食べながら、同じ席についている雑魚に言った。普通の人ならば、魔獣を怖がるはずだった。裏社会の人物を"普通"と称して良いのかはわからないが、それでもあれほど喜んで相手をするというのは異常だった。
「怖くなんてありませんよゥ。犬っていうのは、魔獣の中でも結構多いンですよ。そのぶん、普段から殺り合ってるンで。慣れれば可愛いモンですよゥ」
「そうそう、慣れだなぁ。魔犬は繁殖が簡単だからな。養殖し放題──」
「養殖とやらの話──詳しく聞かせてもらおうか」
ずん、と低い声が部屋に響き渡った。声の主はリヴである。
彼は、不機嫌そうに雑魚へと目をやっていた。
「良くある話ですよゥ。口減らしで売られてる子供達を買って、一ヶ所に集めるんです。ンで、そこに魔犬を放り込む。そしたら──あうッ、痛い、痛いです神官様ッ。その視線──癖になりそうですッ」
「熟女趣味で、獣好きで、マゾとか──君、いったいどこ目指してるの? あ、ルリは見なくて良いよ」
リヴから放たれる絶対零度の視線を受けて、雑魚Aは喜んで身悶えた。勿論物理的な効果はなく、ただの雰囲気だけなのだが。
「兄さん、ソレ悦ぶだけみたいですよ。ご褒美にしかなっていません」
身も蓋もないハーヴィの言に、そっとリヴが視線を外した。雑魚Aを睨みつけた事を、小さく謝る。謝らなくて良いのに、ともっと小さくハーヴィが呟いた。
「すなまい」
「いいえ。なんでしたら、もっと蔑──いえ、ナンデモアリマセン」
四方八方から白い目が向けられているのを感じ、雑魚Aは話を切り上げた。特に隣の子供達の視線がチクチクしており、足元ではケルベロスのプラトンが──結局、名前はプラトンになった──威嚇の唸り声を上げている。ご主人様のご機嫌に従う、良いペットである。
「しかし、神殿は何をやっているのだ。孤児や被虐児を保護する事。幼子に教育を施し、一人前に育て上げる事は、神の御心に添う役目であろうに」
「まぁ、今の神殿ですからねェ。神官共は金儲けしか考えてないデショ」
雑魚Aはあっけらかんとしたものだったが、リヴは頭を抱えた。
「あぁ、でも最近はないですよ。ほら、あの──王子様のお友達。彼が結構優秀なんですよねェ」
「緩めるところは緩めて、締めるところは締めてたっけな」
「彼は人の使い方が上手いな。各々の適性に合った振り分けができている。前の騎士団長からの副官だという安心感もある。そして──貴族らしいコネもある。実家の権限を使えば、神殿に対しても発言力があったからな。治安維持──孤児院の取り締まりにもうってつけの人材だった」
「その分、煙たがられてましたっけェ」
「惜しい人を亡くしたな」
ペラペラと、雑魚達の口は絶好調である。
ちなみに、ディーノは死んではいない。──亡くしたのは”政治生命”だった。
知らず──とはいえ魔人に協力していた罪は軽くはない。しかも、屋敷内では魔犬を繁殖させていた跡も発見されていた。
ディーノと同じように魔術にかけられていた者の事を思うと、斬首にはできないだろう。しかし、騎士として政治家としての生命は終わったと、考えていいだろう。
どこまでディーノの力を削るか──どこまで許すか──ノアにも相談がきていた。
「こちらとしては、ディーノの権限が小さくなりすぎるのも考えモノだ。ある程度の権力を持たせておいた方が、タヌキ爺共をのさばらせておくよりも有利だからな。ただ──どう交渉するか。どこまでの譲歩を引き出すかが問題だが」
「そうね。ディーノが退けば……次に副団長になるのは、バルベール伯爵家かアルバ侯爵家でしょうね。ウチと友好関係の無い家になってしまうわ。従弟のイリオスが騎士学校を卒業するまで、なんとかディーノには残ってもらいたいの」
ルリが”ウチ”というのはピオニー伯爵家のことではない。いや、伯爵家もその中の一つなのだが、もっと大きな流れのことであった。
クロフィード侯爵家──これがピオニー伯爵家の与する家の名だった。ルリの祖父は、このクロフィード家から新たな伯爵家を起こしたのだ。そして、ディーノの家もこの流れに含まれている。
このクロフィード侯爵家がノアの後見になった為に、ルリはノアの婚約者になり、ディーノは幼馴染になったというわけだ。
そして、ディーノの後継者として名があがった者達──バルベール伯爵家とアルバ侯爵家──はクロフィード侯爵家とは縁がない。となれば、今後の活動への影響も少なからず、ということになる。
大人達は、打算の混じった視線を交わし、
雑魚達は、そんな様子を面白そうに見物し、
子供達は、こそこそと内緒話をしていた。
「その、ディーノさんは、悪い人じゃないんですよね?」
「……オレ達を牢屋に入れた人、だけど……」
どうやら子供達が気にしていたのは、ディーノから受けた仕打ちの事だったようだ。
確かに、二人はディーノの命令で守衛所の独房に押し込められた事があった。しかし、それは二人の身を守るために、ノアが頼んだ事だったのだ。丁寧に説明され、子供達は納得したように見えた。
「なるほど、悪い人じゃないと」
本当に理解しているのかは疑問だった。
「おめーへんじょーさせてあげたら?」
「?」
「汚名返上、です。多分ですけど、黒騎士さんはすぐに襲ってきますよ。のんびりと政治の話なんかする暇もなく。ほら、良く言うでしょう? 鍋は熱いうちに食べろって」
子供達の言葉に、まず雑魚達が頷いた。
「道理だな。我々は疲弊しているうえに、先の戦闘の混乱から抜け出せていない──」
「それだけでなく、副団長以下隊長を拘束……ってことになると、命令系統もばらばらですねェ」
「これで、襲ってこないわけがねぇなぁ」
「可能性はあるな。──進言しておこう。敵がまだいる事。騎士団を動かすには、ディーノが必要な事──」
「早い方が良いですよ」
「うん。──多分、すぐ動くと思う」
子供達は、神託を告げるように静かに──しかし強い口調で告げたのだった。




