三十五話 後片付けは迅速に
「返してきなさい」
きっぱりと言われて、メディエは肩を落とした。ネコミミまでがへたれて頭に貼りついてしまっている。
「ちゃんと躾もするし、散歩もいきます。だから、飼っても良いでしょう?」
「だーめ」
尚も言葉を重ねるセシルを相手に、ハーヴィはため息をついた。
「あのねぇ、君達。コレが何なのかわかってるの? こんなナリでも、これは最高位の魔獣なんだよ? そんなものを飼える訳がないでしょう」
ハーヴィの言葉に、子供達から不満の声が上がる。
「だって、こんなに可愛いのに」
「最高位のプライドなんか、欠片もありませんけど……」
子供の足元では、最高位の魔犬が、腹を出して「くぅ~ん」と鳴いている──いわゆる服従のポーズをとっていた。
「ま、まぁね。魔獣にしては情けないとは思うけど……いや。でも、それとこれは別問題だから」
どんなに情けなくても相手は魔獣である。人の世に、破壊と混乱を巻き起こす相手を野放しにはできない、とハーヴィは首を振った。
「とにかく、ソレを飼う事は認めません。大人しく捨ててきなさい」
捨ててきなさい──と言ったハーヴィが指差すのは、良い笑顔で三人を見ている雑魚達だった。彼らは得物を手に、ハーヴィの話が終わるのを待っているのだ。
「え──ッ。あそこに捨てたら、即死亡じゃないか! オレのケルちゃんが可哀想だと思わないのぉ?」
「そうです。私のアレキサンダーは繊細なんです」
しかし、セシルのネーミングセンスに、メディエが文句を言った。
「ム。ケルベロスなんだから、ケルちゃんだろ?」
「そんな安直なネーミングは認められないもん。ここは、ちょっとひねって、アレキサンダーの方がいいよ」
「なにを──」
「喧嘩するなら、犬を捨てておしまいにするよ」
「すみませんでした」
「ごめんなさい」
ハーヴィが仲裁にはいる。名前がなんだろうと、殺処分なのはかわりないのだが──いいかげん、子供達の相手が面倒になったのかもしれない。
「ペットにするなら、もっと可愛いのがいくらでもいるでしょう? 別に、その子じゃなくても良いでしょう。どうしてその子が良いのかしら」
ルリの言葉に、二人は顔を曇らせた。
「でも、他の子を見たことがなくて」
「そうそう! 他に見たのはイーター様くらいだもん」
結局、ウサギを飼いたいという、セシルの野望は叶わなかったのだ。
「王都にペットショップ無かったしぃ」
「ほんとはウサギが良いんですけど」
その言葉を聞いたケルベロスが、きゅんきゅんと鳴き始める。
降参ポーズから体をおこし、セシルとメディエの手に額を擦り付けた。残った顔は、寂しそうに項垂れている。顔が三つもあるため、余裕のアピールだった。
「なんかー、コレ殺しちゃったら罪悪感ってゆーかー」
「だよね。ここまでお願いされちゃったら……」
しかし、大人達の顔は渋いものだった。
「でも魔獣なんだよ」
「ええ。困ったわね」
「お願いします。悪いことはさせませんから」
「──どうやって? 相手は魔獣なんだってば。理性なんてない……んだよ……普通」
目の前で甘えに甘えるケルベロスを見てしまっては、本当にコレに理性がないのかどうか、疑問である。
「大丈夫ですよ。こいつ、ただの魔獣じゃないですから」
「そうそう。レア種だから。賢いから」
「レア種ねぇ。──でも、ケルベロスにかわりはないでしょ? どうやって首輪をつけるつもりなのかな?」
自分の意思を曲げない子供達に、呆れたようにハーヴィが聞く。
どうせ、具体案など何もない、ただのわがままに違いないと思っていたのだが。
「それは、勿論調教で」
メディエは、この世界には無いスキルを示したのだった。
○ ○ ○
神経毒に侵された人々の回復を行っていたリヴとノアは、数人の男達を連れて戻ってきた。
その時、丁度メディエとセシルは、首尾良く手に入れたケルベロスにお手とお代わりを教えているところだった。子供と一緒にいる高位魔獣を見て、男達の間に緊張が走る。ハーヴィ達がいるのであり得ないのだが、まさか襲われているのだろうかと危惧したのだ。
勿論、本当に襲われているならば、ハーヴィが大人しく見ているはずはなく。では一体どういうことなのかと、一同に疑問が浮かんでいた。
「これは──大丈夫なのか?」
一行を代表してリヴが声をかける。その声に、ようやく二人は男達の存在に気がついた。
ケルベロスの賢さを無邪気に喜んでいたメディエは、あわててケルベロスを盾にするように逃げ出した。
「くぅーん?」
メディエの行動に、不思議そうに首を傾げるケルベロスの頭をセシルが撫でる。俺も俺もと、残りの頭がセシルの手に殺到した。
「この通り、こちらは大丈夫です。えーっと、なにかご用だったんじゃないんですか?」
「あ、あぁ。確かにそうなのだが──」
「ごめんねぇぇぇぇ」
リヴの後ろから、しっかり重装備のクレイブが飛び出して、セシルの前に座り込んだ。
「大丈夫? 怪我しなかった? あああ、なんであんなこと、しちゃったんだろう!」
あんな事と言うのは、暗殺者のことだろうか。確かに彼は強敵だった、とセシルは頷いた。
「怪我もないですから、大丈夫ですよ。雑魚Cさんも手加減してくれましたし、ハーヴィさんのお兄さんが癒してくれましたから」
「良かったぁ……って、雑魚C?」
「癒し?」
クレイブとリヴから、それぞれ疑問がわいてでた。
「リヴ、気にするな。クレイブ、どうするんだ?」
「あぁ、うん。い、行くよ。皆で行った方が怖くないよね」
「では、頼むぞ。私とルリは外へ出てくる」
ノアに促されて、クレイブが立ち上がる。クレイブも、他の者達も青ざめた顔をしていた。彼らは、これからノアとハーヴィにしっかりこってり絞られるのだ。
その間に、リヴとルリは外に女性達を迎えに行く予定だった。
リヴが感じた"強いモノの気配"はまだ立ち去っていない。どうやら、その気配はケルベロスのものではなく、別のナニカのものだった。そのナニカは、今も王都周辺にいて、中の様子を伺っているように感じられている。
このような状況である。女性達をできるだけ早く、王都内に避難させたかった。
迅速に──その判断は間違いではなかった。女性達を迎えに行ったルリとリヴは、大した問題もなく彼女達を連れ帰る事が出来たのである。
その後、女性陣を相手に、謝り倒す男達の姿があったという。
○ ○ ○
「……なぁ」
「うん──」
若い犬のしっかりとした毛を梳きながら、メディエはセシルに声をかけた。その声はふわふわしていて、ここではないどこかに意識が飛んでいるようだった。
返すセシルの声も気の入ったものではない。
そのまま、二人は声を交わす事もなく──沈黙がおりる。
「ねぇ──」
「うん……」
「ぐるるぅ」
セシルが声をかけて、メディエとケルベロスが返答をした。
そして──沈黙。
「あの、な……」
「うん────」
「説明……聞いたよな」
メディエの口から零れたのは、その一言だった。
”説明”というのはあの後行われた、ハーヴィの教育的指導と、ノアの説教──その途中で行われていた”エリシス”という人物の説明についてだった。
エリシスは魔人だった。
魅了の魔術を使い、”見る者にとって”魅惑的な姿を見せる女性だった。実年齢は五十を超えるはずだと、ノアが言った時には、皆の口から悲鳴が上がっていた。
その言葉を、セシルとメディエは複雑な心境で聞いていたのだった。
なぜならば、二人が見たのは”かつての自分”であったからだ。
それも、健康的な体型の──現実ではありえない姿だった。
「オレはさぁ……ボロボロだったんだよね。現実が、自分が生きてるって事が、気持ち悪くて……嫌で嫌でたまらなかった。だから、何度も死にたくて……死ねなくて。TWAの中に逃げ込んでた」
「うん──わかるよ。私もそうだったから。足に力が入らなくなって、言葉もしゃべれなくなって──薬は多いし、副作用で何度も吐いたし。どうして生きてるんだろう。生きる意味はあるんだろうかって、ずっと思ってた。肌がカサカサになって、贅肉どころか筋肉も無くなっていく。髪も薄くなって、自分の世界がたった一部屋だけになる寂しさ──だから、無理をいってTWAをさせてもらってた。ゲームの中では自由に動けたから。歩けた。走れた。おしゃべりもできた」
「TWAの中の自分が本当の自分だったらって、いつも思ってたよ。リアルなんていらない……こんな、苦しいだけの家族も、そこに生まれた自分も……大っ嫌いだと思ってた」
「両親を恨んでた。兄弟を恨んでた。どうして自分だけが──って、いつも思ってた。周りを恨んで、自分を憎んで──命を留めようとする先生達も恨んでた。今生を終わりにして、次の世界に──TWAのように、楽しい事ばかりが起きる世界を望んでた」
「でも……違ったのかなぁ」
「でも──違ってたのかな」
二人の脳裏に蘇るのは、若く健康的な自分の姿。
「あれが……本当の望みだったのかなぁ」
「私が本当に望んでいた事は──」
「オレは、少しは自分の事、好きだったのかな」
「私は──本当は、生きていたかった?」
子供達の自問に答える者はいなかった。
ただ──ぺろり、と慰めるようにケルベロスが二人の頬を舐めたのだった。




