三十四話 被害は屋敷三軒
周囲が守護の魔術に包まれたとき、雑魚達は一匹のケルベロスを相手にしていた。ケルベロスは、三つの頭を持った高レベルの魔獣である。その口から溢れるのは、異常状態を起こす"吠え声"であったり、高温の焔であった。
しかも、低レベルな魔犬達をコントロールして、上手く連携をとってくる。
近付く事も難しい相手に、対峙している雑魚達の顔に苛立ちの色が見え始めていた。
「あああぁぁぁぁ! もう、邪魔ァ! せっかくの大将首がいるのに、邪魔するなよォ」
「ふざけんな! アレは俺の獲物だってんだ。テメェのじゃねぇよ!」
「何言うんですか。ウチのレジーナの見せ場にピッタリでしょう? あれはコッチに貰います!」
雑魚Aと雑魚Cが文句を言い合う。なんとか、ケルベロスと距離を詰めようと、互いを牽制しあっていたのだ。
雑魚Bは黙々と魔犬達を相手にしていたのだが、知った気配を感じて顔をあげた。
「リオスの気配がしたな。あいつもここにいるのか?」
「んン? リオスゥ?」
雑魚Aが声をあげる。雑魚Bと話をしながらも、魔犬を葬り続けているのは流石であった。
「アイツの気配って読めネーし。何で分かった?」
「いや──そんな気がして──」
「リオスがいるなら面倒だぞ。アイツに魔術具をスられたら、また魅了にかかっちまう。さっさと王子様が片付けてくれないかねぇ」
三人はほぼ同時にノア達を伺う。
そこにいたのは、良い笑顔で騎士団副団長とその腹心をからかうハーヴィと、雑魚騎士達を全て沈めたルリ。リヴは守護魔術を張りながら、結界の外に向かって魔術を繰り出し続けていた。
「あああああああ! 神官様ッ。待って、それ下さいィィィ」
リヴが相手をしているケルベロスを見て、雑魚Aが叫ぶ。ここで一匹のケルベロスをCと取り合うよりは、結界の外でまるごと一匹を相手にした方が、雑魚Aにとってはお得なのだ。
勿論、邪魔をしてくる雑魚Aがいなくなる方が、Cにとっても良い事である。
雑魚Aの叫びはリヴに届いていた。呆れたようにリヴが了解の合図を送ってくるのを見て、Aは手に持った刀を振り上げた。
「いやったぁぁぁぁ」
「じゃねぇだろ。王子様は──」
ノアの正面に立つのはエリシス。相変わらず良いロリっぷりだと、雑魚Bは満足げに頷く。そんなエリシスの後方に、ひっそりと黒髪の男が寄り添っているのを見つけた。黒髪の男には、気配がほとんどない。彼こそが、雑魚達とアジトを同じくする盗賊仲間のリオスだった。
「リオス発見──」
「あぁ、まだアッチなんだなァ。後で弄ってやろう」
「あ」
「げ」
雑魚達が見守る中で、エリシスが動いた。ノアの視界を遮るように彼の正面に立つ。ノアがその行動に警戒して、彼女の動作を追った時──エリシスの横から、リオスの手が延びた。
ノアの服をかすめたその手が、胸に飾り付けられていた宝玉をむしりとっているのが、はっきりと見える。やっちまった──と三人はリオスから視線を外した。
「ホホホホッ。こんなアミュレットがあるからいけないのですわ」
勝ち誇った女の声が響いた気がした。
○ ○ ○
「オーッホッホッホッホッホッ」
屋根の上に立ち、口元に手を当ててメディエが笑っていた。ボーイソプラノが空に響き渡り、おざなりにセシルが拍手を送った。
「これだけの戦力差をものともしないなんてね。愚かにもほどがありますわよ。さぁ──やっておしまいなさい! 精鋭達よッ」
「惜しいな。もっと蔑むようにどうぞ」
「オーッホッホッ──グファ。ゲホ、ゲホゲホ」
高笑いの途中で噎せてしまったメディエが、体を折り曲げて咳を繰り返す。何をやっているのか、とセシルがあきれた声をあげた。
「こういうのは、喉で声を出すんじゃなくて、腹から声を出すんだよ。ほら、腹に力を入れて」
「あ……あ~、あぁ~」
腹に手を当てて、メディエが声を出す。深く息を吸っては、腹がへこむほど空気を吐き出す。何度か繰り返した後、思ったより疲れるわ~、とセシルの横に座り込んだ。
「腹式呼吸は声楽の基本だよ」
「いや、別に声楽とかしたいわけじゃないんだって。ただ……ヒマでさぁ」
目の前で繰り広げられる戦闘──というより、ほとんど虐めに近い光景を見て、メディエが愚痴る。
ハーヴィとルリは相手を確殺しているし、リヴも問題なく魔術を使えている。もっとも、攻撃魔術の一発目──ケルベロスに避けられたヒカリノタマは、隣家をまるごと吹き飛ばしていた。思わぬ魔術の威力に、リヴが茫然としていたのは可笑しかったものだ。
その後は、慎重に魔術を使っているようだったが、雑魚Aが歓喜の声を上げながらケルベロスに向かって行ったので、問題ないだろう。
「もう頭三つの犬も居なさそうだし、頭二つのは弱いし。問題なさそうじゃねェ?」
「まぁね。ノアさんが大将オトせば勝ちなんだけど──どうしたんだろうね?」
二人で首をひねったのだった。
○ ○ ○
「これで、わたくしの手をとって下さるでしょう」
自信を持って、エリシスは手を差し伸べた。
「愛しい方──さぁ。わたくしと行きましょう。あなたは特別ですもの。わたくしもあなたを愛しますわ。ですから、わたくしを愛して下さいませね。さぁ──」
エリシスの手がノアの頬に触れる。そのまま顎のラインをくすぐって、唇に指を触れさせようとした時──
「断る、と言ったはずだ」
手を、弾かれた。
「え──? ど、どうして。どうしてですの? 邪魔なアミュレットは確かに……」
「アミュレットか。……魔術具が、全てアミュレットだと思ったら大間違いだ」
ノアが視線を送った先では、黒髪の男が地に伏していた。その手には、ノアが襟もとに付けていた魔術具を持っている。
人目を引く場所に付けられていたその魔術具は、いたずらで付けられた”眠り”の魔術具だった。それを持つ者を、場所も時間も関係なく、深い眠りに落としてしまう物。”魅了の魔術”の対策に”精神攻撃無効魔術具”を装備していなければ、ノアも眠り続けていただろう。
いかにも、これ見よがしに、分かりやすく、盗りやすい場所に、アミュレットにしか見えない”罠”を準備する──ノアはハーヴィの性格の悪さを、しみじみと感じていた。
「もう隠し玉はないな。では──終わりにしよう」
「嫌よ、嫌! 誰か──誰か助けて──いや──いやあああぁぁぁ」
逃げ出そうと身をひるがえしたエリシスの体を、ノアの剣が切り裂く。
上がった悲鳴は、高く、広く、響いて──消えていった。




